第24話 悪魔に魅入られし汚物
◇レヴィナ視点
祭壇の上から深く頭を垂れるクレメンス枢機卿を見下ろし、心の中で密かに安堵の息を吐いた。
(よかった。とりあえず、最悪の事態は避けられたみたい)
彼が新教皇に選ばれるよう、ちょっと強引に場を整えたのには理由があった。
今回のコンクラーヴェ、途中でミレイユちゃんが『クレメンス枢機卿は、数少ないまともな聖職者です』と、こっそり教えてくれていたからだ。
問いに対する受け答えの内容も問題なかったし、この男に聖教のトップを任せても大丈夫だろう。
「新教皇クレメンスに尋ねる」
静かに問いかけた。
「今後のレヴィナ聖教を、どう導くつもりか?」
クレメンスは顔を上げ、緊張に身を強張らせながらも、まっすぐな瞳で私を見つめ返した。
「権力や富への執着を捨て、本来の教義である『民のために寄り添い、尽くす』教会へと必ずや戻します。
そして、我が派閥のルーツでもあるホッホブルク公爵家と改めて協力し、彼らの清廉な統治を手本として正しい信仰の形を再構築する所存です」
淀みのない、素晴らしい決意。
しかし、その神聖な空気をぶち壊すように、耳障りな声が響いた。
「ヒャハハハッ! ホッホブルク公爵家と協力だと!? 傑作だな!」
床に這いつくばっていたギードが、屈辱と絶望を通り越して狂乱したように嘲笑っていた。
「世間知らずの穏健派め。ホッホブルク公爵家など、とうの昔に我がパトロンであるバルバロス殿の手に落ちているわ!」
「なっ……なんだと……!?」
クレメンスが顔色を変える。
「当主は殺され、領地はバルバロスの傀儡が支配している! 協力する相手など、もはや存在しないのだよ! 綺麗事で教会が回るものかァッ!」
ギードの甲高い哄笑が、堂内に響き渡る。
でもその声は、私の耳には全く入ってこなかった。
ホッホブルクの現状は、実はシルフから聞いていた。
そしてフリッツが「親父を殺された」と言っていたのだから、彼がホッホブルクの血を引いている以上、ギードが言っていることも薄々想像していた。
だけど、頭で理解していることと、実際に目の前の悪党から勝ち誇ったように聞かされることは別だ。
『純粋に、心の底からムカついた。』
静かに、決定的に。
わたしの中で、何かが冷たく弾けた。
「……そう」
氷点下まで冷え切った私の声に、ギードの哄笑がピタリと止まった。
「さっき、お前はわたしの介入を不当だと言ったな」
わたしは祭壇から、ギードをゴミでも見るような冷徹な瞳で見下ろした。
「お前が入っている教団の名前は、何だ?」
「な……レヴィナ、聖教……だが」
「そう、わたしの名前の教団だ」
一歩、踏み出す。
「わたしの名を冠する教団で、お前のわがままがわたしを上回るとでも思ったか?」
ギードの顔が屈辱で真っ赤に染まり、彼は震える足で無理やり立ち上がろうとした。
「ふ、ふざけるな! たとえ神であろうと、私の築き上げた権力と秩序を……ッ!」
「――ふざけているのは、お前だ」
こいつはもうだめだ。
これ以上何か言っても意味がない。
「コンクラーヴェは聖職者が集まる清浄な場だと思っていたけれど……」
呆れて小さくため息をつき、静かに宣告した。
「どうやら、悪魔に魅入られた汚物が一匹混じっているようだな」
『精霊式』
『重圧』
「――ひれ伏せ」
直後。ギードの頭上数ミリの空気が不自然に歪んだ。
急激に生成された高密度な空気の塊が、巨大な不可視のハンマーのごとく叩きつけられる。
メシャッ!
ギードは声を上げる間もなく、一瞬で大理石の床に這いつくばらされ、全身の骨を軋ませながら圧殺された。
同時に重圧が解かれ、圧縮されていた大気が一気に解放される。
フォオン!! と、ギードだった亡骸を中心にして強烈な突風が吹き抜け、礼拝堂の空気を激しく揺らす。一瞬、急激な温度低下で白い霧が立ち込めた。
瞬時に人の形状が肉塊となる、凄惨な光景。
ただの一歩も動くことなく「神の怒りに触れた悪魔」が惨死した。
枢機卿たちの心を冷たい風が吹き抜ける。
「お、おお……主よ……! お許しを……!」
「ひぃぃぃっ!」
静まり返った礼拝堂で、三十九人の枢機卿たちは顔面を蒼白にし、ガタガタと震えながら一斉に床に額を擦り付ける。
彼らは本物の「神の裁き」を前に、ただ恐れおののき、平伏することしかできなかった。
◇
わたしは平伏する枢機卿たちをそのままに、窓枠から外を見下ろした。
眼下には、黄金色に輝く果てしない雲海が広がっている。この時代の人間が決して見ることのできない、神の領域の絶景。
(さて、嫌なこともあったけど、大掃除が終わったから島を元に戻さないとね)
意識を遥か下の海へと向ける。
島をそのまま落とせば、巨大な津波が起きてしまう。
見えない空気の壁で海水をすり鉢状に押し退け、空気のクッションで島を支えながら、エレベーターのようにゆっくりと降下させていく。
ズズゥン……と微かな地響きと共に、島は元の海底へと静かに鎮座する。
(あとは、海水を戻すだけね)
わたしは指揮者のように指先を繊細に動かし、自然な潮の満ち引きを再現するように、時間をかけてゆっくりと気圧を緩めていく。
サァァァ……という心地よい潮騒と共に、海水は白い泡を立てて岩肌をじわじわと這い上がり、元の穏やかな海面へと満ちていった。
やがて教会の煙突から、新教皇誕生を告げる純白の煙が空へと立ち上っていく。
それは、長きにわたる金と暴力による支配が終わり、聖教の新たな時代が幕を開けたことを告げる、希望の狼煙だった。




