幕間1 白い軌跡
朝、何故か早く目が覚めてしまった。
外はまだ少し暗かったけれど、どうしてだかお布団の中にいるのがもったいないような、不思議な気持ちになったから。
わたしは静かにベッドからおりて、お部屋の外へと抜けだした。
夜着のままお城の中庭をトテトテ歩いていくと、石畳の向こう側に、二つの人影が見えた。
「……あ」
それは、大好きなおばあさまと、きのうご挨拶した金髪の綺麗なお姉さん――ケイさまだった。
お二人は、お城に帰ってきたばかりらしい。小さな声で、何かをお話ししている。
わたしは、ちゃんとしたご挨拶をしようと、少し背筋を伸ばした。
「おばあさま、ケイさま、おはようございます」
褒めてもらえるかな、と期待しながら見上げると、おばあさまが驚いたように振り返った。
そのお顔を見て、なんだかすごく嬉しくなった。昨日お会いした時よりも、ずっと若くて、おとぎ話のお姫様のように見えたから。
「ユリアや……こんな朝早くに、どうしたの?」
「あのね、またおともだちがまいごになってたら、ごあんないしようとおもって」
胸を張ると、おばあさまは優しく笑って、頭をなでてくれた。
その横で、ケイさまもふわりとほほえんでいる。
「おはよう、ユリアちゃん。えらいね。周りの人にいいことをするとね、自分にもいいことが返ってくるんだよ。だから、これからもいい子でいてね」
ケイさまはそう言って目の高さまで腰をおろすと、おばあさまと同じように、ポンポンと頭をなでてくれた。
「はい」
褒めてもらえて、嬉しくて元気にうなずいた。
でも、ケイさまは立ち上がると、少し困ったように空を見上げた。誰か他の人に出会う前に、帰らないといけないみたいだ。
帰ろうとするケイさまに、ずっと思っていたことを思い切って聞いてみた。
廊下の絵で見たお顔と、お城にある大きなご本のさし絵にあった『レヴィナ様』。
昨日の夜から何度も見比べていたけれど、やっぱり目の前の優しいお姉さんとどうしても同じに思えたから。
「……あの、めがみさまは、めがみさまですか?」
ケイさまはきょとんとしたあと、聞きたいことがわかったみたいに、にこりと笑った。
そして足を踏み出し、すっと背筋を伸ばす。
――バサァッ!!
「えっ……!?」
突然、ケイさまの背中から、まぶしいくらいにきらきらと光る、大きな銀色の翼が広がったのだ。
思わず息を呑んで、目を丸くして固まってしまった。
さし絵でしか見たことのない女神様の翼が、すぐ目の前に広がっている。
一枚一枚の羽根が宝石みたいに透き通ってきらめいていて、風が吹くたびに淡い光の粒がこぼれ落ちている。
見つめているだけで胸がぎゅっと苦しくなるくらい、神様らしくて、綺麗で、すごかった。
あっけにとられているわたしと、優しく見守るおばあさまを残して、ケイさまはふわりと宙に浮き上がった。
「それじゃあね」
わたしたち二人に小さく手を振ると、空へ向かって、矢のようなものすごい速さで飛んでいってしまった。
あっという間にケイさまの姿は見えなくなってしまったけれど、白い軌跡だけが、夜明け前の空にきらきらと残っている。
その美しいお空を、いつまでもいつまでも、夢中で見上げていた。
◇
静かになった中庭で、わたしはずっと、ケイさまが消えた空を見上げ続けていた。
キラキラした光の粒は、すうっと朝焼けに溶けてしまったけれど、胸の奥にはまだケイさまの温かさと、あのまばゆい翼の余韻が残っている。
「……ユリアや。そろそろ、朝食の時間ですよ」
背後からおばあさまの声がして、わたしはようやく現実に引き戻された。
振り返ると、おばあさまはいつもの穏やかな笑みを浮かべて、わたしの手を引いてくれる。
「おばあさま。ケイさま、かえってしまわれましたね」
「ええ。そうね、本当に……」
おばあさまはそう言うと、どこか遠い目をして、それからしっかりとわたしの手を握り返した。
その手は、先ほどまでケイさまになでられていたわたしの頭と同じくらい、じんわりと温かかった。
◇
その日のお昼、わたしはお母さまに、朝、中庭で起こったことを話そうか迷った。
でも、なんだかすごく大切で、秘密にしておきたい気持ちが強かった。
「……ユリア、どうかした?」
お母さまが不思議そうに首を傾げる。
「なんでもありません!」
わたしは慌てて首を振って、いつものように食卓に並ぶパンを口に運んだ。
でも、そのパンの味も、窓から差し込むお日さまの光も、なんだか昨日までとは少し違って感じる。
おばあさまは、朝からずっと元気そうだ。
ケイさまと何かをお話ししたからかな。
そう思うと、わたしまでなんだか力がわいてくる気がした。
(周りの人にいいことをすると、いいことがある……)
ケイさまの言葉を思い出す。
わたしは、もっともっとおばあさまに喜んでもらいたい。
そうすれば、またケイさまが空から降りてきてくださるかもしれない。
お皿に残っていた最後の一口を元気に頬張った。
なぜか、いつもより美味しい。
いつかまた、あのきれいな銀色の翼に会えるその日まで。わたしはちゃんと「いい子」でいようと、心の中で固く誓った。
(獅子姫の黄昏 完)
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