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幕間1 星降る湖面

 辺りはすっかり暗くなり、空にはぽっかりと美しい月が浮かんでいた。


 私たちは今、夜の空を飛んでいる。

 眼下に広がっていたホッホブルクの豊かな緑は、飛行を続けるにつれてだんだんとその数を減らしていった。


 やがて、荒涼とした岩肌の比率が増えてくる。あの凄惨な戦いが行われた、国境付近の荒野――大縁崖が近づいているのだ。


 ケイ殿はそこを「修復した」「作ったから自慢したい」とおっしゃっていたが、全く予想がついていなかった。


 しばらく前方を向いていたケイ殿が、ふっと高度を下げながら弾んだ声で振り返った。


「見えてきたよ!」


 その言葉に促され、眼下へと視線を落とし――思わず息を呑んだ。


 荒涼としていたはずの岩肌が途切れ、突如として視界いっぱいに青々とした深い森が広がったのだ。

 長い年月をかけて育つはずの木々が、まるで古からそこにあるかのように密集し、風に揺れてざわめいている。


 だが、私の目を釘付けにしたのは、その森の先にポッカリと開けた、圧倒的な空間だった。


「あっ……」


 かつて熱風と極寒が入り交じり、すり鉢状にえぐり取られていた大穴。

 そこに波一つない、完全に透き通った『水』がたっぷりと満たされていた。


 風のない夜。水面《みなも》はまさに完全な鏡面と化している。

 頭上に広がる満天の星々と、白銀の月。

 それらが寸分の狂いもなく巨大な湖面に映し出され、まるで天と地が逆転し、星の海へ飛び込んでいくかのような錯覚に陥った。


 そして、その星降る湖面へと滑り込むように降下していった時――さらなる驚愕の光景が目に飛び込んできた。


 湖の側面。かつて極熱によってガラス化した大穴《クレーター》のすり鉢状の斜面だ。


 そこに、巨大な建造物が『彫り込まれて』いた。


 上に建っているのではない。ぶ厚いガラスの地層そのものを削り出し、くり抜き、磨き上げることで生み出された、神殿のような、宮殿のような構造物だった。


 水際から斜面の上部にかけて、滑らかな曲線を描く回廊や、荘厳な柱の群れが連なっている。


 それらはすべてが純度の高いガラスで構成されており、頭上から降り注ぐ月明かりと、湖面に反射した星明かりを同時に浴びている。


 光は無数のガラスの柱や壁面でプリズムのように乱反射し、宮殿全体が内側から発光しているかのように、淡く神々しい輝きを放つ。


 水面下へと続く階段や柱の土台すらも、極めて高い透明度の水越しに、くっきりとその造形を透かせて見せていた。


 大地の傷跡そのものを芸術へと昇華させた、この世のものとは思えない美しさとスケール。


「…………っ」


 圧倒的な光景の連続に言葉を完全に失い、ただ目を見開いて硬直する。


 そんな反応に満足したように、ケイ殿は無邪気な笑顔を浮かべると、夜の静寂に鈴を転がすような優しい声でささやいた。


「ようこそ、クリスタル・パレスへ」



◇


 あまりの光景に絶句する私を連れて、ケイ殿はその宮殿の入り口らしき場所へと静かに降り立った。


「どう? きれいでしょ」


 自慢げに胸を張るケイ殿の無邪気な笑顔を見ながら、「きれい」どころではない非常識すぎる光景に、思わずこめかみを押さえていた。


 歩を進めると、足元には透明なガラスではなく、表面を細かく削って白く濁らせたような、曇りガラスの床が広がっていた。

 おかげでツルツルと滑ることもなく、ブーツでもしっかりと歩くことができる。


 一方で、壁や高い天井は見渡す限りの見事な透明ガラスだ。星空が透けて見え、まるで夜空の中に浮いているような錯覚に陥る。


「あの、ケイ殿。この壁……外から見た時はただのガラスの塊のように光を反射するだけで、中の様子はまったく透けて見えなかったはずですが」


 不思議に思って壁に触れようとすると、ケイ殿は「あ、それね」と指を立てた。


「マジックミラ……ええと、片側からしか透けない特別なガラスにしてあるの。

 中からはこうして外の景色がよく見えるけど、外から見るとただのガラスの壁にしか見えなくて、中は絶対に見えない仕組みだよ」


「片側からしか透けないガラス……」


「あと精霊にお願いして建物の内側に空気の層を作ってもらってるし、温度調節も完璧なんだから」


 さらりと言ってのけるケイ殿に、再び頭を抱えた。何もかも神の御業としか思えない代物だ。


「これ、ホッホブルク辺境伯家のお屋敷や、別荘として使うのはどうかな?」

「滅相もない!!」


 ケイ殿の思いつきに全力で首を横に振った。


「このような奇跡の宮殿、我々のような俗物が足を踏み入れることすらおこがましい! ここはケイ殿の神域として、末長く不可侵の聖地とするべきです!」


 ここぞとばかりに力説すると、ケイ殿は「そうかなあ」と少し不満そうに頬をふくらませた。


「まあ、いっか。よく考えたらゼクセン帝国との国境のすぐそばで物騒だし、シュテルンフェルスからも遠いもんね」


 その言葉に、苦笑いを浮かべるしかなかった。


「それにしても、あの禍々しく融解していた大地の大穴を、これほど巨大で美しい宮殿へと、一体どうやって加工されたのですか……?」


「精霊たちにお願いしてね、大気のやすりで少しずつ、何年もかけてじっくりと削り出したんだよ。

 結構な試行錯誤が必要でね。気がついたら、ずいぶん時間がかかっちゃった」


 大気のやすりで、何年もかけて削り出した? 言葉の目盛りが大きすぎて、脳がついていかない。


 やがて宮殿の二階にある、バルコニーのある部屋へ案内された。


「さ、座ってて」


 促されるまま、ふかふかの上質な長椅子に腰を下ろす。


「すぐに食事の用意をしてくるから、ちょっと待っててね」


 ケイ殿はそう言い残し、楽しげな足取りで部屋の奥の扉へと消えていった。

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