第9話 鞭と細剣
造船所での無茶な要求から二日が経った。
親方の怒鳴り声と職人たちの徹夜の作業のおかげで、俺たちの船――『ミストラル号』の整備と大砲の積み込みは驚異的なスピードで終わり、いよいよ明日の朝、出港の時を迎える。
「冷たくて激しい西風」を意味する名を与えられたこのキャラベル・レドンダは、後部に張られた三角帆を綺麗に畳んだまま、静かに波止場で出番を待っていた。
今日は朝から、街へ繰り出して荷物の積み込みと最終確認に追われている。
まずは、船内の部屋割りだ。
ミストラル号の船尾楼には、一番広くて海図を広げる机もある「船長室」と、それに隣接する小さな個室が二つある。
俺は迷わず、一番環境のいい船長室をレヴィに使わせることにした。
「ちょっと待ってよ。この船の船長はフリッツ、あなたでしょ。わたしが船長室を使うなんておかしいわ」
レヴィは抗議してきたが、俺は首を横に振った。
「いや、譲らねえよ。この船を買えたのも、仲間を集められたり、物資が調達できるのも、全部資金を作ってくれたあんたのおかげだ。
それに……いくら男物の服を着てたって、あんたは女だ。甲板の下で雑魚寝させるわけにはいかないだろ」
俺が頑として譲らない姿勢を見せると、レヴィは「……まあ、確かに男たちのイビキの合唱はごめんね」
と苦笑いして受け入れた。
残りの狭い個室二つは、船長である俺と、操舵手のルカが使うことになった。
「オレは野郎どもと一緒に寝起きする方が性に合ってるんでね。姐さんの部屋にバカどもが近づかねえように、下で目を光らせておきやすよ」
甲板長のザンクはそう言って笑い、大砲が並ぶ甲板下の大部屋に、自分のハンモックを吊るしに行った。
部屋割りが決まると、次は食料品の買い出しだ。
俺、レヴィ、ザンク、ルカの四人で、港のマーケットへと足を運ぶ。
保存の利く堅パンや塩漬け肉、乾燥豆の袋を次々と荷車に積んでいく俺たちに、レヴィが細かい指示を出してくる。
「レモンやライムみたいな柑橘類と、岩塩も絶対に忘れないで買ってね」
「柑橘類? そんな腹の足しにならないもの、長旅にいるか?」
俺が首を傾げると、レヴィはあきれたように腰に手を当てた。
「いるわよ。それと、ザワークラウト――キャベツの酸っぱい漬物も、樽で多めに買っておいて。
新鮮な野菜や果物を食べないで海の上に長くいると、歯茎から血が出て衰弱する奇病にかかりやすくなるんだから。船乗りの常識でしょ?」
「奇病……ああ、壊血病のことか」
ルカがボソリとつぶやく。長旅の船乗りがよくかかる呪いのような病だと言われている。レヴィの言い方だと、どうやら酸っぱいものを食えば防げるらしい。
相変わらず、どこで仕入れたのか得体の知れない知識を持っている女だ。
「あとは飲み水だな。真水は樽に入れておくとすぐに藻が湧いて腐っちまう。代わりにエールやラム酒を大量に積み込んで、水代わりにするしかねえ」
そんな話をしながら酒樽の品定めをしている中、重大なことに気がついた。
「……おい。そういえば俺たち、料理人を雇ってないぞ」
俺の言葉に、ザンクも「あっ」という顔をする。
「確かに。オレも包丁より剣を握る方が得意すからね。野郎どもの誰かに適当に煮炊きさせるしかねえか……」
「料理なら、わたしができるわよ」
あっさりと言うレヴィ。
「「……本当か!?」」
俺とザンクの声が重なる。
闘技場で並みいる男どもを一撃で沈めたこの女が、台所に立って料理をする姿など想像もつかない。
「失礼ね、これでも料理の腕にはちょっと自信があるんだから」
レヴィは不満げに頬をふくらませると、マーケットの金物屋や香辛料の屋台を回り、真新しい鍋や調理器具、それに香草を次々と買い集め始めた。
「姐さん、気持ちはありがてえんですがね」
ザンクが頭を掻きながら言う。
「ミストラル号の厨房には、レンガで囲まれた竈があるにはありますが……木造船にとって火災は命取りだ。
海がおだやかならともかく、ちょっとでも波が荒れたら絶対に火は使えねえんですよ」
「……ああ」
俺も無言でうなずいた。
船の上では、どんな名コックがいようと天候と波の揺れには勝てないのだ。
しかし、レヴィは香草の香りを嗅ぎながら、不敵な笑みを浮かべた。
「そのくらいわかってるわよ。でも、策はあるから任せておいて」
その自信に満ちた顔を見ると、なんだか本当に嵐の中でもうまいメシを食わせてくれそうな気がしてくるから不思議だ。
食料の次は、武器の調達。俺たちは武具屋に向かい、それぞれ得意な武器を品定めした。
レヴィが選んだのは、敵の隙間を突くのに適した細剣だった。
「やっぱり、これくらい軽い方が捌きやすいわね」
レヴィが細剣を軽く振ると、ヒュンッと鋭い風切り音が鳴る。
俺は使い慣れた長剣を腰に吊るした。
ルカが選んだのは、革手袋の手首部分に仕掛けがあって、腕を鋭く振ると内側から短剣の刃が飛び出す、暗器のようなものだった。
「オレはこれがいい。……狭い場所で、確実に急所をえぐれるからな」
そう言って、カシャッと刃を手首へ仕舞い込む姿は、まるで熟練の暗殺者のようだった。
「オレはこれくらい重くねえと、斬った気がしねえな!」
巨漢のザンクは、身の丈ほどもある両手剣を肩に担ぎ、さらに乱戦用の小剣も腰に装備して満足そうに笑っている。
なぜか細剣を選んだあともごそごそと物色していたレヴィが、革を編み込んで作られた長鞭を満面の笑みで持ってきた。
「おいおい、姐さん。家畜を追うわけじゃねえんですから。船の上じゃマストやロープにからまって、使い物にならねえよ」
ザンクが呆れたように言うが、レヴィはしなやかな革鞭を指先に巻き付けながら、いたずらっぽく笑った。
「ふふっ、見てのお楽しみよ」
(……まあ、高額でもないし用途があるならいいか)
その他に、部下たちのためのカトラスや斧、槍なども十分に買い揃え、荷車に積み込んだ。
すべての準備を終え、港に戻ってきた頃には、夕日が海を赤銅色に染め上げていた。
波止場に係留されたミストラル号に荷物を運び入れ、準備は万端だ。
いよいよ、明日の朝に出港する。
親父を殺したバルバロスへの復讐を果たすため。そして、俺自身の運命を切り開くため。
見知らぬ荒くれ者の仲間たちと、得体の知れない美しき相棒と共に。
俺はミストラル号の甲板に立ち、夕焼けの向こうに広がる広大な海を、静かに見据えていた。
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