第29話「二人ぶんの記憶で、運命を書き換える」
そして、卒業の舞踏会。
原作で、悪役令嬢ヴィオラが断罪される夜だ。
大広間のシャンデリアは、建国祭の夜よりさらにまばゆい。磨き上げられた床。着飾った貴族たち。弦楽の調べ。——前世で何百回も見た、断罪スチルと同じ舞台装置だ。ドレスの下で、膝が少しだけ震えている。
私はロロと、セレスティアと、ひそかに目を合わせた。準備はできている。断罪フラグは二本とも折った。ミリアとジルベールは相思相愛。あとは何事もなくこの夜が終わればいい。
けれど——運命は、そう簡単には引き下がらなかった。
「ヴィオラ・ベルクハイト」
声を上げたのはなんと国王陛下だった。
音楽が止む。何百の視線がいっせいに私に刺さった。
「そなたには、第二王子ジルベールとの婚約を進める話があったが……近頃、不穏な噂も多い。先の建国祭の騒ぎも、耳に入っておる。この場で、はっきりさせておきたい」
——まずい。原作にない、イレギュラー。
血の気が引いていく。偽手紙の一件はセレスティアの断罪未遂で終わったはずだ。けれど「公爵令嬢をめぐって何かあったらしい」という噂だけは、社交界を勝手に泳ぎ回る。陛下が直々に、私を試そうとしている。下手をすれば、ここで、別の形の断罪が始まる。
原作にない場面。私一人の記憶じゃ、正解がわからない。
そのとき、斜め後ろに控えていたロロがドレスの裾を直すふりをして、すっと耳元に囁いた。
「隠しルートの裏設定、覚えてます? 建国王の遺訓。『王族の伴侶は、家格ではなく心で選ぶべし』。第二王子の婚姻なら、先例があります」
——それだ。
攻略サイトの隅の隅。廃課金の私ですら読み飛ばした、設定資料の一行。この子はそれを覚えていた。
私は息を吸って、一歩前へ出た。公爵令嬢が公式の場で、自ら縁談を辞退する。家名に傷がつくかもしれない。お父様は青筋を立てるかもしれない。それでも構わない。私の人生の筋書きは私が書く。
「恐れながら、陛下」
声は自分でも驚くほど通った。
「わたくし、ジルベール殿下との婚約を、辞退させていただきとう存じます」
広間がどよめいた。「辞退ですって」「公爵家の令嬢が、自ら?」——ざわめきが波のように広がっていく。陛下がわずかに身を乗り出した。
「……理由を聞こう。それは、ベルクハイト公爵家の総意か」
「わたくし個人の願いにございます。家格で申せば、身の程知らずは承知の上。ですが——建国王のご遺訓に、こうあると聞き及びます。『王族の伴侶は、家格ではなく心で選ぶべし』と」
私はまっすぐに陛下を見た。
「殿下には、すでに、心を交わすお相手がいらっしゃいます。ミリア・フォルト男爵令嬢。お二人の仲を、わたくしは、誰より近くで見てまいりました」
ジルベールがはっとミリアを見る。ミリアの頬が赤く染まる。
「身分の差は、ございましょう。されど——」
私はセレスティアに目をやった。彼女が進み出る。ドレスの裾をさばく音が、静まり返った広間に涼しく響いた。
「ハーミア侯爵家が、ミリア様の後ろ盾となりましょう。家格の不足は、わたくしが補います」
味方がいる。一人じゃ、ない。
陛下は長いこと黙っていた。玉座の肘掛けを、指がこつこつと叩く。その一打ごとに私の心臓が縮む。やがて、陛下はジルベールに問うた。
「ジルベール。そなたの、心は」
ジルベールがまっすぐ、ミリアの手を取った。
「僕は、ミリア嬢と、共に生きたい」
一拍の沈黙。それから陛下はふっと息を吐いた。
「……建国王の遺訓まで持ち出されては、是非もない。よかろう。心のままに」
——書き換わった。
断罪されるはずだった夜が。悪役令嬢が消えるはずだった舞台が。
二人ぶんの——いや、みんなの力で、まったく違う結末へと。
私は自由になった。誰にも断罪されず、誰も傷つけずに。
そっとロロの手を握る。ロロが握り返してくれた。その手のひらは私と同じくらい、じっとり汗ばんでいた。
「……お嬢様、手汗」
「あなたもでしょ」
運命は書き換えられる。
二人なら——いや、みんなでなら、きっと。
次話:「悪役令嬢の、いちばん穏やかな朝」




