幕間1 獅子姫の黄昏
夕暮れ時、一人でお城の中庭をトテトテと歩いていた。
石畳が夕日でオレンジ色に染まる中、わたしの足は自然と止まった。
視界の端に、周りをキョロキョロしている見慣れない女の人を見つけたから。
金髪の、とても綺麗なお姉さんだった。
着ている服も見たことがない。騎士の人みたいにきちんとしているけれど、どこか女の人らしい、不思議な格好をしている。
迷子かな? そう思ったわたしは、少し勇気を出して、声をかけてみた。
「あの……なにか、おこまりですか?」
声に気づいたお姉さんが、こちらを振り返る。
目が合った瞬間、彼女はふわりとほほえんだ。
「こんにちは、お嬢さん。お友達を探しているんだけど、どこの部屋にいるかわからなくて」
とても素敵な笑顔だった。初めて会ったはずなのに、どこかで見たことがあるような、でもやっぱり知らないような、不思議な感覚が胸をよぎる。
「おともだちは、どなたですか?」
わたしが尋ねると、お姉さんは少し困ったように宙を見つめ、言い直すように口を開いた。
「レオニーだん⋯⋯いや、レオニーさん、かな」
その名前に、思わず目を見開いた。
「おばあさまのおともだちですね! わたしが、ごあんないします。おなまえを、きいていいですか?」
レオニーは、大好きなおばあさまの名前だ。おばあさまにこんなに若くて綺麗なお友達がいたなんて知らなかったけれど、大切なお客様に違いない。
胸を張って案内を申し出ると、お姉さんは嬉しそうに目を細めて答えた。
「ケイ」
ケイ。
それは、聞いたことがあるような、ないような、とても不思議な名前だった。
ケイさまを案内して、お城の中へと足を踏み入れる。
大理石の廊下を歩いていると、後ろをついてくるケイさまが優しく声をかけてきた。
「お嬢さんのお名前は?」
わたしは立ち止まり、ドレスの裾をそっとつまんで振り返る。そして、お母様から教わったばかりのカーテシーを披露した。
「ユリアです。ほんじつは、よくいらっしゃいました」
がんばって挨拶をすると、ケイさまはニコニコと嬉しそうに目を細めた。
並んで歩き直しながら、気になっていたことをたずねてみる。
「ケイさまは、おばあさまとは、いつ、おあいしたのですか?」
「昔、一緒に戦ったことがあるの」
「そうなんですね!」
思わず、隣を歩く彼女の姿をしげしげと見上げてしまった。
こんなにきれいで細いお姉さんなのに、おばあさまと一緒に戦ったなんて、すごい。
騎士の人みたいな不思議なお洋服を着ているのも、なんだか納得できた。
本城の長い廊下を通り抜け、おばあさまが暮らしている静かな離れへと向かう。
階段を登る間も、ケイさまはわたしの歩幅に合わせてゆっくり歩きながら、いろんなお話をしてくれた。
その声は春の風のように心地よくて、初めて会ったばかりなのに、不思議と心が落ち着く。
やがて、目的の大きな扉の前にたどり着いた。
重厚な木の扉を前にして、ケイさまに向き直る。
「こちらになります。しょうしょう、おまちください」
ケイさまがにこやかにうなずいたのを確認してから扉に向かって、中にいるおばあさまへ聞こえるように少し大きな声を出した。
「ユリアです。おばあさまの、おともだちが、おこしになりました」
◇
齢を重ねて、床についている時間が増えた。
ホッホブルクの命運を分けたあの激戦から、もう四十年ほどの歳月が経つ。まだ身体は動くとはいえ、かつてのように剣を振るう元気はもう、ない。
主人は早逝し、息子のエーリヒに辺境伯の地位も譲った。否応なく自分の時間ができてからというもの、どうにも気持ちのほうが先に老け込んでしまったようだ。
静かな部屋で一人まどろむ時、思い返すのは決まってレヴィナ様……いや、ケイ殿のことばかりだ。
今にして思い返すと、私はあの時、確かに恋をしていたのだと思う。
それは男女の恋愛という意味ではなく、純粋で強烈な憧れの情だ。私よりもずっと華奢で美しく、周りに優しく、いつも明るくまっすぐなのに、誰よりも賢くて強い。
堅物で、自分にも周りにも厳しく、いつも眉間にしわを寄せていた私とは真逆に見えた。笑顔がまぶしかった。あのようになりたい、と密かに想った。
そんなケイ殿に命を救っていただいた。美しい白銀の翼に抱かれた。
ケイ殿ともっと話がしたかった。彼女の歌も聴きたかった。ずっとそばにいたかった。
それは結局かなわぬ願いとなったが、『短い間でも、女神様のそばに居られただけで僥倖と思うしかないのだ』と自分に言い聞かせ、ひたすら仕事に没頭して寂しさを忘れるように生きてきた。
だが、こうして時間ができた今、どうしても思い返す回数が増えてしまっている。
――コンコン。
ふいに、ドアをノックする音が静寂を破った。
「ユリアです。おばあさまの、おともだちが、おこしになりました」
ドアの向こうから、孫娘であるユリアの愛らしい声が聞こえる。
お友達……?
こんな年寄りを訪ねてくるような友人など、もう数えるほどしか残っていないはずだが。
「ユリアや、お友達はどなたかい?」
ベッドから身を起こし、少しかすれた声で尋ねる。
すると、ユリアは無邪気な声で、はっきりとこう答えた。
「ケイさま、とおっしゃっています」
――ドクン、と。
老いたはずの心臓が、若々しく大きく跳ねる。
毛布を跳ねのけてベッドから飛び起きると、もつれそうになる足で駆け出し、勢いよく扉を開け放った。
◇
バタンッ! と勢いよく目の前の扉が開いて、思わず肩をビクッとふるわせてしまった。
飛び出してきたおばあさまは、後ろに立つケイさまを見て、信じられないといった顔で目を大きく見開いている。
おばあさまがこんなに驚いた顔をするのは初めて見た。きっと、ものすごく長い間会っていなかった、特別なお友達なのだろう。
ケイさまはわたしを見て、優しい声で言ってくれた。
「ユリアちゃんも、一緒にいてもいいよ」
けれど、おばあさまは首を横に振った。どうしてもケイさまと二人きりで、大事なお話がしたいみたいだった。
そろそろお夕食の時間も近いし、わたしはお部屋に戻ることにした。
「ユリアや。メイドに、今日のわたしのお夕食はいらないと伝えておくれ」
おばあさまにそう頼まれた。きっとお部屋の中で、ケイさまと二人きりで特別なお食事をするのかな。
元気よくうなずいて引き受けると、ケイさまがニコッと笑って頭を撫でてくれたので、わたしは少し得意げな気持ちになった。
「ケイさま、ごきげんよう」
お母様に教わった通りにカーテシーでお別れの挨拶をすると、わたしは二人を残して離れを出た。
自分の部屋に戻るため、本城の長い廊下をトテトテと一人で歩く。
壁に飾られている一枚の大きな肖像画の前で、わたしの足は自然と止まった。
いつも当たり前のように見上げていたその絵の顔と、さっきまでふわりとほほえんでくれていた、お姉さんの顔。
あ……そうか。
金色の髪も、不思議な雰囲気も。初めて会ったはずなのに、どこかで見たことがあるような気がしたのも。
おばあさまが、あんなに驚いていた理由も。
わたしは肖像画を見つめたまま、ぽつりとつぶやいた。
「めがみさまだ」




