第32話 シュテルンフェルス
◇レヴィナ視点
爽やかな風が湖畔を通り抜けていく。
わたしはパレスの前に立って、クレメンスさんやミレイユちゃんたちを乗せた馬の列が、木々の向こうへ小さくなるまで手を振って見送った。
みんなの姿が完全に見えなくなってから、ふう、と小さく息を吐いてパレスの中へ戻る。
「あとから追いつく」と彼らには伝えたけれど、実はいくつか気になることがあったのだ。
なのでみんなが馬で向かっている間に、空を飛んで先回りしようと思っていたのだった。情報収集なら一人のほうが効率がいいからね。
自室に戻って黒い海賊服を脱ぎ、港町で海賊服を買う前に着ていた青いリネンのドレスへと着替えた。髪型はそのままで、色だけオレンジっぽくしてみる。
これなら、普通の街並みでも浮くことなく、町娘や旅人として溶け込めるんじゃないかな。
長年愛用している飴色の革のバッグを開き、最低限の着替えと、いくつかの便利グッズを詰め込んでいく。
「よし、準備完了」
バッグを手に持ち、部屋に漂う精霊たちへ声をかけた。
『みんな、お留守番と戸締まり、よろしくね』
『はーい!』
『いってらっしゃーい!』
元気な光の蝶たちの返事を聞き終わり、わたしはパレスの外へと足を踏み出した。
『精霊式』
『飛行』
気圧を操作し、足元に上昇気流を生み出す。
その瞬間、背中からバサァッ、とまばゆい光を放つ白銀の翼が大きく広がる。
「あ……」
気圧の傾度を利用して飛ぶだけだから、別に翼なんて出さなくても飛べるのだけど、精霊式に組み込んだのですっかり『飛行=翼を出す』というのが定番化してしまってた。
(今回はこっそり潜入するんだから、目立っちゃダメでしょ)
苦笑しながら背中の白銀の翼をシュゥゥッと空気の中へ引っ込めた。
推進力だけを残した透明な風のクッションに乗り、ふわりと上空へ舞い上がる。
そのまま高度を上げ、一直線にシュテルンフェルスへと向かって飛翔した。
◇
障害物のない空の旅は快適そのもの。
馬なら何日もかかる道程も、気圧の谷を滑り降りるように飛んでいると、あっという間に巨大な城壁が見えてきた。
ホッホブルクの拠点、懐かしの城塞都市シュテルンフェルスだ。
上空から見下ろす限り、街を囲む堅牢な城壁や、大聖堂、そして山脈との位置関係など、都市の基本的な区画は三百年前と大きくは変わってないみたい。
だけど、その内側にひしめく建物の屋根は赤煉瓦で統一され、街並みは以前よりもはるかに整然として華やかになっている。
誰かに見つからないよう、街のはずれにある古い見張り塔の屋根へと音もなく降り立つ。
上空からざっと見たところ、バルバロスの支配下にあるからといって検問所などにものものしく兵士が溢れている、といったことはないみたい。
都市全体の警戒も特に厳しいといった雰囲気はないように見える。
「とりあえず、潜入は成功ね」
塔の陰からそっと街並みを観察しながら、わたしは今回の目的である場所を探した。
「ええと、気象研究所は……あ、あった!」
街の小高い丘の上。かつてクラウス主任が徹夜で羊皮紙と格闘していたあの施設は、すぐに見つかった。
「……っていうか、すっごく大きくなってる」
三百年前は石造りの無骨で立派な施設といった印象だったが、目の前にあるそれは、まるでルネサンス建築の宮殿か、王立の学術アカデミーのように壮麗な姿へと変貌を遂げていた。
大理石の柱と赤煉瓦が美しく組み合わされた左右対称の巨大なファサード。
建物の頂部には、青銅葺きの美しい巨大ドームが鎮座している。
そして、そのドームの周囲や屋根のあちこちには、太陽の光を受けて黄金色に輝く、精巧で複雑な歯車機構を持った風向計や風速計がいくつも設置され、たえ間なく回っていた。
壁面には気象の観測結果を示す巨大な時計のような文字盤まで埋め込まれており、街の人々がそれを見上げて天候を確認している様子がうかがえる。
(あの子たちが遺した技術、ちゃんと大事に、そしてすごいレベルで発展させてくれてるんだ……!)
とはいえ、これほどの巨大な施設を維持・運営するには、背後に何か権力が絡んでいるかもしれない。
青いドレスの裾を軽く整える。
バルバロスの暗躍や、腐敗した教会との繋がり。彼らの政治的な力関係を確認するには、まずあの気象研究所—―改め、看板によると『気象研究庁』を探ってみよう。
塔の陰からそっと抜け出し、わたしは壮麗な建物へと歩みを進めた。




