第82話「隼の言葉」
夏の終わりに、隼から連絡が来た。
「久しぶりに三人で飲まない?」
そのメッセージを見て、リアは少し驚いた。三人というのが誰を指すのか、すぐには分からなかった。
「三人って?」と返すと、すぐに返信が来た。
「俺とリアさんと咲良」
その言葉に、リアは小さく笑った。三人という数字に、もう一人が含まれていないことに、改めて気づかされた。
指定された居酒屋に行くと、隼は既に来ていた。大学を卒業して、地元の企業で営業をしていると聞いていた。日焼けした顔は、学生時代とあまり変わっていなかった。
「久しぶり」隼が手を上げた。
「久しぶり」
咲良も少し遅れて到着した。三人で乾杯をした。
隼は相変わらずよく喋った。仕事の愚痴、上司の話、最近ハマっているという趣味の話。リアはその話を聞きながら、懐かしさを感じていた。
「リアさんは、カウンセラーやってるんだっけ」隼が聞いた。
「うん」
「すごいよな。人の話聞くの、大変そう」
「大変だけど、やりがいはある」
「咲良は記者だろ。二人とも、ちゃんとした仕事してんだな」隼は少し笑った。「俺なんて、営業成績で毎月怒られてるよ」
「隼らしいね」咲良が言った。
「なんだよそれ」
三人の間に、学生時代と変わらない空気が流れていた。
しばらく飲んで話が一段落したとき、隼がふと言った。
「そういえばさ」
その前置きに、リアは少しだけ緊張した。
「蒼、どこ行ったんだろうな」
その名前が出た瞬間、店内の喧騒が一瞬だけ遠くなった気がした。
咲良がリアの顔をちらりと見た。
「連絡くらいくれればいいのに」隼は続けた。「あいつ、卒業前に急にいなくなったじゃん。心配してたんだぞ、俺」
隼の声には屈託がなかった。ただ純粋に友人を懐かしんでいる声だった。
「さあね」リアはそう答えた。
その一言に多くのものが詰まっていた。でも隼には、その重さは伝わらなかった。
「体調悪くて休んだって聞いたけど、そのまま卒業式にも出なかったし」隼は続けた。「あれから一回も会ってないんだよな」
「そうなんだ」
咲良が静かに相槌を打った。
「あいつ、今頃どこで何してるんだろ」隼はビールを一口飲んで言った。「海外行った、みたいな噂も聞いたけど、本当かどうか分かんないし」
その噂はあながち間違っていなかった。でも隼にその真実を話すことは、リアにも咲良にもできなかった。
「元気にしてるといいけどな」隼は言った。「あいつ、いいやつだったから」
その言葉がリアの胸に静かに刺さった。
いいやつだったから。
その言葉を蒼自身が講堂であの夜、口にしていたことを思い出した。
隼には本当にいいやつだよと言われたことを伝えるつもりはない、と蒼は言っていた。
その約束を蒼は今も守っているのだろうか。
「リアさん」隼がふと呼びかけた。
「うん」
「あいつと何かあったの」
その質問に、リアは少しの間答えられなかった。
「なんとなく聞きにくくてさ、ずっと」隼は言った。「でも卒業してからもう五年だし。そろそろ聞いてもいいかなって」
咲良がリアの方を見た。答えるかどうかリアに委ねる目だった。
「色々あった」リアはゆっくりと言った。「でも今は、うまく言えない」
隼はその答えを聞いて少し考える顔をした。
「そっか」隼は言った。「無理に聞かないよ」
その言葉にリアは少しだけ安堵した。
「ただ」隼は続けた。「もしまた会うことがあったら、俺のことも思い出してほしいって伝えといて」
その言葉の純粋さに、リアの胸がまた締め付けられた。
隼は何も知らない。蒼がどれほど深い闇を抱えていたか。どれほど多くの人を傷つけてきたか。その全てを知らないまま、ただ友人として蒼を懐かしんでいた。
その無知が、今のリアには救いのようにも感じられた。
「伝える機会があったら伝える」リアは言った。
その言葉に嘘はなかった。もしいつか蒼と再会することがあれば、この言葉を伝えるだろう。
「よし」隼は明るく言った。「じゃあ次の話題行こう。俺の会社のパワハラ上司の話、聞いてくれ」
その切り替えの早さに咲良が笑った。リアも少しだけ笑った。
夜が更けていく中、三人の会話は続いた。
蒼の話はそれ以上深く掘り下げられることはなかった。
でも隼が発したあの言葉は、リアの中に静かに残り続けた。
あいつ、いいやつだったから。
その言葉と、蒼自身が言った言葉がリアの中で重なっていた。
隼によろしく、あいつは本当にいいやつだった。
その二つの言葉が、時を超えてようやく繋がったような気がした。
店を出て、三人で駅まで歩いた。
「また誘うわ」隼が言った。
「うん、また」咲良が答えた。
リアも頷いた。
隼と咲良と別れ、一人で電車に乗った。
窓の外を流れる夜の街を眺めながら、リアは隼の言葉をもう一度心の中で繰り返していた。
もし、また会うことがあったら。
その「もし」がこれから先、現実になることがあるのか、リアにはまだ分からなかった。
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