第31話 祝福
数日後。
城塞都市シュテルンフェルスでは、ゼクセン帝国軍を退けた戦勝祭りが大々的に開催されていた。
街中はいたる所に飾りが施され、活気に満ちあふれている。大聖堂の神官たちも総出で協力し、神への感謝の祈りと共に、人々に炊き出しや祝いの酒が振る舞われていた。
祭りの最後には、城のバルコニーから眼下の広場へ向けて、エドマンドさんやレオニー団長が領民に手を振る一大イベントが予定されている。
バルコニーへと続く控えの間には、軽騎兵隊として前線で戦い抜いた精霊騎士団の二十名、エドマンドさん、レオニー団長が集まっていた。
わたしはこの城へやって来た時と同じ、青いトレンチコートとパンツスタイルに戻り、古びた革のカバンをしっかりと握っている。
「下を見てよ、こんなに領民のみんなが喜んでる」
窓の外の熱狂を指差してにっこり笑うと、レオニー団長が複雑な表情で口を開いた。
「それは……レヴィナ様のご降臨のせいでは……」
その言葉をさえぎるように、ツンッとレオニーの頬を指でつつく。
「『ケイ』って呼んで、って言ったよね」
「あっ……申し訳ありま……いえ」
頬を押さえながら言葉に詰まるレオニーを見て、わたしはくすくすと笑った。
◇
バルコニーに設えられた長管のラッパが高らかに鳴り響き、数万の群衆の歓声を切り裂いた。
同時に手すりから三枚の巨大なタペストリーが勢いよく垂らされる。
一枚目は、青地に金色の城と風車が描かれた、ホッホブルク辺境伯家の本紋。
二枚目は、赤地に黄色の猛る獅子と蝶が配置された、英雄たる精霊騎士団長レオニーの紋章旗。
領主と獅子姫の旗が並び立ち、群衆から割れんばかりの歓声が上がろうとした、その時。
中央に垂らされた『三枚目のタペストリー』を見て人々は息を呑んだ。
それは――銀糸が織り込まれて白銀に輝く錦織を背景に、金糸で精巧に縫い取られた『麦穂を抱く女神の横顔』の意匠。
「さあ、皆の者、行くぞ」
エドマンドさんの号令で、精霊騎士団、レオニー団長、そしてエドマンドさんの順で一人ひとりバルコニーへと歩み出ていく。
眼下に広がる数万の領民から、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。
◇
部屋の影からこっそりと、広場を埋めつくす人々の笑顔を見下ろす。いよいよ最後、わたしの番だ。
さて、と。
バルコニーにいるみんなに向き直る。
「じゃあ、わたしは行くね」
こちらを向いたエドマンドさんは一瞬目を丸くしたけど、すぐに感情を押し殺すように唇を噛み締め、深く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
「え……?」
状況が飲みこめず戸惑うレオニー団長。その脇で精霊騎士団の面々が一斉に片膝をつき、頭を垂れる。
わたしは大好きなホッホブルクの、大好きな仲間たちに、満面の笑みを向けた。
「みんな、だいすき」
その場にいた全員が、なぜかカッと顔を赤くして固まってしまう。
クスッと笑って、心の中で唱える。
別れるときに使おうと、帰りの馬車の中で設計した精霊式。
――みんなに、希望を。
『精霊式』
『女神降臨』
その瞬間。精霊たちが上空の氷の結晶を瞬時に調整し、太陽の周りに虹色の巨大な光の輪――美しい『日暈』がくっきりと出現する。
歓声にあふれていた広場が、何かが起こると察して静まり返った。
バルコニーへと歩み出るたび、硬質な音を刻む踵。
衣服を優しく包み込む水蒸気のヴェール。
精霊たちの手で一気に書き換えられていく光の屈折。
いつもの青いコートは光の粒子をまとい、煌めく純白のドレスへと姿を変えた。
バルコニーの左右に分かれ、息を呑んで目を奪われている仲間たち。
驚き、見つめる彼らの間を、淡い燐光を軌跡のように残しながら、わたしは歩いていく。
手すりの前で、背中からまばゆい光を放つ白銀の翼を大きく生え広げる。
そのまま、羽ばたきを一つ。
わたしの身体はふわりと手すりを越え、重力から解き放たれたように五メートル先の虚空へと浮かび上がった。
