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【本日完結!】桜渓の孤星  作者: 筑紫隼人
第8章「落日の対峙」

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第78話「泣かなかった」

扉が閉まる音が、講堂の中に響いた。


その音が消えても、私は動かなかった。


手の中の指輪を握りしめたまま、暗闇に立ち尽くしていた。


泣くと思っていた。


蒼は、そう言った。


私も、そう思っていたのかもしれない。


今日、この講堂ですべてを話したら、涙が止まらなくなる。


そう思っていた。


でも、涙は出なかった。


なぜだろう。


自分に問いかけても、答えは出てこない。


ただ、体の中が驚くほど静かだった。


嵐が去った後の凪。


そんな言葉が、一番近かった。


膝から力が抜けた。


その場に座り込む。


講堂の床は冷たかった。


今は、その冷たさだけが確かだった。


指輪を、もう一度見る。


薄暗い光の中でも、いつもと同じ形をしていた。


何も変わっていない。


変わったのは、この指輪が持つ意味だけだった。


蒼は、私を「完成のピース」だと言った。


愛されることが、怪物としての完成だとも。


その言葉を、頭の中で繰り返す。


何度繰り返しても、涙は出なかった。


代わりに、別の何かが体の奥から湧き上がっていた。


怒りとは違う。


悲しみとも、少し違う。


もっと静かで、確かなもの。


その正体は、まだ分からなかった。


どれくらい、そうしていたのだろう。


やがて、立ち上がった。


膝に力を込める。


少しふらつきながら、扉へ向かった。


扉を開ける。


夜の冷たい空気が、頬に触れた。


外は、もう完全に暗かった。


校舎の灯りが、遠くにいくつか見える。


私は、その場に立ったまま夜空を見上げた。


星は、ほとんど見えない。


都会の夜は、いつもこうだった。


それでも今夜は、見えない星の位置を想像していた。


蒼は今頃、どこにいるのだろう。


そう思った自分に、少し驚いた。


もう、彼のことを心配している。


「憎めなかった」


蒼が言った言葉が、胸の中に残っていた。


明日は卒業式だ。


その日常が、まだ続いていることが不思議だった。


蒼がいなくなっても、世界は何も変わらない。


夜は深くなり、明日は来る。


その当たり前が、今夜は少しだけ救いだった。


家に帰ると、颯太がリビングでテレビを見ていた。


「おかえり」


いつも通りの声だった。


「ただいま」


自分の声も、いつもと変わらない。


颯太は私の顔を見ると、少しだけ表情を変えた。


「姉ちゃん」


「なに?」


「何かあった?」


「うん。少し」


颯太は、それ以上聞かなかった。


ただ、私の隣に座った。


二人で何も言わず、テレビの音を聞いていた。


「明日、卒業式だね」


颯太が、ぽつりと言った。


「そうだね」


「頑張ってね」


その一言に、胸が少し詰まった。


泣きそうになった。


でも、やっぱり涙は出なかった。


自室に戻る。


ベッドに腰を下ろし、指輪を机の上に置いた。


窓の外を見る。


夜は、ゆっくり更けていった。


明日、蒼は逮捕されるかもしれない。


もう、姿を消しているかもしれない。


どちらなのか、私には分からない。


スマートフォンを手に取る。


咲良からメッセージが来ていた。


「今日、蒼くんと話した?」


少し考えてから、返す。


「話した」


すぐに既読がついた。


「大丈夫?」


大丈夫。


その言葉が、今の私に当てはまるのか分からなかった。


「分からない」


正直に送った。


少しして、返信が来る。


「明日、学校で話そう」


「うん」


それだけ返して、スマートフォンを机に置いた。


ベッドに横になる。


天井を見つめた。


泣かなかった。


そのことが、まだ引っかかっている。


蒼が予測していたものとは、違う何かが、自分の中に残っている。


それが何なのか。


今は、まだ分からない。


目を閉じた。


眠れる気はしなかった。


それでも、そのまま目を閉じていた。


やがて、夜が少しずつ薄れていく。


明日が、近づいていた。


そして私は、まだ知らなかった。


卒業式の日に、もう一度、蒼の残したものと向き合うことになるとは。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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