第19話 黒い彗星
◇レヴィ視点
夕暮れの水平線にポツンと浮かぶ孤島の教会から、黒く濃い煙が空へ向かって細長く立ち上っている。
「あれは『教皇選挙』で投票が不成立だったことを外部に知らせる合図だ。……今日のところはまだ、新しい教皇は決まらなかったらしい」
ルカの説明に、隣に立つフリッツがギリッと奥歯を鳴らした。
「だけどよ、時間の問題だ。島の周りを見てみろよ。信じられねえ数の軍艦だぜ」
ザンクが言う通り、孤島を取り囲むように停泊している海運ギルドの艦隊は、ざっと数えても数十隻は下らない。
そしてその中央には、ひときわ巨大で豪奢なバルバロスの旗艦が陣取っている。
「くそっ……今すぐ突っ込んで、あのでけえ船の土手っ腹に風穴を開けてやる!」
「だめ。大艦隊に正面から突っ込むなんて、ただの自殺行為よ」
「だが、時間がねえ! 明日にはバルバロスの息の掛かった教皇が誕生しちまうかもしれないんだぞ!」
「だから『夜襲』にするの。夜半過ぎまで、船を岩礁の陰に隠して皆を休ませておきなさい。
……わたしたち悪党の流儀でぶっ壊すんでしょ?」
フリッツはハッとして拳の力を抜き、「……わかった」と深くうなずいた。
◇
新月が近づく夜の海風は、芯から冷える。わたしは黒い外套をすっぽりと羽織り、夜の海風の中、船尾に立っていた。
『シルフ、ちょっとお願いがあるの』
ふわりと空気が揺れ、目の前に淡く光る粒が集まって人の上半身を形作った。三体。
『ケイ、呼んだかしら?』
『こんな夜更けに、私たちに何かお願い?』
シルフたちが大人の女性のような落ち着いた、それでいてどこか楽しげな思念を伝えてくる。
『ええ。二人には「滞留雲」を作ってきてほしいの。雷は落とさなくていいから、雲の中にたっぷりと電荷を溜め込んでね。
……そしてもう一人は、この船の帆に最高の風を送り続けてちょうだい』
『ふふっ、お安い御用よ。極上の雲を用意してあげる』
『たっぷりと電荷を溜め込んでおくわね』
『この船を、誰にも捕まえられない速さで導いてあげるわ』
シルフたちは微笑むように光をまたたかせ、二体は敵艦隊の上空へ、残る一体はミストラル号の帆の周囲へと溶け込んでいった。
◇
深夜二時。
新月の夜の海は、自らの手も見えないほどの完全な暗闇に包まれていた。
夕方まで賄賂を積んで島へと渡っていた小舟のランタンも、今は完全に消灯している。
「姐さん。皆、大砲の準備はできてやすぜ。……でもよ、こんな暗闇じゃ敵艦との距離もわからねえし、大砲の狙いなんてつけようがねえぞ」
わたしは夜空を見上げた。敵艦隊の真上には、シルフたちがせっせと作ってくれた巨大な滞留雲が、真っ黒に垂れ込めている。
「心配ないわ。今、明かりを点けるから」
パチンと指を鳴らした、その瞬間。
バチィッ!!
暗闇の海に、突如として無数の「青白い炎」が点灯した。
おびただしい数の敵艦隊。そのすべてのマストの先端に、妖しくも神々しい青白い炎がランタンのように灯ったのだ。
「な、なんだありゃあ!?」
ザンクたちが驚愕の声を上げる。
「……セントエルモの火」
青い炎の灯る敵艦隊をバックに、わたしはニヤリと笑う。
雷雲が近づいて大気中の電場が強くなると、船のマストのような「尖った物体」に電荷が集中して発光する。
前世の科学では『コロナ放電』と呼ばれる、れっきとした気象現象だ。
「レヴィ! ミストラルのマストにも火が灯ってるぞ! これじゃあ、俺たちも丸見えじゃないか!」
フリッツが上を指差して叫んだ。
それは当然。同じ雷雲の下にいるのだから、物理法則的にミストラル号にもセントエルモの火は灯る。
「ええ、こっちも光っちゃうわね。
でも……『当たらなければどうという事はない』、でしょ?」
わたしがウィンクすると同時に、ミストラル号の帆がバサァッ!と限界まで膨れ上がった。三体目のシルフが送り込む、あり得ないほどの推進力を受けて船体がドンッ、と急加速する。
造波抵抗を振りきって、即座に海面を滑走し始めた。
「うおぉぉっ!?」
ルカがあわてて舵輪にしがみつく。
ミストラル号のマストに灯る青白い炎は、もはや点ではない。敵から見えるのは暗闇の海面を異常な速度で切り裂く「一条の光の尾」。
「ルカ! あの青い炎の真横を次々と駆け抜けなさい! ザンクはすれ違いざまに横っ腹にぶち込んで!」
「「おうっ!!」」
ドゴォォォォンッ!!