巨大な日暈をバックに、煌めく純白のドレスと白銀の翼を広げて神々しく空中に佇む、完璧な「女神」の姿。
広場の最前列に陣取っていた大聖堂の神官たちが一斉に跪き、ふるえる声で祈りを捧げ始めた。
領民たちも次々とそれにならい、祈りの輪が波のように広がっていく。
周りには数えきれないほどの精霊たちが大きくゆるやかに、渦を巻いて飛んでいた。
(ふふっ、ちょうどいい演出だね)
わたしは、彼らに最後の魔法をかけた。
『精霊式』
『精霊可視化』
◇
広場を埋めつくす人だかりの中で、親父といっしょに戦勝祝いを見に来たオレは、息をするのも忘れて空を見上げていた。
「あ……ああっ……」
ついこの間まで、ゼクセン帝国軍が押しよせてくると聞いてて、生きた心地がしなかった。
親父と手塩にかけて育ててきた麦畑も全部踏み荒らされて、オレたちも殺されちまうんだって。みんな絶望してたんだ。
だけど、今お城の前に浮かび上がった女神様のお姿は、そんな不安を全部吹き飛ばしちまうほど、すげえ神々しかった。
キラキラしたドレスに、背中に広がる白銀の翼。空にはお日様を囲む虹色の輪っかが出てる。
ガキの頃から大聖堂のステンドグラスで何度も見た、『豊穣の女神様』そのままのお姿だった。
気がついたら、オレは冷たい石畳に両膝をついて、無我夢中で手を合わせていた。隣にいる親父も、泥だらけの顔をくしゃくしゃにして、涙と鼻水を流しながら祈ってる。
その時だった。
空に浮かぶ女神様が、ふっと何かをつぶやいたように見えた瞬間――。
何もないはずの空中に、ぽわっ、ぽわっと光が現れたんだ。
それはあっという間に、色とりどりのすっげえ数の光の蝶になって、女神様の周りをぐるぐると大きな渦を巻いて回り始めた。
「これは……」
「光だ! 女神様が奇跡を起こされたぞ!」
お城の辺境伯様や、すげえ強い騎士様たちでさえ、信じられないもんを見るように目を丸くしてる。
女神様はそのまぶしい光の蝶たちと一緒に、ゆっくりと高い空へ昇っていく。
そして渦の勢いが一番すげえことになった時、太陽みたいにとびっきりの笑顔で、領地中に響き渡る声で叫ばれたんだ。
「みんな、幸せになれーーーっ!!」
その言葉を合図に、でっかい光の渦がぶわっと弾けた。
ものすごい数の光の粒がまるで祝福の紙吹雪みたいに、ホッホブルクの空から頭の上に優しく降り注いでくる。
オレは思わず、光に手を伸ばした。
◇
それは屋台の店主にも、路地裏の少年にも、麦の収穫に汗する農民たちにも、領民すべてに降り注ぐ。
光を手のひらで受け止めた大聖堂のバルガス司祭は、深い歓喜にむせび泣きながら祈りを捧げている。
気象研究所の丘から空を見上げていたクラウス主任は、舞い落ちる光を力強く握りしめ、未来へ技術をつなぐという強烈な決意をその瞳に宿していた。
政務室の窓辺に立つバルテル大臣は、青ざめていた顔から一転、安堵と感動の涙をボロボロとこぼして鼻をすすっている。
光の欠片を手にしようとバルコニーから身を乗り出すミーナやクロエを、あわてて引き上げるイルザたち。
カリンとエレナは楽しそうに光を取り合い、セリアは手のひらに落ちた光を見つめ、ほうっと熱い吐息をつきながら頬を染めている。
エドマンドはケイのいる方向へ、いつまでも深く頭を下げ続けていた。
そして、シュテルンフェルスの城外。
急を要して馬を飛ばし、たった今到着したばかりのヴォルケン国王ルドルフは、城の上空で弾ける巨大な光の奇跡を見上げ、馬上で呆然とつぶやいた。
「……間に合わなかったか」
王は、舞い落ちる光の欠片を手に、ただ苦笑するしかなかった。
バルコニーから空を見上げるレオニー。
降り注ぐまばゆい光の紙吹雪の中で、彼女の瞳からは、とめどなく大粒の涙があふれ落ちる。
やがて、光が空気に溶けて完全に消え去ったあと。
澄み渡る青空に、ケイの姿はもうどこにもなかった。
(第二章 完)
第二章完結です!
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