第76話「覚悟してたのに」
「私は、覚悟してたのに」
その言葉が、口から零れた瞬間、蒼の表情が、初めてはっきりと動いた。
これまでの、静かで穏やかな表情が、わずかに崩れた。
「覚悟」蒼は繰り返した。
「共犯だったって、話した」私は言った。「罪に問われることも、覚悟してた。犯罪者の恋人って呼ばれることも、覚悟してた」
蒼は、何も言わなかった。
「あなたと一緒に、償う覚悟だった」私は続けた。「それなのに」
声が震えた。涙が、頬を伝った。
「あなたは、全部、一人で、終わらせようとしてる」
蒼は、私を見つめたまま、動かなかった。
「私を、外側に置いたまま」私は言った。「あなただけが、全部を背負って、消えようとしてる」
講堂の暗闇の中で、蒼の目が、微かに揺れているのが見えた。
「なんで」私は言った。「なんで、一緒に、背負わせてくれないの」
蒼は、しばらく答えなかった。
その沈黙の中で、私は、蒼の顔を、じっと見ていた。
いつもの、整った表情ではなかった。何かに耐えているような、そんな顔だった。
「リア」蒼は、ようやく口を開いた。
その声が、少し掠れていた。
「君は、本当に」蒼は続けた。「僕を、止めようとした」
「止めたかった」私は言った。「今も、止めたい」
「それが」蒼は言った。「僕の予測していた範囲を、超えていた」
その言葉に、少し戸惑った。
「予測」私は聞いた。
蒼は、静かに頷いた。
「僕は」蒼は言った。「リアが、泣くと思っていた」
その言葉の意味を、考えた。
「今日、ここで、全部を話したら」蒼は続けた。「リアは、泣いて、僕を、責めるだろうと思っていた」
「それが」
「それだけだと思っていた」蒼は言った。「でも君は、覚悟していた、と言った」
蒼の声に、初めて、動揺に近いものが混じっていた。
「覚悟していた、というのは」蒼は続けた。「僕と一緒に、償おうとしていた、ということだ」
「そうだよ」私は言った。「最初から、そのつもりだった」
蒼は、しばらく黙っていた。
その沈黙が、これまでのどの沈黙とも、違って感じられた。
何かを、処理しきれずにいるような、そんな沈黙だった。
「僕は」蒼は、ようやく言った。「そこまで、考えていなかった」
その告白に、私は驚いた。
蒼が、何かを考えていなかった、と認めるのを、初めて聞いた気がした。
「全部を、想定していたはずだった」蒼は続けた。「証拠の書き換え。逃走の準備。リアが、僕を止めようとすることも。全部」
蒼は、一度、言葉を切った。
「でも、君が、泣かずに、覚悟していた、と言うことは」蒼は言った。「想定していなかった」
その言葉に、講堂の空気が、また少し変わった気がした。
「なんで」私は言った。「なんで、泣くと思ってたの」
蒼は、少しの間、答えなかった。
「僕がしたことを知れば」蒼はゆっくりと言った。「普通は、恐怖を感じる。僕を、拒絶する」
「私は」
「君は、拒絶しなかった」蒼は言った。「今も、僕のそばにいようとしている」
その言葉に、自分でも、驚いた。
蒼を拒絶しなかった、という事実を、今、蒼の口から、改めて聞かされて。
「私は」私は言った。「あなたを、憎めない」
蒼は、私を見つめたまま、動かなかった。
「憎めるはずなのに」私は続けた。「憎みたいのに、憎めない」
涙が、また、頬を伝った。
「それが、私の、覚悟だった」私は言った。「あなたと一緒に、この先も、生きていく覚悟」
蒼の表情が、さらに、揺れた。
これまで、どんな場面でも、崩れなかった蒼の顔が、今、確かに、揺らいでいた。
「リア」蒼は、静かに、私の名前を呼んだ。
その声に、これまで聞いたことのない、何かが混じっていた。
「僕は」蒼は言った。「君を、間違えていたのかもしれない」
「間違えて、って」
「君が、もっと、弱い人間だと思っていた」蒼は言った。「守らなければならない、壊れやすい存在だと」
その言葉に、複雑な感情が、湧き上がった。
「でも、君は」蒼は続けた。「僕が思っていたより、ずっと、強い」
強い、という言葉が、これまでの蒼の観察と、少し違う響きを持っていた。
「それでも」私は言った。「あなたは、逃げるんだよね」
蒼は、しばらく答えなかった。
「僕の決意は」蒼は、ようやく言った。「変わらない」
その言葉に、胸が痛んだ。
蒼が、私を見誤っていたと認めても、その結論は、変わらなかった。
「なぜ」私は言った。「私が、強いと分かっても、変わらないの」
蒼は、静かに、私を見た。
「僕がしたことは」蒼は言った。「消えない。強くても、弱くても、リアが、背負う必要のないものだ」
その答えに、また涙があふれた。
蒼の決意は、揺るがなかった。
でもその揺るがない決意の奥に、今、初めて、蒼自身の、何かが、揺れているのが見えた。
「隼くんに」私は、ふと言った。「よろしく、って、言わないの」
蒼は、一瞬、目を伏せた。
その仕草に、これまで見たことのない、何かが、宿っていた。
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