第65話「共犯だったことも」
倉橋の質問が、部屋の空気を、変えた気がした。
被害が止まった経緯について、何か知っていることはありますか。
その言葉に、答えるまでの数秒間が、とても長く感じられた。
答えないという選択肢も、頭をよぎった。ここで黙っていれば、これまで通り、私は被害者のままでいられた。蒼が何をしたか、目撃者としてだけ話していれば、自分の関与を隠したまま、証言を続けられた。
でも、それは、また同じことの繰り返しだった。
知っていることを、隠す。都合の悪い部分だけを、黙っている。
その選択を、私は、もうしたくなかった。
深呼吸をした。
「知っています」と私は言った。「その夜、その場にいました」
倉橋の表情は、変わらなかった。ただ、静かに、続きを待っていた。
「去年の十月」と私は始めた。「先輩の家に、忘れ物を届けた帰り道でした」
倉橋は、手帳を、また開いた。
「細い道で、男の人が、道端にしゃがんでいました」私は続けた。「様子がおかしくて」
その夜の記憶が、また鮮明に蘇ってきた。
「蒼くんが、その少し先に、立っていました」
倉橋は、何も言わなかった。
「何が起きたのか、直接は見ていません」私は言った。「見たのは、その後の、静けさだけでした」
「その後、どうしましたか」倉橋は聞いた。
「蒼くんは、私に、帰るように言いました」私は続けた。「でも、帰りませんでした」
「なぜ、帰らなかったんですか」
その質問に、答えるのは、これまでの中で、一番難しかった。
「怖かったからです」私は正直に言った。「蒼くんが、一人で、何かを抱えているのが、見えて」
「それで」
「二人で、近くの公園に行きました」
倉橋は、静かに、聞いていた。
「蒼くんの手が、震えていました」私は続けた。「初めて見る、蒼くんの震える手でした」
その光景を、今も、はっきりと覚えている。
「蒼くんは、泣きました」私は言った。「怖い、と言いました。リアを失うのが怖くて、体が止まらなかった、と」
倉橋は、じっと、私の話を聞いていた。
「私は」私は続けた。「蒼くんを、抱きしめました」
その言葉を口にした瞬間、あの夜の感触が、体の中に蘇ってきた。
「そして、言いました。警察には言わない、と」
部屋の中に、しばらく、沈黙が流れた。
「それが」倉橋は、静かに言った。「被害が止まった、本当の経緯ですか」
「はい」
「あなたは、その夜から、今日まで、そのことを、誰にも話さなかった」
「はい」
「なぜ、今、話す気になったんですか」倉橋は聞いた。
その質問に、答える準備は、ずっと前からしていた気がした。
「あの夜、私は、蒼くんを庇いました」私は言った。「その選択の結果、蒼くんは、その後も、同じことを続けました」
倉橋は、頷いた。
「千景さんを、心理的に解体しました」私は続けた。「それも、私が、知らないふりを続けたからです」
自分の声が、少しずつ、はっきりしてきていることに、気づいた。
「私が、あの夜、警察に言っていたら」私は言った。「千景さんは、あんな目に遭わなかったかもしれません」
「それは」倉橋が、口を挟んだ。「あなたのせいだと、決めつけることは、できません」
「でも」私は言った。「私が、共犯だったことは、事実です」
倉橋は、しばらく、私を見ていた。
「共犯」倉橋は、その言葉を、確かめるように、繰り返した。
「そうです」私は言った。「私は、ただの被害者じゃありません。知っていることを、隠し続けた、共犯者でもあります」
その言葉を、はっきりと口にした。
これまで、誰にも言えなかった言葉だった。心の奥に、ずっとしまい込んでいた言葉だった。
「あなたは」倉橋は、静かに聞いた。「なぜ、それを、隠し続けたんですか」
その問いに、答えを、探した。
「蒼くんを、守りたかったからです」私は言った。「あの夜、蒼くんの涙が、本物だと感じました。その涙を、裏切りたくなかった」
「それだけですか」
その質問に、少し戸惑った。
「それだけじゃない、と思います」私は続けた。「でも、その理由は、今、うまく言えません」
倉橋は、頷いた。
「でも」私は言った。「今日、ここに来ました」
「なぜ」
「知っていることを、これ以上、隠しておくことが、できなくなったからです」
倉橋は、しばらく、私を見ていた。
「あなたは」倉橋は、静かに言った。「自分が共犯だったと話すことで、法的な責任を、問われる可能性があります」
「知っています」
「それでも」倉橋は聞いた。「話すんですね」
「はい」
倉橋は、深く息を吐いた。
「なぜ、今、その覚悟ができたのか」倉橋は聞いた。「もう少し、詳しく、聞かせてもらえますか」
その質問に、答えるまでに、少し時間が必要だった。
これまで、蒼を守りたいという気持ちだけで、動いてきたわけではなかった。もっと別の理由が、自分の中にあることに、最近、気づき始めていた。
倉橋は、急かさなかった。ただ、静かに、待っていた。
窓の外で、夕方の光が、少しずつ、色を変え始めていた。
私は、深く息を吸った。
言葉を、探した。
「蒼くんを、守りたいからじゃありません」私は、ゆっくりと言った。
倉橋が、少しだけ、身を乗り出した。
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