幕間1 勝利宣言
今日のお夕食は、お父様、お母様、お兄様、そしてわたしの四人だ。
「それにしても……母上は、また夕食はいらないとおっしゃったのか」
お父様がため息をつきながら言った。
「ええ。今日は不要だと……」
お母様が困ったように答える。
「最近、少し食が細くなっているようで案じていたのだが……お加減でも悪いのだろうか」
お父様がそう言うのを聞いて、わたしはスプーンを置いて口を開いた。
「おばあさまに、おともだちがおこしになったので、おしょくじをごいっしょされるのでは」
その言葉に、お父様は眉をひそめた。
「お友達? 母上のところに、どなたかお客様がいらしたのか?」
隣でパンを食べていたお兄様も、不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
「ユリア 、なんでお友達が来たのを知っているんだい?」
わたしは胸を張った。
「ユリアが、ごあんないしました」
今日、中庭であったことを得意げに話す。
「おかあさまにおそわったごあいさつもできたし、きちんとごあんないできたの。そうしたら、あたまをなでてほめてもらいました」
お母様は顔をほころばせた。
「まあ、ユリアは偉かったのね。それで、お友達はどんな方だったの?」
「きんぱつの、とてもきれいなおねえさんでした」
お兄様は「へー」という顔をして、再びパンを食べ始めた。
でも、お父様はスープを口に運びながら「!?」という顔をしている。
「めがみさまです」
お父様の顔に「??」という顔が浮かぶ。
お母様はくすくすと笑っている。
「ふふっ、そんなきれいな方だったのね」
「いいえ、めがみさまです」
わたしは真剣に首を横に振った。
「ろうかにあるえの、めがみさまです」
その瞬間、お父様の顔から、さぁっと血の気が引いていくのが見えた。
「ユリア? そのお客様のお名前は、なんとおっしゃったの?」
「ケイさま、です」
ブーーーッ!!
お父様は、口に含んでいたスープを盛大に吹いた。
「ち、父上!?」
「あなた、どうしたの!?」
お兄様とお母様がびっくりして声を上げる。
お父様は椅子をガタッと鳴らして立ち上がると、そのままドタドタとものすごい足音を立てて、走っていってしまった。
◇
廊下を猛烈な勢いで駆け抜け、エーリヒは息を切らしながら離れの扉を勢いよく開け放った。
だが部屋には誰もおらず、大きく明け放たれた窓と、夕暮れ時の風にカーテンがなびいているだけだった。
「母上……?」
呆然と部屋を見渡したエーリヒは、テーブルセットの上にぽつんと一枚の羊皮紙が置かれているのを見つけた。
手に取ると、見慣れた母の筆跡でこう書かれていた。
『少し出かけてくる。この世で一番安全なところにいるので心配無用 レオニー』
「……この世で一番安全、か」
エーリヒは、その破天荒な文面に大きくため息をついたが、その顔に浮かんでいたのは呆れではなく、どこか安堵の入り混じった柔らかな笑みだった。
最近めっきりふさぎ込みがちだった母が、かつての血気盛んな姿に戻ったような気がしたからだ。
「やれやれ。お気をつけて」
エーリヒはなびくカーテンの向こう、黄金と群青が混ざり合う広い空を見上げながら、小さくつぶやいた。
◇
見慣れた領地の景色がみるみるうちに小さくなっていく。
信じられないことに、早馬の倍以上の速度で空を切り裂いているにもかかわらず、肌を刺すような風圧も、息苦しさも一切感じない。
流れていく眼下の雲を眺めながら、ふと亡き父・エドマンドの最期の日のことを思い出していた。
『……レオニーよ。実はお前に言うと酷く嫉妬するだろうと思い、今までずっと黙っていたことがあるのだ』
病床に伏し、いよいよ最期の時が近いと悟った父は、私を枕元に呼んで唐突にそう切り出した。
厳格で実直だった父が、いったい何を隠していたのかと身構えた私に対し、父はどこか誇らしげな、まるで少年のように目を輝かせた表情で続けたのだ。
『あのゼクセンとの戦の折、私はシュテルンフェルス城へ向かうため、ケイ殿と共に馬に乗って空を飛んだのだ。馬の背に輝く翼が生え、天を駆けた……。
あれは、生涯において最も美しい、素晴らしい体験だった』
『……は?』
『ずっと伝えたかったのだが、お前の性格を考えると恐ろしくてな。だが、もうすぐ逝く身だ。最後くらい、あの奇跡を独り占めしたことを自慢させてくれ』
父はそう言って、満足げに笑ったのだ。
その時の心境といえば、もう筆舌に尽くしがたい。
猛烈な嫉妬が湧き上がり、「なぜもっと早く言わなかったのですか!」と、危うく死にかけの父の胸ぐらを掴んで揺さぶりそうになったほどだ。
(……ええ。もちろん、今でも少し根に持ってはいますが)
だが、今こうして自分が空を飛んでみて、あの生真面目な父が、死の淵にあってもどうしても自慢したくなった気持ちも、痛いほどよくわかった。
「ふふっ……」
「ん? どうしたの、レオニー団長。何かいいことあった?」
かすかな笑み声に気づき、ケイ殿が不思議そうに小首を傾げる。
「いいえ。ただ……空を飛ぶのは、とても気持ちがいいものですね。そう思っただけです」
「そっか。よかった!」
ケイ殿は太陽のようにまぶしい笑顔を向け、さらに速度を上げた。
父上。申し訳ありませんが、あなたの自慢話はこれで帳消しです。
今、ケイ殿の隣でこの素晴らしい奇跡を独り占めしているのは、間違いなく自分なのですから。
私は心の中で密かに勝利宣言をした。




