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【9/17完結!】桜渓の孤星  作者: 筑紫隼人
第7章「接触」

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第67話「逮捕状」

『今日、少し遅くなる?』


蒼からのメッセージを、しばらく見つめていた。


いつもと変わらない、何気ない一文だった。でも今夜は、その言葉が、いつもより重く感じられた。


『少し』とだけ、返した。


嘘ではなかった。少し、というのが、どれくらいの意味を持つのか、今の自分には、分からなかった。


既読がついた。


『分かった。気をつけて』


その返信を見て、胸の奥が、また痛んだ。


いつも通りの、優しい言葉だった。その優しさの裏に、今日、私が何をしていたか、蒼は知らない。


スマートフォンを、鞄にしまった。


夜の道を、駅に向かって歩いた。


翌日から、事態が、少しずつ動き始めた。


放課後、咲良から連絡が来た。「倉橋さんから、何か聞いてる?」という短いメッセージだった。


『まだ』と返した。


その日の夜、倉橋から電話があった。


「瀬戸川さん」倉橋の声は、いつもより、少し緊張しているように聞こえた。「先日の証言を、正式な調書として、まとめました」


「はい」


「橘さんからも、脅迫についての証言を、いただきました」倉橋は続けた。「二つの証言と、これまで蓄積してきた情報を、合わせて、上に提出します」


「提出、というのは」


「逮捕状の請求です」倉橋は、はっきりと言った。


その言葉を聞いた瞬間、心臓が、大きく鳴った。


「進むんですね」私は言った。


「進みます」倉橋は言った。「ただ、時間がかかります。証拠の精査、書類の準備。全て、慎重に進める必要があります」


「どれくらい、かかりますか」


「早くて、一週間」倉橋は言った。「それ以上、かかる可能性もあります」


一週間。その数字が、頭の中で、重く響いた。


「その間」私は聞いた。「私は、何をすればいいですか」


倉橋は、少しの間、答えなかった。


「今まで通り、過ごしてください」倉橋は、慎重に言った。「不自然な行動は、避けてください」


「今まで通り」


「蒼くんに、何か、気づかせるようなことは、しないでください」倉橋は続けた。「彼が、逃走を図る可能性があります」


その言葉に、背筋が冷たくなった。


蒼と、今まで通り、会い続けなければならない。図書室で、射場で、彼の部屋で。何も知らないふりを、続けなければならない。


「できますか」倉橋は聞いた。


「やります」私は言った。声が、少し震えていた。


電話を切った後、しばらく、部屋の中で、動けずにいた。


翌日、学校で、蒼と会った。


図書室で、いつも通り、蒼が待っていた。


「おはよう」と蒼が言った。


「おはよう」


自分の声が、いつも通りに出ているか、確かめる余裕はなかった。ただ、口から、出てしまった。


蒼は、本を開いていた。いつもの、静かな朝だった。


「昨日、遅かったね」蒼が言った。「何してたの」


その質問に、答える準備は、していたつもりだった。それでも、心臓が、大きく跳ねた。


「咲良と、話してた」私は言った。


嘘ではなかった。全部を、言わなかっただけだった。


「何を話してたの」


「進路のこと」


嘘だった。今まで、こんなに簡単に、蒼に嘘をついたことはなかった。


蒼は、それ以上、深く聞いてこなかった。本のページを、めくっていた。


その横顔を、見た。


穏やかな顔だった。何も知らない顔だった。


この人が、これから、逮捕されるかもしれない。


その事実が、頭の中で、まだうまく実感できなかった。


放課後、射場に行った。


弓を引いた。今日は、なかなか整わなかった。十本のうち、六本しか入らなかった。


蒼が、いつものように、入り口で見ていた。


「今日は、少し乱れてるね」蒼が言った。


「うん」


「何かあった?」


「疲れてるだけ」


また、嘘をついた。


蒼は、それ以上、追及しなかった。ただ、静かに、見ていた。


片付けをしながら、蒼が言った。


「最近、少し、様子が違う気がする」


その言葉に、指先が、一瞬、止まった。


「そう?」私は、なんとか、いつも通りの声で言った。


「気のせいかもしれないけど」蒼は言った。「なんとなく」


「気のせいだよ」


蒼は、しばらく、私を見ていた。


その視線を、今日は、いつもより、耐えがたく感じた。


「帰ろうか」蒼が言った。


「うん」


射場を出た。夕方の廊下を、並んで歩いた。


いつもと同じ道。いつもと同じ距離。


でも、今日は、その全部が、違って見えた。


改札の前で、別れた。


「また明日」蒼が言った。


「また明日」


蒼が、改札を抜けていった。


その背中を、いつもより、長く見ていた。


ホームに降りた。電車を待ちながら、スマートフォンを見た。


咲良からのメッセージが来ていた。


『倉橋さんから、連絡あった?』


『あった』と返した。『進んでるって』


『そう』とだけ、返ってきた。


その短い返信の中に、咲良の緊張が、滲んでいる気がした。


電車が来た。乗り込んだ。窓の外の景色が、流れ始めた。


一週間。あるいは、それ以上。


その間、蒼と、今まで通り、過ごさなければならなかった。


彼の隣で、笑って、話して、何も知らないふりをして。


その全部が、今の自分にできるのか、分からなかった。


でも、やるしかなかった。


窓に映る自分の顔を、見た。


疲れているように見えた。でも、その奥に、これまでとは違う、何かが、宿っている気がした。


家に帰った。颯太が、リビングにいた。


「おかえり」


「ただいま」


「今日、疲れてる?」


「少し」


「弓道、うまくいかなかった?」


「うん」


颯太は、それ以上、聞いてこなかった。


自室に戻った。ベッドに座った。


スマートフォンを、見た。


蒼からのメッセージは、来ていなかった。


その静けさが、今夜は、少し、怖かった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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