幕間1 マジックアワー
「ケイ殿……っ、ああ、ケイ殿……!」
ユリアを見送って扉を閉めたあと。私はボロボロと涙をこぼしながら、その華奢な身体にすがりついていた。
あの日と全く変わらぬケイ殿が、そこにいた。
ケイ殿は嫌がるそぶりも見せず、子供をあやすように優しく背中を撫でてくれる。
「よしよし……身体は悪くないの?」
「……はい。歳をとっただけです。ずっと、ずっと……お会いしたかった」
喉が詰まって、それ以上は言葉にならなかった。
若い頃は『獅子姫レオニー』だの『鬼の騎士団長』だのと畏れられていたはずなのに、ケイ殿の前ではいつもこうしてべそべそと泣いてばかりだ。
それでも、彼女のぬくもりは昔と少しも変わらず、私の心を静かに満たしていった。
◇
やがて落ち着きを取り戻した私は、部屋の脇にあるテーブルセットへと彼女を招いて座らせた。
「本日は、どのようなご用でお越しに?」
目を赤くしたままたずねると、ケイ殿はふわりと微笑んだ。
「やっと、あの戦地跡の修復が終わったんだよね。それを伝えに来たんだけど……
もう、わたしの知っている人もだいぶ亡くなっているかもしれないと思ったから。レオニー団長なら元気かなって、会いに来たの」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。ケイ殿は我々のことを、ずっと気にかけてくださっていたのだ。
「そうでしたか……」
深くうなずいたその時。ケイ殿がキョロキョロと部屋を見回し、窓の脇にある棚へと視線を止めた。
「あれは何?」
「あ! いえ、あれは別にっ……!」
あわてて立ち上がり、棚の前に立ちふさがって隠そうとする。しかし、身軽なケイ殿はひらりと横をすり抜け、先回りして棚の上をのぞきこんでしまった。
そこには、スープ皿ほどの大きさの木の板に精巧に描かれた、ケイ殿の『聖画』が何枚も飾られている。
「何これ?」
しげしげと自分の絵を見つめるケイ殿に、観念して口を開いた。
「……教会が販売している、レヴィナ様の聖画です」
「聖画?」
「はい。数年おきに新しく二十種類ほどの描き下ろしに入れ替わりまして……購入時は中身が見えないよう封蝋がされているため、どの御姿が出るかわからない形式になっております」
「……」
ケイ殿の顔が引きつっている。私は赤くなる顔を両手で覆いながら説明を続けた。
「所持しているのは、苦労して手に入れた一番人気の満面の笑み、『みんな、だいすき』。そして次に人気の『しーっ、ひみつです♡』ほか、いくつかの稀少なものです。
……聞くところによれば、彼ら『聖教』は圧倒的な勢いで組織を拡大しており、この商売でもう一つ大聖堂が建てられるほどにうるおったとか」
「アイドル……生写真……ブラインド商法……」
ケイ殿は頭を抱えながら、聞いたこともない言葉を並べた。
「神様の絵だったら、ふつう全身像とか、神々しい感じだよね!? いったい誰が、こんな特定のシーンを提供したの!? 誰を問いつめればいいの!?」
「そ、それは……」
視線を泳がせながら答える。
「セリアが……すっかりケイ殿にメロメロになってしまいまして。教会に『こういったお姿の絵が良い』と熱心に伝え、自ら監修したそうです」
「セリアさんかぁぁぁ……」
ケイ殿は深い、深いため息をつき、テーブルに突っ伏して両手で頭を抱えこんだ。
「……まあ、いいけど」
しばらくして顔を上げたケイ殿は、どこか諦めたような、あきれたような表情でそうつぶやいた。
「……でも、これは恥ずかしいから没収です」
「そんな!」
◇
……辺境伯時代に培った弁舌を総動員し、なんとか没収は免れた。
しばらく何かを考えこむような素振りを見せていたケイ殿は、思いついたように顔を上げる。
「ねえ、レオニー団長。戦地跡を見に行かない?」
「今からですか?」
驚きで目を丸くした。あの激戦の地までは、馬を飛ばしても二日はかかる距離だ。
しかしケイ殿は、かつてと変わらぬいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
「飛んでいけば、一時間で着くよ。向こうで一緒にご飯にしよう。……せっかく作ったんだから誰かに自慢したいしね」
作った……? よくわからないが、その提案に胸が大きく高鳴った。
「ぜひ!」
全力でそう即答していた。
「では、準備しますね」
そそくさと立ち上がって、続きの間へと移動して支度を始める。
「他に誰か連れて行くー?」
背後からかけられたケイ殿の問いに、ゼロコンマ一秒の早さで返す。
「不要です!」
誰かを連れて行くなどあり得ない。四十年間、ずっと恋焦がれていたケイ殿との二人きりの逢瀬だ。誰の邪魔もされてなるものか。
万が一誰かが部屋を訪ねてきた時のために、手早く走り書きを残す。
そして衣装棚を開き、かつてケイ殿に渡した青いドレスに似たデザインの、赤いドレスを身にまとう。
白髪の混じる髪もきちんとセットし、久しくしていなかったメイクも手早く、念入りに施した。
「あー、この絵、腕の角度がちょっと違うんだよねー」
隣の部屋から自分の聖画を熱心に観察しているらしい声が聞こえてきて、思わず苦笑を漏らす。
やがて身支度を終え、部屋へ戻った。
「準備、できました」
少しの気恥ずかしさを抱えながら声をかける。
振り返ったケイ殿はニコニコと微笑んだ。
「レオニー団長、とってもきれいね」
「もう、おばあさんですから……」
照れ隠しにそう言うと、ケイ殿はくすっと笑って首をかしげた。
「わたしがいくつだと思ってるの?」
その言葉に、私たちは顔を見合わせ、同時にお互い吹き出してしまった。
◇
茜色の光が差しこむ部屋で、不意に窓が開く。
風が吹きこみ、カーテンが大きく舞い上がった。
黄金と群青が混ざる空を背に、いたずらっぽい笑みを浮かべたケイ殿が静かに膝をつく。
まるで運命に定められた舞踏会の始まりを告げるように、彼女は手を差し伸べた。
「――わたしと、踊っていただけますか?」
息をのむ。
夕陽に照らされたその美しい横顔は、さながら物語の王子のようだった。
ふるえる声で問い返す。
「……私で、いいんですか?」
ケイ殿はほほえむ。
迷いのない、まっすぐな眼差しで。
「あなたが、いいんです」
その言葉が胸の奥へ落ちた瞬間、世界から雑音が消えた。
そっと重なる指先。
次の瞬間、光がはじける。
無数の輝きが風に舞い、二人の背に煌めく翼が広がった。
夕陽を受けた羽根は金色に染まり、まるで空そのものから授けられた奇跡のようだった。
二人は手を離さない。
吹きぬける風に導かれるまま、窓辺へと歩みよる。
彼方には、夕焼けから星空へと変わりゆく広大な空。
その境界線へ向かって――
私たちは同時に舞い上がった。
BGMは『A Whole New World』あたりでヒトツ。
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