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【完結済】桜渓の孤星  作者: 筑紫隼人
第9章「孤星、未来を望む」

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第81話「咲良と」

土曜の午後、駅前のカフェで咲良と会った。


月に一度くらいの頻度で二人はこうして会っていた。約束をするわけではない。どちらかが「空いてる?」と送って、空いていれば会う。それだけの緩やかな習慣だった。


咲良は新聞記者になっていた。地方紙の社会部で、事件や事故の取材を担当していると聞いていた。


「最近、忙しい?」


リアが聞くと、咲良は小さく笑った。


「忙しくない時期がない」


「変わらないね」


「変わらないよ」


コーヒーを頼んで、しばらく他愛のない話をした。仕事のこと、共通の知人の近況、テレビで見た番組の感想。


蒼の話は出なかった。


出ないことが、もう自然になっていた。二人ともあえて避けているわけではない。ただ話す必要がないところまで、時間が二人を運んでくれていた。


咲良の父のことは、あれから一度も話題にしていない。飲酒運転の隠蔽がどうなったのか、どんな結末を迎えたのか、リアは詳しくは知らなかった。聞かなかった。咲良も話さなかった。


それでいいのだと、リアは思っていた。


言葉にしなくても伝わっているものがあった。


「最近、良い記事書いた?」


リアが聞くと、咲良は少し得意げな顔をした。


「地元の福祉施設の特集、反響あったよ」


「読みたい」


「送っとく」


その会話に含みはなかった。ただの日常の報告だった。


でもその日常の報告の裏に、二人だけが知っている過去が静かに横たわっていた。


咲良はあの春、蒼から脅迫を受けていた。父の秘密を握られ、正義を貫くことができなかった。その傷は今も咲良のどこかに残っているはずだった。


リアも同じように傷を抱えていた。


二人はその傷について深く語り合うことはなかった。それでも互いがその傷を知っているという事実だけで十分だった。


「弓道、まだ続けてるの」咲良が聞いた。


「月一くらい」


「体力落ちてない?」


「落ちてるかも」


咲良が笑った。


「昔は全国レベルだったのに」


「昔の話」


その言葉に二人とも少しの間、黙った。


昔の話。その言葉が指す範囲が単に弓道の実績だけではないことを、二人とも分かっていた。


「カウンセラーの仕事、どう」咲良が話題を変えた。


「難しいよ」リアは正直に答えた。「でもやりがいはある」


「そうだよね」


「咲良の記事も、誰かを助けてると思う」


「分かんないけどね」咲良は肩をすくめた。「でも書き続けるしかない」


その言葉には記者としての覚悟のようなものが滲んでいた。


しばらく二人は静かにコーヒーを飲んだ。


窓の外を人々が行き交っていた。土曜の午後らしい穏やかな時間だった。


「あのさ」咲良が、ふと言った。「たまに思うんだけど」


「何」


「私たち、あの頃のこと、もっと話した方がいいのかな」


その問いかけに、リアは少し考えた。


「話したい?」


「分かんない」咲良は言った。「話したいような、話したくないような」


「私も同じ」


咲良は少し笑った。


「じゃあ今のままでいいのかもね」


「うん」


言葉より沈黙の方が正確なことがある。二人はそのことを既に知っていた。


同じ傷を持つ者として、多くを語らなくても互いにとって必要な存在であり続けること。それが五年をかけて、二人がたどり着いた距離感だった。


「そろそろ帰るね」咲良が言った。「明日、朝から取材」


「うん、気をつけて」


「また連絡する」


「うん」


咲良が席を立った。会計を済ませ、カフェの外まで二人で歩いた。


「じゃあ」咲良が言った。


「うん、また」


咲良はいつものように、あっさりと背を向けた。振り返らずに駅の方向へ歩いていった。


リアはその背中を、しばらく見送った。


咲良と過ごす時間は、いつも短く、そして確かだった。


多くを語らなくても、必要なときに必要な分だけそばにいてくれる。それが咲良という存在だった。


一人になって、リアは来た道とは反対の方向へ歩き始めた。


夕方の光が街路樹の影を長く伸ばしていた。


咲良との時間を思い返しながら、リアはふと自分の中にある感覚に気づいた。


孤独ではなかった。


一人で歩いていても完全な孤独ではない。咲良がいる。颯太がいる。仕事で出会う人々がいる。


それでも埋まらない部分が確かにあった。


その部分の形を、リアはもう五年間見つめ続けていた。


夕暮れの空を見上げた。


雲がゆっくりと流れていた。


その空の下で、リアはまた少し歩みを進めた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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