↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/97

第22話 究極の孤島

◇クレメンス視点


 声の主を探し、堂内の全員が後ろの扉から正面へと視線を戻す。


 皆が扉に気を取られていたほんの一瞬の間に、どうやって現れたのか。

 あろうことか大祭壇の真ん中に、一人の見知らぬ女が足を組んで悠然と腰掛けていたのだ。


「な、なんだあれは!」


 室内はたちまち騒然となった。真っ黒な海賊のような服装に、目深に被った大きな赤い帽子。

 神聖なる祭壇を汚す不届き者に、枢機卿たちは顔を真っ赤にして衛兵を呼べと怒鳴っている。


 しかし、扉へ向かった者たちが慌てて取っ手を引いても、重厚な木の扉はびくともしない。


 私はただ静かに、その女を見つめていた。


 不思議なことに、私には彼女がただの「狼藉者」には見えなかったのだ。

 身なりこそ粗野な海の者のようだが、彼女を取り巻く空気はどこか人智を超えた静謐さをまとっている。


 ふと、ミレイユ殿の告発を思い出した。

 彼女は先ほど「海賊となってここまで来た」と話していた。ならば、あの祭壇に座る非常識な女は、彼女の仲間なのだろうか。


「ミレイユ殿。あの者は、君の仲間の海賊か?」

 私が尋ねようと目をやると、彼女はいつの間にか深く跪いていた。


「――枢機卿猊下でも、わかりませんか……。あの方こそ、私たちをここまで導いてくださった……」


 喧騒の中、彼女のささやくような声には先ほどまでの激しい怒りはなく、ただ絶対的な畏敬の念だけがこもっている。


「――女神、レヴィナ、様、です」


「えっ……なっ……め、女神様、だと!?」


 心臓が、跳ね上がった。



◇


「ええい、私が引きずり下ろしてくれる! この俗物め!」


 血気盛んな数人の枢機卿が怒号を上げ、祭壇へとズカズカと踏み込んでいく。


 だが、女は逃げることも構えることもせず、ふっと呆れたように苦笑した。


「俗物? ――お前たちは普段、何を見ているの?」


 女は手を伸ばし、大きな帽子を取った。現れたのは、一本に結われた長い三つ編みの銀髪。


 彼女が小さく頭を振ると、結び目がふわりと解け――冷たい銀色の髪が波打つように広がりながら、この世の何よりも純粋で美しい黄金色へと変わった。


 閉ざされた大聖堂の中に、清浄な風が吹き抜ける。


 彼女の黒い服装がまばゆい光の粒に包み込まれる。それはまたたく間に神々しい衣装へと姿を変え、教会の薄暗い空間を圧倒的な光で満たした。


 背後からは神々しい白銀の翼が静かに広がり、彼女の足は床から離れ、ふわりと宙に浮いている。


(おお……おおお……っ!)


 あまりの光景に息をすることも忘れ、ただ目を見開いていた。


 それは、聖教の歴史の中で語り継がれてきた神話そのものだった。生涯を懸けて祈りを捧げてきた、天候と豊穣の神。

 その絶対的な御姿が、今、現実のものとして眼前に顕現したのだ。


 大理石の床に膝をつき、私は震える両手を胸の前で固く握りしめた。


 あふれ出すのは、本物の神の御前に立てたという魂が震えるような深い感動と――それ以上に、この腐りきった権力闘争の場を見られてしまったことへの、底知れぬ恥辱と恐怖だった。


「主よ……お許しください……!」


 私は涙を流しながら、誰よりも早く、冷たい床に額を擦り付けて詫びた。


 亡き教皇猊下のご懸念の通りだった。我々は、神の逆鱗に触れたに違いない。


 先ほどまで自らの権力を誇示し、教皇の座を金で買おうと怒鳴り散らしていた老人たちは皆、己の罪深さを裁かれる恐怖と畏敬の念に、ガタガタと震えながら平伏することしかできなかった。


 そして、ひれ伏す彼らを赤く光る瞳で見下ろし、女神は静かに、冷徹な声で宣告した。


「……まあいい。お前たちが『外部の介入無き、厳正な選挙』を望むと言うならば――」



◇レヴィナ視点


 わたしは怒っていた。


 民の心を救うための宗教が、権力者たちの私腹を肥やす道具になり下がっている。

 いったい、わたしの名前のついた教団で何をやってくれているのだろう。


 この教皇選挙《コンクラーヴェ》も「孤島で厳正な選挙を」などと宣いながら、外には圧力をかけるための船がずらりと並んでいるのだ。


 この腐った連中が、孤島が良いと言うなら。

 誰の手も届かない、究極の孤島でやればいい。


――島の直径は約3キロメートル。地下の岩盤を含めれば、厚さは約1キロメートル。

 花崗岩などを主体とするその総質量は、ざっと見積もって「約200億トン」といったところ。


 赤く光る眼を見ひらく。

 右の掌を上に向けて開き、ゆっくりと胸の高さまで持ち上げる。

 その静かな動作に呼応するように、周囲の空間がビリ……と微かな悲鳴を上げた。

 

