第75話「始末しておいた」
「なぜ」私は言った。「なぜ、証拠を書き換えたの」
蒼は静かに私を見た。
「君が背負わなくていいように」蒼は言った。「全部、始末しておいた」
その言葉を、しばらく理解できなかった。
「始末、って」私は聞いた。
「リアが僕を訴えれば」蒼は続けた。「証言をした人間として、記録に残る。共犯だったと、自分から話したことも、記録に残る」
蒼はそこで一度、言葉を切った。
「そうなれば、リアは一生、犯罪者の恋人として、生きることになる」
その言葉の意味が、少しずつ体の中に落ちていった。
「僕は」蒼は言った。「それを、望まない」
「それで」私は言った。「証拠を、消したの」
「消したんじゃない」蒼は言った。「作り変えた」
その言い方の違いに、少し引っかかった。
「千景さんが単独でやったことになれば」蒼は続けた。「リアの証言は、事実と矛盾する。だから、証言そのものが、信用されなくなる」
「そんな」私は言った。「そんなことのために、また千景さんを」
「千景さんは」蒼は静かに言った。「もう一度、傷つく」
その言葉に、私は息を止めた。
蒼は、それを分かった上で、実行していた。
「分かってて」私は言った。「それでも、やったの」
「やった」蒼は迷わず言った。「リアを守るためなら、そうする」
その言葉の重さに、めまいがした。
守る、という言葉が、また出てきた。千景を犠牲にしてでも、私を守る。その論理が、蒼の中では、まっすぐ繋がっていた。
「私は」私は言った。声が震えた。「そんな守り方、望んでいない」
蒼は少しの間、私を見ていた。
「知ってる」蒼は言った。
その答えに、胸が締め付けられた。
蒼は、私が望んでいないことを、知っていながら、実行していた。
「じゃあ、なぜ」私は聞いた。
「僕の望みだから」蒼は静かに言った。
その一言が、講堂の暗闇の中に、重く落ちた。
私の望みではなく、蒼自身の望み。
その言葉の正直さに、かえって恐怖を感じた。
「私は」私は言った。「犯罪者の恋人になってもよかった」
蒼はゆっくり首を振った。
「僕がよくない」蒼は言った。「君が、僕のせいで、そう呼ばれることが」
その声には、迷いがなかった。
「これから」私は言った。「私は、どうなるの」
蒼は少しの間、答えなかった。
「明日」蒼はようやく言った。「逮捕状は、執行される。でも証拠は、僕を有罪にするほど、強くない」
「じゃあ」
「僕は、逃げる」蒼は静かに言った。
その言葉に、心臓が大きく跳ねた。
「逃げる、って」私は聞いた。
「この国から」蒼は言った。「出る」
その一言で、頭の中が真っ白になった。
「いつ」私は聞いた。「いつから、それを、決めてたの」
「ずっと前から」蒼は言った。「準備は、してあった」
準備、という言葉が、頭の中で反響した。
蒼は、この日が来ることを、ずっと前から想定していた。
「私は」私は言った。「知らなかった」
「知らなくて、よかった」蒼は言った。「知っていたら、リアは、もっと苦しんだと思う」
その言葉に、涙がこみ上げてきた。
蒼は、私を守るという名目のもとに、私から選択肢を奪い続けてきた。
でも今、目の前にいる蒼は、その全てを、私のためだと信じていた。
「蒼くん」私は言った。「あなたは」
言葉が続かなかった。
蒼は静かに、私を見ていた。
「私は」私はようやく言った。「あなたを、愛していた」
その言葉を口にした瞬間、過去形になっていることに、自分でも気づいた。
蒼の表情が、わずかに動いた。
「知ってる」蒼は言った。「僕も、リアを愛してる」
その言葉には、迷いがなかった。
「今も」蒼は続けた。「これからも」
講堂の外で、風の音がまた聞こえた。
夜の空気が、少しずつ、講堂の中に入り込んでいるように感じた。
「明日から」私は言った。「あなたは、どこに行くの」
蒼は、静かに首を振った。
「それは、言えない」蒼は言った。「リアが、知らない方がいい」
「知らない方が」
「もし、警察に聞かれたときに」蒼は言った。「本当に知らないと、言えるように」
その配慮の細やかさに、また胸が痛んだ。
蒼は最後の最後まで、私を守ろうとしていた。その守り方が、どれほど歪んでいても。
私は、床に落ちた自分の影を見つめた。
非常灯の薄い光が、床に、二人の影を、長く伸ばしていた。
その影が、少しずつ、離れていくように見えた。
「蒼くん」私は言った。
「うん」
「私は、覚悟してたのに」
その言葉が、口から零れた瞬間、蒼の表情が、初めて、はっきりと動いた。
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