静寂の夜の海を、ミストラル号の舷側から放たれた大砲の咆哮が引き裂いた。
敵艦の青白い炎を標的とした砲弾は、暗闇のハンデを受けることなく正確に着弾していく。
わたしもスキを見て、敵甲板の砲手や帆を鞭の圧力波で切り裂いた。操船や砲手以外の野郎どもは火矢で攻撃している。
「な、なんだ!? 敵襲だァーッ!」
「い、錨を上げろ! 帆を張って散開するんだ!」
敵の軍艦があわてて的から逃れようと帆を張る。
『あら、逃がすわけないでしょう?』
『ええ。大人しく標的になりなさい』
上空での仕事を終えたシルフたちが強烈な突風を巻きおこし、逃げようと広げきった帆の高い風圧中心へ、真横から突風を叩きつける。
復原力を完全に奪われた敵艦はなすすべもなく大きく傾く。次々と舵の効力を失い、風下へと強烈な横流れを起こし、味方の船同士で激しく衝突していった。
「くそっ、風がおかしいッ! 船があぁぁぁぁ!」
「迎え撃て! あの青い光の軌跡を追えェッ!」
パニックに陥った敵艦隊は逃走をあきらめる。高速で流れる光の尾を狙って、一斉に反撃へ切り替えた。
暗闇の海に無数の閃光が瞬き、砲弾がミストラル号の周囲の海面を次々とえぐって巨大な水柱を上げる。
ザバーンッ!と冷たい海水が甲板に降り注ぎ、激しい水しぶきで視界が白く染まった。
「味方に当たるぞ! 気をつけろ!」
「早すぎる……! あれは本当に船なのか!?」
敵の激しい砲撃網を抜けたのも束の間、今度は眼前の海面に砲弾が直撃し、巨大な水柱の壁が立ちふさがる。
だが、ルカはブレーキをかけるどころか、高笑いをしながら舵輪を限界まで回し切った。
「アハハハッ! 当たるかよぉッ!」
ギギギギッ! と船の木材が限界の軋み音を上げる。
一条の彗星となったミストラル号は、急激な旋回の遠心力で船体が転覆寸前まで深く傾斜し――海面に船べりを擦りながらすさまじい慣性で水面を横すべりして、水柱の壁の隙間をすり抜けていく。
甲板の野郎どもが必死にしがみつく中、大艦隊の隙間を縫うように疾走し、すれ違いざまに大砲を叩きこんでいった。
「船底に被弾! 当艦はもうダメです! うあぁぁ!!」
被弾した敵艦の一隻が、衝撃で火薬庫へ引火したのか木っ端微塵になるほどの大爆発を起こした。
ドオォォォォォン!
背後で膨れ上がる紅蓮の光に照らされて、漆黒の影絵と化したミストラル号は、バルバロスの旗艦と思われる巨大ガレオン船へ肉薄する。
「バルバロォォス!!」
絶叫するフリッツ。
――死と隣り合わせの極限の海戦。
しかし、ほとんどの敵艦がパニックに陥っている中、巨大ガレオン船だけは不気味なほどの静けさを保っていた。
ミストラル号の圧倒的な動に対して、異常なまでの静。
その熟練の砲手は、黒い彗星の「次に来る場所」――まだ何もない真っ暗な海面を冷徹に予測する。
無音の闇を裂いて、巨大な船体から一斉に大砲の閃光がまたたいた。
完璧に先読みされた一発の砲弾が、すぐ右舷の海面へと着弾する。
ズドォォォォォンッ!!
すさまじい水柱と轟音。至近弾による衝撃と、それを紙一重でかわそうと急激に舵を切った遠心力が重なり、ミストラル号の船体が跳ね上がるように激しく傾いた。
「きゃあっ!?」
操舵輪を握りしめていたルカの体が、反動で甲板から宙へと投げ出される。
「ルカ!!」
フリッツが絶叫して手を伸ばすが、届かない。
ルカの細い体は、そのまま真っ暗な夜の海へと吸い込まれるように落下していった。
ザパーーーンッ!!
「ルカ! くそっ、すぐに船を止めて――!」
「ダメよフリッツ! 今止まれば蜂の巣にされる! あなたはそのまま舵を握りなさい!」
パニックになりかけたフリッツを叱りつけ、わたしは手早く羽織っていた黒いマントを脱ぎ捨てた。
「レヴィ!? あんた、まさか!」
「一旦船を後退させて、安全な海域で待機! ……わたしはルカを助ける!」
言い放つと同時に、暗く冷たい夜の海へと一切の躊躇もせず飛び込んだ。




