第2話 血族の危機
◇ケイ視点
『精霊式』
『純水生成』
大気中の水分を集めて右腕の傷を洗い流し、軟膏を塗って包帯を巻き終える。
深い意識の底へと沈んでいった少年の寝顔を見下ろしながら、「はぁ」とため息をつき、椅子の背もたれに深く寄りかかった。
「……せっかくウキウキの買い出しだったのに」
誰にともなく愚痴をこぼし、自分の銀色の髪を指先でくるりと弄る。
『女神レヴィナ』として崇められるようになっちゃったわたしは、うかつに人里へ降りることができなくなっていた。
金髪に青い瞳という姿は、教会がバラ撒いたあの恥ずかしい『聖画』のおかげで隅々にまで知れ渡っているからね。
神々しい全身像みたいなのなら誰か特定できないからよかったんだけど、顔のアップで色んな表情の女神様の絵とか、ありえないでしょ。アイドルか。
仕方なく、わたしは長い時間をかけて処理を最適化し、常時発動できる変装用の『精霊式』をひねり出した。
光のドレスや翼を作ったように、水蒸気なんかで色形が変わって見える『一時的な演出』なら昔からできた。
だけどそれを二十四時間、寝ている間も無意識のまま維持し続けるのとはまったく訳がちがう。
髪の表面にごく薄い水蒸気と微小な氷の結晶の層をまとわせ、光の屈折と干渉をコントロール。モルフォ蝶の羽根やシャボン玉と同じ原理を応用する。
そしてついに特定の光の波長だけを跳ね返し続けることで、本来の金髪を物理的に染めることなく、色々な髪色へ偽装することができるようになったのだ。
試しに銀髪へ偽装し、髪型も長い一本三つ編みにして鏡を見た時は、
(やったー! これなら誰にもバレない!)
と思わずガッツポーズが出ちゃうくらいの完成度。
そうして『レヴィ』という安直な偽名まで用意し、久しぶりの人間社会の空気を味わうべく、わざわざホッホブルクの真逆にある南の港湾都市まで買い出しにやってきた……のだけど。
「まさか、波止場で子孫の襲撃現場に出くわすなんてね……」
ふと懐かしい波長を感じて、向かってみたらこれだ。
ベッドで眠る少年の衣服からこぼれ出た、懐かしい波長の正体――古い木彫りの護符へと視線を向ける。
これを持っているということは、この少年はホッホブルクの血に連なる者の可能性が高いのだ。
「……おやじ、にげろ……っ」
不意に、フリッツと名乗った少年が苦しげにうわごとをつぶやいた。その顔は脂汗にまみれ、悪夢の中で何か絶望的なものに手を伸ばしているようにひどく歪んでいる。
(お父さんが、どうしたの……?)
思わず眉間にシワが寄った。
おそらくホッホブルクの血族が命を狙われているであろう、という異常事態。
強大な権力や富は、時に人を狂わせる。ホッホブルクの利権などを巡って、とんでもない謀略が渦巻いているのかもしれない。
彼を襲った連中の洗練された身のこなしは、ただのゴロツキのそれじゃなかった。確かな訓練を受けた、裏社会やもっと巨大な組織の暗部を思わせる手合いだ。
何が起こっているのか、今の状況ではわからない。
けれど、わたしが愛し、エドマンドさんやレオニー団長たちが命懸けで守り抜いたホッホブルクの血筋が、今まさに途絶えようとするほどの危機に陥っていることだけは確かのようだった。
「……こんなにボロボロになって。一人で背負い込むには、まだ若すぎるのに」
ベッドの傍らに歩み寄り、苦しげな表情で眠る少年の亜麻色の髪を、優しくそっと撫でる。
怪我の手当てはしたものの、失血の影響でしばらくはまともに動けないだろう。こんな状態で放り出せば、次に刺客が来たら間違いなく殺されてしまう。
(ほっとくわけにはいかない、ね⋯…)
小さく息を吐き、覚悟を決めた。
街並みや人々の服装がだいぶ変わっていて、前にレオニー団長がパレスに来たときからけっこうな時間が経ってるみたい。
だから流行りのファッションをチェックしたかったし、ご当地スイーツも食べたかったし、香辛料も補充したかったし、可愛い小物も物色したかった……けれど、予定は大幅に変更だ。
彼を狙う者たちの正体を探り、安全が確保できるまで――少なくともしばらくは、この子を守りながら一緒に行動するのがよさそうだね。
『シルフ』
精霊が集まり、人の上半身を形作る。
『お願いがあるの。今のホッホブルクで何が起きているのか、情報を集めてきて』
『ええ、わかったわ。風の道標を辿ろうかしら』
頼もしい相棒が、ふわりと柔らかな気配を残して霧散する。
「おやすみ、フリッツ。……もう、大丈夫だからね」
――かくして、『古き盟約』は果たされる。
古びた護符が、彼の胸で静かに揺れていた。
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