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【9/17完結!】桜渓の孤星  作者: 筑紫隼人
第8章「落日の対峙」

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第74話「君は正しい」

「リア」


蒼は静かに言った。


その声のトーンが、これまでとは少し違っていた。


「君は、正しいことをした」


その言葉を、すぐには理解できなかった。


「正しい、って」私は言った。「私は、あなたを裏切ろうとした」


「裏切ったわけじゃない」蒼は静かに首を振った。「リアは、傷つけられた人たちのために動いた。それは正しいことだ」


その言葉の穏やかさに、かえって恐怖を感じた。


蒼は私を責めていなかった。


責めるどころか、肯定していた。


「僕は」蒼は続けた。「間違っている」


その一言に、講堂の空気がまた変わった気がした。


「間違ってるって」私は聞いた。「分かってるの、自分で」


「分かってる」蒼ははっきりと言った。


その声には迷いがなかった。


「千景さんを傷つけたことも。ストーカーだった男性を壊したことも。父を失脚させたことも」蒼は一つずつ数えるように言った。「全部、間違っていた」


「じゃあ、なぜ」私は言った。声が震えた。「なぜ、それを続けたの」


蒼は少しの間、答えなかった。


薄暗い講堂の中で、非常灯の光だけが蒼の輪郭を静かに照らしていた。


「僕には」蒼はようやく言った。「他のやり方が分からなかった」


「他のやり方」


「誰かが、リアを傷つけようとするとき」蒼は続けた。「僕は、それを止めなければならないと感じる。それが悪いことだと頭では分かっていても、体が先に動く」


その言葉は以前、聞いたことがあった。


止めたかった。本当に。でも体が止まらなかった。


あの夜、公園で蒼が初めて泣きながら言った言葉と、同じ構造だった。


「その感覚は」私は言った。「今も、変わらないの」


「変わらない」蒼は言った。「変わらないまま、ここまで来た」


私は蒼の顔をじっと見た。


これまで見てきた、どの蒼とも違う顔だった。


穏やかで、覚悟を決めていて、でもその奥に何か深い、諦めのようなものが見えた。


「リア」蒼は続けた。「君は正しいことをしようとした。それを僕は止めなかった」


「止めなかった、って」私は言った。「証拠を書き換えたじゃない」


「証拠は書き換えた」蒼は頷いた。「でも君が動くこと自体は止めなかった。止めようと思えば、もっと早く止めることもできた」


その言葉に少し戸惑った。


「なぜ止めなかったの」私は聞いた。


蒼はしばらく私を見ていた。


「君が、正しいことをするのを」蒼は静かに言った。「見たかったんだと思う」


その答えに、胸の奥が締め付けられた。


蒼は自分を裁こうとする私を止めなかった。むしろそれを見届けようとしていた。


「僕は」蒼は続けた。「これから先も変わらないと思う」


「変わらない、って」


「誰かが、リアを脅かせば僕はまた同じことをする」蒼ははっきりと言った。「それが僕という人間だから」


その言葉に恐怖と同時に、深い悲しみがこみ上げてきた。


蒼は自分の中のその仕組みを、変えられないとはっきり認めていた。


「だから」蒼は続けた。「今日ここで終わりにする必要があった」


「終わりに、って」


「僕がこれ以上、リアの人生に影響を与え続けることを」蒼は静かに言った。「終わりにする」


その言葉の意味を、まだ完全には理解できなかった。


「明日」私は言った。「逮捕状が執行される」


蒼は頷いた。


「その前に」蒼は言った。「話しておきたかった」


「何を」


「リアが僕を止めようとしたことが」蒼は少し言葉を選んだ。「無駄じゃなかった、ということを」


私は蒼の目をじっと見た。


その目に涙はなかった。ただ静かな決意のようなものだけが見えた。


「証拠は書き換えた」蒼は続けた。「だから明日、僕は逮捕されないかもしれない」


その言葉に胃の奥が重くなった。


「でも」蒼は続けた。「君が動いたという事実は消えない」


「事実が消えなくても」私は言った。「何も変わらないなら」


「変わる」蒼は静かに言った。「僕の中で、何かが変わった」


その言葉の意味を問おうとした。


でも蒼は、それ以上説明しなかった。


ただ静かに私を見つめていた。


その視線の中に、これまでとは違う何かがあった。


講堂の外で、風の音が微かに聞こえた。


夜が完全に、講堂の中を覆っていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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