第23話 神との対話
◇クレメンス視点
粉々に吹き飛んだステンドグラスの窓枠から、冷たい雲海の風が吹き込んでくる。
雲の上の天空へと隔離された大礼拝堂。
窓の下で轟音を立てていたバルバロス艦隊の大渦も、今ははるか彼方の出来事だ。
もはや武力も、莫大な金による買収も、一切の外的な権力もこの場所には届かない。
大理石の床に平伏し、恐怖にガタガタと震え上がる四十人の枢機卿たち。
純白の光をまとい、背に白銀の翼を広げた女神レヴィナ様が、 彼らを冷たく見下ろした。
「……さて、再開の前に、少し話をしましょうか」
女神様の透き通るような声が、冷気に満ちた堂内に響き渡る。
「お前たちに問う。――この信仰は、神は、そして教会は、何のためにある?」
その唐突で、根源的な問い。誰もが震えて顔を上げられない中、これまで権勢を誇っていたバルバロス派の枢機卿の一人が、顔を真っ赤にして口走った。
「し、知れたこと! 偉大なる神の威光を、全ての民に知らしめるためです!
そのためには絶対的な権威と、それを支える莫大な富が必要なのです!
壮麗な大聖堂を建て、異端を厳しく罰して恐怖を与えてこそ、無知なる民草は神を畏れ敬うのですから!」
「……そう」 女神様は、ひどくつまらなそうに目を伏せた。
「違う。断じて違う!」 私はたまらず立ち上がり、自らの声を張り上げた。
「教会は、権力や富を誇示するための城ではない!
信仰とは、苦しみ、絶望の淵にある人々に魂の安らぎを与えるためにあるはずだ!
神とは、迷える者に寄り添い、歩むべき道を照らす慈愛そのものである!」
私の言葉に、女神様はゆっくりとこちらを向き、その口元に柔らかな微笑みを浮かべた。
「その通り。民は幸せになるべきだ。あまねく信仰は、信徒の幸せのために存在する。神を敬うのは、ただその手段にすぎない」
その肯定の言葉に、胸の奥が熱くなる。生涯を懸けて信じ続けてきたものは、間違っていなかったのだ。
「認めん……こんな、こんなことがあってたまるかァッ!」
静寂を破り、ギード枢機卿が狂乱したように絶叫した。彼の顔は屈辱と絶望で醜く歪み、かつての傲慢な面影は見る影もない。
「我々は、人間の手で次なる導き手を選ぶのだ! たとえ神であろうと、我々の神聖なる教皇選挙に力ずくで介入するなど、決して許されることではない!」
だが、女神様はそんなギードの非難に怒ることもなく、ただ呆れたように冷ややかな視線を下ろした。
「不当な介入? ……お前たち、コンクラーヴェの本来の意味を忘れたの?」
女神様は祭壇の上から、我々をぐるりと見渡した。
「『鍵(clavis)』と『共に(cum)』。外界の不浄な欲や権力を完全に断ち切り、ただ純粋に『神と対話する』ための密室。それが、そもそものコンクラーヴェ。
お前たちがいつまでも金と権力の音ばかりを響かせているから、直接こうして対話しに来ただけよ?」
その完璧な理屈の前に、ギードは言葉を失い、そのまま膝から崩れ落ちた。武力も、財力も、そして自らの正当性すらも、神によって完全に否定されたのだ。
「さて、神との対話はこれくらいで十分かしら」
女神様はふわりと祭壇の上に降り立つと、厳かに宣告した。
「さあ。取り決め通り、『移譲投票』を続けなさい」
その声が響いた瞬間、堂内の空気は一変した。
「わ、私は、クレメンス卿へ移譲します!」
「私もだ! クレメンス枢機卿へ!」
「女神よ、どうかこれまでの愚かな行いをお許しください!」
もはや金や権力で票を買う者など誰もいない。蜘蛛の子を散らすようにギードを見限った枢機卿たちが、雪崩を打って私への移譲を宣言し始めたのだ。
それは神の御前で行われた、金や脅迫のない潔白な選挙の姿だった。
「……クレメンス・フォン・ヴァルト枢機卿! 棄権したギード枢機卿を除く、計三十九票という圧倒的多数を集め……新教皇に選出!!」
集計係の震える宣言が、天空の礼拝堂に響き渡る。 私は深く息を吸い込み、祭壇の上の女神様と、その傍らにいるミレイユ殿を見つめ返した。
この腐りきった聖教を正す、私の本当の戦いは、今ここから始まるのだ。




