第12話 不穏な教会
◇フリッツ視点
見上げたメインマストのてっぺん。見張り台よりもさらに高い横帆の桁の上に、レヴィは器用に立っていた。
揺れる船の上だというのに、彼女は手放しで遠くの水平線に目を凝らしている。
「まだいないみたい」
上から降ってきた声に、俺は小さく舌打ちをした。
そろそろ目標の海域に入る。親父を嵌めたバルバロスの息がかかった、海運ギルドの商船が通るはずの航路だ。
「仕方ねえ。近くの岩礁の陰に船を隠して、しばらく様子を見るぞ」
指示を出すと、操舵輪を握るルカが無言でうなずく。ミストラル号は巧みに操られ、岩礁の死角へと静かに滑り込んだ。
それから数時間。
太陽が南中を過ぎ、じりじりとした日差しが甲板を焼き始めた頃だった。
「来た! 南南東から!」
マストの上のレヴィから、鋭い声が飛んだ。
甲板で待機していたザンクや野郎どもに緊張が走る。
急いでマストを途中までよじ登り、単眼鏡を覗き込んだ。
水平線の向こうから、三本の帆柱を持つ中型のキャラック船がゆっくりと近づいてくる。バルバロスが牛耳るギルドの旗を掲げた、情報通りの獲物だ。
「どうやって襲うか、算段を立てるぞ」
甲板に戻った俺は、緊張で顔をこわばらせている仲間たちを見回した。
「岩礁の死角から静かに近づく。風はこちらに有利な追い風だ。……今回は大砲は使わねえ」
貴重な弾薬を温存するのと、積み荷を海に沈めないためだ。白兵戦での制圧を狙う。
「ルカ、いけるか?」
「……問題ない。風を捕まえる」
ルカのボソボソとした声に力強い意思を感じ、ニヤリと笑った。
「よし、野郎ども! 野に放たれた狼のように食らいつけ!」
岩礁の陰から音もなく滑り出たミストラル号は、追い風を背いっぱいに受けて、標的のキャラック船の死角から猛烈なスピードで接近した。
「あと百メートル……五十メートル……」
その距離で、ついに向こうの見張りがこちらの存在に気づいた。
「か、海賊だァーッ!」
敵船の甲板がにわかに騒がしくなる。迎撃の準備をしようと大声で指示が飛び交うが、完全にもたついている。
「今だ、一気に詰めろ!」
ルカが操舵輪を大きく切り、帆が風を孕んではち切れんばかりに膨らむ。素晴らしい操舵だ。
敵が体勢を立て直すより早く、二隻の距離はあっという間に数メートルまで肉薄した。
敵船の甲板に武装した護衛たちが続々と上がり始めたその時、「お先に!」と横をすり抜けたレヴィが、甲板の縁を蹴って空中へと身を躍らせた。
「なっ、レヴィ!?」
まだ四メートルは距離がある。海に落ちるぞ、と肝を冷やした次の瞬間。
空中のレヴィは腰から長鞭を引き抜くと、敵船の太いマストのロープへパチンと正確に巻き付けた。
彼女はそのまま振り子のように空を切り、軽やかに敵の甲板へと着地してみせたのだ。
「「「おおおっ!?」」」
人間離れした身のこなしに、敵の護衛たちすらも唖然として動きを止める。だが、驚くのはそれだけではなかった。
着地と同時にレヴィが手首のスナップを利かせて鞭を振るうと、空気を切り裂くような乾いた轟音が――パァァァンッ!! と響き渡る。
すると、鞭の先端は全く触れていないはずなのに、十メートル程も離れた場所にいる護衛が「ぐはっ!」と見えない丸太で殴られたように吹き飛んだ。
「な、なんだありゃあ! 鞭の先が空気を裂く風圧だけで敵が吹っ飛んだぞ!」
ザンクが目をひん剥いて叫ぶのも無理はない。まさかあの時買った革鞭に、こんな恐ろしい使い道があるとは。
見えない攻撃で次々と敵兵が吹き飛ばされ、海に落とされる。パニックに陥った数人がまとまってレヴィに斬りかかると、彼女は鞭をす早く巻き取りながらもう片方の手で腰のレイピアを抜き放った。
流麗で一切の無駄がない、物凄い剣技。
間合いを詰めてきた敵の武器を弾き飛ばし、舞うように突き、斬りはらう。
鮮やかに、そしてあっという間に無力化していく。
「……すげえ。だが、護衛の数が多い。三十人はいるぞ!」
俺たちが唖然としている間に、ルカの操舵でミストラル号が敵船にピタリと接舷した。
「野郎ども、姐さんに遅れるな! 続くぜ!」
ザンクが雄叫びを上げると、一人の部下が敵船へと飛び移る。他の部下たちも次々と武器を手になだれ込んでいった。
続くぞ、と剣を抜いた俺の肩を、ザンクの太い腕がガシッと押さえつけた。
「フリッツは船を守っててくれ! 大将が最初から突っ込むんじゃねえ!」
「……くそっ、わかったよ!」
歯噛みしながら数名の船員たちと甲板に残り、戦況を見守るしかなかった。
◇
激しい剣戟の音と怒号は、ほんの数分で収まった。
レヴィの圧倒的な立ち回り。そしてザンクたち荒くれ者の突撃の前に、敵の護衛たちは戦意を喪失してあっけなく降伏したのだ。
しばらくして、ザンクとレヴィが敵船の船室から数人の男たちを引っ立てて戻ってきた。
皆、上等な服を着た恰幅の良い商人たちだ。太いロープでぐるぐる巻きにされており、ガタガタと震えている。
「さて、おとなしく吐いてもらおうか。どこへ向かっていた?」
凄みを利かせて見下ろすと、一番太った商人が泣きそうな顔で口を開いた。
「わ、我々は海運ギルドの者だ……! どうか命だけは……! 積み荷は、教会の枢機卿様から依頼の品で、美術品や宝飾品などだ。それを王都の大聖堂へ運ぶ途中で……」
「……教会の枢機卿、だと?」
聞き返したその時、隣に立っていたレヴィから、尋常ではない怒気が立ち上った。
「……教会のトップへ運ぶ、美術品ね」
振り返ると、レヴィは能面のような冷たい顔で商人たちを見下ろしている。
その瞳の奥にあるのは、俺がバルバロスに向けるような燃え盛る憎悪とは違う、もっと深く、静かで、底知れぬ怒りだった。
「民が明日を生きるのに苦しみ、国が不安定な状態だというのに……彼らは信徒を支える責務を放棄して、私欲のためにこんなものを集めているのね」
ぽつりとこぼれ落ちたそのつぶやきは、まるで愚かな者を嘆き、断罪するかのような、深い悲哀と冷徹な怒りが入り混じっていた。
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