(上空の莫大な大気を極限まで圧縮し、島の輪郭に沿って海中を貫通する『薄い空気の管』を形成。

 管を通して、地上の空気を海底の岩盤の真下へと一気に流し込む。

 周囲の岩盤が持つ強固な剪断《せんだん》応力をへし折るための初期圧力――およそ『1万気圧《ギガパスカル》』。

 岩盤の下で逃げ場を失った超高気圧は、全方向へ均等な圧力を生み、島の底面全体に巨大な押し上げ力が発生。断熱圧縮の熱は海に逃がす)


 光の蝶の群れが、巨大な渦をなして島の輪郭に沿って海に吸い込まれていく。

 

 直後。


 バキィィィィィィィィィッ!!!


「がっ……!? な、何だこの音は!?」

 地底から響く鼓膜を破るような轟音に、枢機卿たちが次々と耳を押さえてうずくまる。


 まるで目に見えない巨大な手に教会全体が下から乱暴に押し上げられているような凄まじい重力加速度が、彼らを大理石の床へと縫いつける。


 メキメキッ……! と、おぞましい軋み音が石造りの壁から聞こえ始めた。


 パァァンッ!! ガシャンッ!!

 岩盤が持ち上げられる強烈な歪みに耐えきれなくなった大聖堂のステンドグラスが、悲鳴を上げて一斉に砕け散る。


 それは圧倒的な物理法則の暴力がもたらす、根源的な死の恐怖。


 ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!


 凄まじい地響きが、島全体を揺るがし始めた。



◇フリッツ視点


 孤島から少し離れた海域に停泊したミストラル号の甲板で、俺は単眼鏡を覗き込んでいた。


 未明の襲撃で数が減ったとはいえ、まだまだ多くの軍艦が停泊している。あの巨大ガレオン船は多少なりとも被害があったのか、一旦港へ帰ったようだった。


 バルバロスへの怒りもあるが、今は二人が心配だ。ルカは、レヴィは大丈夫だろうか。


 そう思っていた時。海面が異常に波立ち、重い地響きが腹の底まで伝わってきた。何故か、島そのものが激しく揺れている。


 そして、信じられない出来事が起こった。


「島が……徐々に……浮き上がっていくッ……!?」


 俺は絶句した。


 海に浮かんでいた直径約三キロメートルの孤島。

 それが轟音とともに、まるで巨大な円柱が型から引き抜かれるかの如く上空へ向かって持ち上がり始めたのだ。


 空中に浮き上がった島の底部から数千トン規模の岩盤が崩れ落ち、無数の巨大な水柱が立ちのぼる。

 そして、島という途方もない質量が占めていた巨大な空洞めがけて、周囲の海水が一気に瀑布となってなだれ込む。海全体が落ち込んでいくのだ。


 孤島を包囲していた軍艦や船団が、発生した巨大な「すり鉢状の渦潮」にすべて引きずり込まれていく。


「ひっ、助けてくれぇっ!」


 全速力で舵を切っても逃げられない。アリ地獄に落ちたように渦の中心へと引き寄せられた軍艦同士が勢いよく激突し、為す術もなく次々と木端微塵に砕け散っていった。


 人間のちっぽけな武力など、大自然の暴力の前には何の役にも立たない。


「大渦に飲まれちまう! 大将、外洋へ向けて全力で舵を切りやがれ!!」

「……任せろ! 」


 凄まじい海流のうねりの中、ミストラル号はギリギリのところで渦の引力を振り切った。



◇レヴィナ視点


 枢機卿たちは粉々に吹き飛んだステンドグラスの窓枠から、自分たちの拠り所だった大艦隊が渦に飲まれて壊滅していく様を、茫然と見下ろすことしかできなかった。


 海面がどんどん遠ざかり、やがて眼下に白い雲海が広がり始める。

 

 逃げ場などどこにもない。

 ここは完全に世界から隔離された、究極の孤島。


 海抜2000メートル。

 上へ向けていた掌を、力強く握り込んだ。

 ピタリ、と。激しい地響きと振動が、嘘のように停止する。

 気圧の土台を固定し、島を空中に静止させた。


 涼しい顔で島を固定し終えたわたしは、パニックで腰を抜かした四十人の老人たちを冷たく見下ろした。


「――ここでやれ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。