第26話 硝子の神殿
◇レヴィナ視点
「さて! 怒涛の自己紹介も終わったことだし、落ち着いた場所でこれからの作戦会議をしたいわね。どこがいいかな?」
装いをもとに戻したわたしの言葉に、ハッとしたようにカイルが顔を上げる。
「お、落ち着いた場所って……これからバルバロスの追手も来るかもしれない。どこかに安全な隠れ家でもあるのか?」
ちょっと考えてから答える。
「うーん、安全ねえ……だったら、パレスに行くかな」
「パレス?」
カイルとザンクが不思議そうに顔を見合わせる。
「わたしの住んでるところよ。クリスタル・パレス」
「し、神域!?」
クレメンスが裏返ったような叫び声を上げ、再び甲板に平伏した。
「な、なんと畏れ多い……! 生きた人間が神域に足を踏み入れるなど、過去の歴史においてただの一人もおりませんぞ!」
「え? そんなことないよ。あそこを作った時、レオニー団長が遊びに来たし」
「「「獅子姫レオニー!!?」」」
その名前が出た瞬間、カイルとザンク、さらにはミレイユちゃんまでもが信じられないものを見るように驚きで目を丸くした。
「えーとね、だから……わたしの家に人が来るのは、二百五十年ぶりくらい? かな」
「に、二百五十……」
気が遠くなったのか、クレメンスがフラフラとよろめいている。
「……して、レヴィナ様。その神域へは、一体どうやって向かわれるおつもりですか?」
わたしは足元の黒い甲板をポンと踏み鳴らした。
「ミストラルごと行こうかな。船を停める場所もあるしね」
「はい……? 船で行く、とは……」
全員が首を傾げている間に、わたしは舳先の特等席に立った。
『精霊式』
『飛行』
(船体の底に極端な高気圧のクッション、空に向かって段階的な気圧の谷を配置)
「えっ……? う、浮いて……っ!?」
「うおおおおおっ!? 船が! 船が浮いてるぞォォォ!?」
ミストラル号の船体から巨大な白銀の翼が生え広がる。翼が力強く羽ばたくと、船体がふわりと重力を失って海面から離れた。
ザバーンッ! と派手な水飛沫を上げて宙に浮き上がった黒い海賊船は、気圧傾度力の強烈なベクトルに引っ張られ、夕空に向かって斜め上へとグングン加速していく。
「ヒャアアアッ!」
「落ちる! 落ちるゥゥゥ!」
ザンクたち荒くれ者の船員たちが、悲鳴を上げながら慌ててマストや手すりにしがみついた。クレメンス教皇に至っては白目を剥いて甲板に転がっている。
しばらくして、船の高度が安定し、雲海の上を滑るように進み始めると、パニックになっていた若者たちも恐る恐る目を開けた。
「す、すげえ……」
真っ先に身を乗り出したのはカイルだった。
手すりから下を見下ろし、眼下に広がる黄金色の雲海と、豆粒のように小さくなった海を眺めて目を輝かせている。
「空を、飛んでる……俺たちの船が……っ!」
「……まるで、おとぎ話みたい」
ミレイユちゃんもフードを外し、赤銅色の髪を風に揺らしながら、驚きと感動が入り混じった顔で景色を見渡していた。
ふと見ると、夕日に照らされたその横顔をカイルがちらちらと盗み見ている。ミレイユちゃんと視線がぶつかり、カイルは慌てて「な、なんでもねえ!」と赤くなった顔を背けていた。
ザンクたち第三騎士団の面々も、最初こそ怯えていたものの、今では「ヒャッホォォーゥ!」「一番星に手が届きそうだぜ!」と身を乗り出して大はしゃぎしている。
(ふふっ。やっぱり、空を飛ぶのはいつの時代もロマンだよね)
眼下で輝く若者たちの横顔を眺めながら、わたしは舳先で大きく伸びをした。
全身を撫でていく、上空の冷たくて澄んだ風。
心地よい風を受けて、空飛ぶ海賊船は夕闇の迫る空を聖域――クリスタル・パレスへと飛びたった。
◇
夕闇が空を覆い、やがて世界は静寂に包まれた夜へと姿を変える。
満天の星空と、煌々と輝く白銀の月明かりの下、ミストラル号は滑るように夜の雲海を進んでいく。
心地よい冷たい夜風を全身で感じながら、わたしは舳先から眼下を見下ろした。
(そろそろ近づいてきたかな)
船の底を支えていた気圧の階段をなだらかな下り坂へと切り替え、少しずつ高度を下げていく。
「みんなー、そろそろつくよー」
後ろを振り返って声をかけると、甲板で休んでいたカイルたちが船縁へと集まってきた。
(うーん、なぜか人を招くときは毎回夜になっちゃうね。まあ、綺麗にライトアップされてるからいいんだけど)
高度が下がるにつれ、雲の切れ間から荒涼とした赤い岩肌の台地が見えてきた。
その赤茶けた丘陵を越えた瞬間――眼下の景色は劇的に切り替わり、視界の端まで青々とした深い森が広がる。
「おー、見えてきた」
深い森の真ん中に現れる、鏡面のように凪いだ広大な湖。
頭上の星々と月を寸分の狂いもなく反射しているそこへ、ミストラル号はゆっくりと滑り込み、着水する。
ザパーン、と心地よい水音を立てて、黒い海賊船が湖を滑り、止まった。
「な、なんだ……ここはっ……!」
真っ先に声を上げたのはカイルだった。彼は手すりから身を乗り出し、水面を覗き込んで息を呑んでいる。
「おいおい、底まで丸見えじゃねえか。どんだけ澄んだ水なんだよ……」
ザンクも目を丸くして、信じられないものを見るように水面を指差した。
そして彼らの視線は、湖をぐるりと囲む巨大な岸壁へと向かう。
わたしが長い時間をかけて、丁寧に削り出した透明なクリスタルの宮殿だ。
「これは……一体……」
クレメンス教皇が震える声でつぶやき、甲板にへたり込んだ。
「岸壁の岩肌そのものが、透き通った巨大な神殿のようにくり抜かれている……。建物全体が月の光を吸い込んで、青白く輝いておるぞ……!」
「……信じられない。こんなに巨大な宮殿が、たった一つの結晶から彫り出されているなんて」
ミレイユちゃんもまた、目を丸くして光り輝く回廊や柱を見上げている。
初めて訪れた人間からすれば、この世のものとは思えない光景なのだろう。
カイルたちは、あまりのスケールと幻想的な景色に完全に言葉を失い、ただ口を開けて圧倒されていた。
そんな彼らの大げさなリアクションに、わたしは思わずくすりと笑ってしまう。
「ようこそ――クリスタル・パレスへ」
驚きで固まる皆に向を、中へと誘った。




