第3話 父の記憶
◇フリッツ視点
荒れ狂う嵐の海。激しく揺れる甲板。
目の前で、親父が血の流れる腹を押さえながら背中を丸めている。
『どういうつもりだ、バルバロス卿……!』
親父の悲痛な叫びを、新興貴族のバルバロス卿は冷酷な笑みで見下ろしていた。護衛の兵たちはすでに皆殺しにされ、逃げ場はどこにもない。
『カイル……これを!』
親父は最期の力を振り絞って俺の掌をつかみ、血塗れの手で古い木彫りの札を握らせた。
『生きろ……!』
次の瞬間。親父の手によって、冷たく暗い海へと突き落とされる。
荒れ狂う波に呑まれながら、俺は見てしまった。
『……なる危機のと……守護……求め……』
こちらに向かって何かを叫んでいる親父が、数本の剣で無惨に刺し貫かれる、その絶望的な光景を。
「親父ィッッ!!」
◇
「……っ!」
自分の叫び声で、俺はハッと目を覚ました。
全身が冷や汗でびっしょりと濡れ、心臓が早鐘のように激しく打っている。
「……目が覚めた? まだ動かないで」
鈴が転がるような、落ち着いた声。
警戒しながら周囲を見回すと、見知らぬ暗い小屋の奥、暖炉の明かりに照らされるようにして、一人の女が静かに椅子に座っていた。
「……ここは? あんたは……?」
痛む右腕を庇って身を起こす。深く切り裂かれていたはずの傷口は、丁寧に布が巻かれ、血も完全に止まっている。
そして目の前にいる女の姿に、俺は一瞬息を呑んだ。暖炉の火を受けて鈍く光る、冷ややかな銀色の髪。
「港の外れにある、古い船具小屋。少し前から私が使っている。……わたしはレヴィ」
女――レヴィは、淡々とした調子で答えた。
「なぜ、助けた?」
そう言いながら、とっさに自分の上着を探った。闘技場で稼いだ金貨の袋が無事なことを確認し、安堵する。
これだけの額を持っていれば、身ぐるみ剥がされて裏路地に捨てられていてもおかしくないはずだ。
「たまたま通りかかっただけ。傷の手当てはしてあるけれど、無茶をすればすぐに開くわ。……ねえ、フリッツ」
彼女は俺が無意識に握りしめていた胸元の木札と、安堵の息を漏らした金袋を交互に見つめ、静かに問いかけてきた。
「血塗れで倒れていたのに、不自然なくらい重い金貨の袋を抱えていた。何か大金が必要なことがあるの?⋯⋯命を狙われるほどに」
助けてくれた恩人であることと、悪夢の生々しい記憶がまだ残っていたせいだろうか。
普段なら決して他人に語らないはずの言葉が、自嘲と共に俺の腹の底からこぼれ落ちていた。
「盗んだ金じゃない。……船を、買わなきゃならないんだ」
「船?」
「ああ。俺だけの船と、信頼できる仲間が必要なんだ。すべては……親父を裏切り、殺したあの男へ復讐するために」
俺の奥底で、昏く冷たい怒りの炎が再び燃え上がるのを感じた。
「俺の親父は……海運で財を成した『バルバロス卿』という新興貴族に暗殺された。
親父と俺がバルバロスの船に乗って視察に出た時、奴らは海の上で突然反旗を翻して親父を騙し討ちにしたんだ」
胸に下げた護符を撫でる。
「親父は最期、俺を逃がすために海へと投げ落とした。その時に託されたのがこれだ。
渡された直後に、守護とか何か言ってたが、聞き取れなかったからどんな意味のあるものなのかはわからない⋯⋯。
俺は……ただ、見ていることしかできなかった」
彼女は無言のまま静かに耳を傾けている。
「浜へ打ち上げられた俺は、死に物狂いでここまで辿り着いた。……だが、バルバロス卿の権力は、今やこの国の海運を牛耳るほどに肥大化している」
俺の言葉に、レヴィは表情を変えずに問い返してきた。
「ただの貴族が、どうしてそんなに強大な力を持てたの?」
「教会の後ろ盾があるからだ」
「教会……!?」
微かに眉をひそめる。
「ああ。バルバロスは莫大な利益を教会への『献金』という名目で流している。だから教会の枢機卿はバルバロスを庇護し、悪行を黙認しているんだ。
お前が見た昨日の殺し屋たちも、教会の暗部かバルバロスの手札だろう」
今の俺が真っ向から挑んだところで、あんな巨大な権力にはたやすく握り潰されるだけだ。だからこそ。
「俺自身の船を手に入れ、バルバロス卿の海運ルートを徹底的に荒らし回り、略奪してやる。
奴の莫大な資金源を断ち切れば、必ず教会と枢機卿はバルバロスを切り捨てる。
奴らを孤立させ、すべてを奪ってから、親父の借りを返す」
あえて「海賊」という無法の道へと身を落とし、巨大な権力構造を物理的かつ経済的に破壊し尽くす。それが俺の描いた復讐の海図だった。
「……だから、闘技場で血反吐を吐いてでも、船を買うための軍資金が必要なんだ。こんなところで、立ち止まっている暇はねえ」
そう言い終えると同時に、俺は包帯の巻かれた右腕をかばいながら、無理やり立ち上がろうとした。
「バカ。傷が開くと言っている」
彼女は小さくため息をつくと、俺の肩を押してベッドへと強引に押し戻した。
「……フリッツ。あなたの計画、一人でどうにかできるものじゃないわ」
静かに告げられた言葉に、訝しげに顔をしかめる。
「なんだと?」
「乗りかかった船だから。それに教会が絡んでいるなら、無関係じゃない事情があってね」
冷ややかな銀色の髪をサラリと揺らし、彼女は真っ直ぐに俺の目を見据えた。
「わたしも手を貸す。……とりあえず、闘技場に行きましょうか」
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