第30話 星降る夜と馬鹿
◇カイル視点
透き通るようなガラスの神殿、クリスタル・パレス。
俺は、その前に広がる静かな湖のほとりに腰を下ろし、一人で深いため息をついていた。
凪いだ湖面はまるで完全な鏡のように、頭上に広がる満天の星空と白銀の月を、寸分の狂いもなく反射している。
天と地が溶け合い、まるで自分が星空の真ん中に浮かんでいるかのような、圧倒的で幻想的な空間だった。
「……隣、いいかな?」
ふいに背後から声がして振り返ると、そこにはミレイユが立っていた。
俺が黙ってうなずくと、彼女は少し遠慮がちに、俺のすぐ隣に腰を下ろした。
「綺麗⋯⋯。こんなところを作っちゃうなんて。神様って、本当にすごいね」
ミレイユは、足元で揺れる星空の反射を見つめながら、感嘆の声を漏らす。
「ああ。俺たちの常識じゃ、到底測れない力だ」
「ふふっ。でも、みんなを助けてくれる、とっても優しい神様」
穏やかな夜風が、ミレイユの髪をふわりと揺らす。
しばらく無言で星空を眺めていたミレイユが、ぽつりとつぶやいた。
「奪還……うまくいくといいね」
「ああ。親父の復讐も、ホッホブルクを取り戻すのも、必ずやり遂げる」
俺の力強い言葉に、ミレイユは「うん」と優しく微笑んでくれた。
◇ザンク視点
夜のパレスを歩いていたオレは、建物の角のところに奇妙なものを見つけた。
ホッホブルクの守護神であり、オレたちの姐さんである女神レヴィナ様が、なぜか壁の陰にしゃがみ込んで、こそこそと向こう側をのぞいているのだ。
「いけっ、やったれ……!」
小さく腕を振り回しながら、なんだか物騒なことをブツブツとつぶやいている。
(女神様、そんなところで何してんすか……)
オレが怪訝そうに立ち止まって見ていると、気配に気づいたレヴィナ様がこちらを振り返り、手招きをしてきた。
足音を殺して近寄ると、彼女は口元に人差し指を当てて「シーッ」と合図し、角の向こうをのぞき込めと手振りで指示してきた。
言われるがままにのぞき込んでみると、湖のほとりで、若とミレイユの二人が肩が触れ合いそうな距離で隣りあって座り込んでいるのが見えた。
「ははあ、青春ですなあ」
オレがニヤニヤしながら小声で言うと、レヴィナ様は真剣な顔で興奮気味に身を乗り出した。
「ただのアオハルじゃ困るの! せっかくのロマンチックなガラスの城なのに! 行けっ、ミレイユ! そこよッ!!」
「なんでそんな力入ってるんすか⋯⋯」
「とにかくカイルには、ホッホブルクの子孫を早くたくさん増やしてもらわないといけないんだから!」
「……ああ、そういうことすか。
しかし姐さん……いや女神様、こんな距離でのぞき見してたら、そのうちバレませんかね」
「ふふん、抜かりはないわよ。精霊にお願いして、わたしたちの周りに防音と目隠しの空気の壁を作ってもらってるから、絶対バレないわ」
(のぞき見のために神の奇跡……無駄に豪華だな!)
オレは内心であきれつつも、そのまま二人並んで角の向こうの様子を見守ることにした。
◇カイル視点
「……こうしてみんなと一緒にいるのって、とっても楽しいね」
ミレイユは湖面を見つめたまま、他愛もない会話の途中でふと、そんなことを口にした。
「今までずっと不安だったけど、この船に乗ってから、毎日がにぎやかで、あっという間で……」
「そうだな。皆いいヤツだ」
俺が同意すると、ミレイユは少し寂しそうに下を向く。
夜風が、静かに二人の間を通り抜けた。
「私ね……お母さんが殺されてから、ずっと一人だったの」
彼女の絞り出すような声に、ハッとして隣を見る。
「だから、バルバロスを倒して、ホッホブルクの奪還が終わったら……また一人ぼっちになっちゃうのかなって、時々すごく怖くなるの」
(……ああ、そうか)
俺はホッホブルクを取り戻すという目的がある。ザンクたちもそのまま騎士団に戻るだろうし、そうでなくてもそれぞれ帰る場所や新しい生き方を見つけるだろう。
だが、天涯孤独の彼女には、復讐が終わったその後の居場所がないのだ。
「だから……」
ミレイユが、ゆっくりと顔を上げる。
足元の鏡のような湖面から反射する星屑の光が、彼女の白い頬を下から淡く照らし出す。
その瞳には、今にもこぼれ落ちそうなほど大粒の涙が浮かんでいた。
けれど彼女の唇は、不安を振り払うように小さく、愛らしくほころんでいる。
涙と、泣き笑い。月明かりを浴びてキラキラと輝くその表情は、クリスタル・パレスのどんな景色よりも、俺の視線を、心を、釘付けにした。
夜風がもう一度、ふわりと吹いた。
彼女は身を乗り出し、震える声で、それでもまっすぐに俺の目を見て言った。
「全部終わっても——あなたのそばにいて、いいかな?」
言葉が、胸の奥を熱く締め付ける。
俺は何も言わず、ただ静かにうなずいて、彼女の細い肩を抱き寄せた。
ミレイユは安心したように、俺の胸にそっと顔を埋める。
湖面に映る星が、微かに揺れた。
◇
「ゴオォォーーーールゥッッ!!!」
隣でのぞき見していた女神様が防音壁があるのをいいことに絶叫し、ガラスの床を膝をつけて座った姿勢のまま、ズザーーッと滑っていった。
(なんだ今の動き!?)
オレがギョッとしていると、女神様はそのままの体勢で上体を反らし、両手を天に突き上げ大興奮している。
「ここぞというところで女の涙! ワールドカップの決勝ゴール並みに美しく決まったわよ!
あんな真面目そうな顔して、ミレイユちゃん、実はものすごい悪女の素質があるのでは!? どうですか、解説のザンクさん!」
一人で勝手に盛り上がっている女神様に、オレはあきれ半分でたずねた。
「若は、ミレイユのことが好きなんすかね?」
「そりゃそうでしょ!」
女神様は即答した。
「一途だし、可愛いし、胸もでかいし!」
「……身もフタもねえな」
やれやれと首を振りつつ、オレは肩をすくめた。
「でも、若はまだ子供すからねえ。案外、ミレイユみたいな同年代より、女神様みたいなお姉さんが気になるお年頃だと思いますよ?」
からかうようにそう言うと、女神様は両手を腰に当てドヤ顔で言い放った。
「わたしは全信徒のお姉さんだから、無理!」
(そりゃそうだ)
湖のほとりでは、若とミレイユが星空に溶け込むように寄りそっている。
オレたちはそのまましばらく、二人の時間を見守っていた。
翌日の朝食は赤飯だった。




