第64話「証拠を渡せます」
放課後、駅前のカフェに向かった。
昨夜、倉橋に、メッセージを送っていた。咲良から聞いた話を元に、単独で連絡を取っていた。返信は、意外なほど早く来た。
「明日、話せる時間があります」
それだけの文面だった。
カフェの奥の席に、四十代半ばくらいの男性が座っていた。写真も見ていなかったが、その人が倉橋だと、すぐに分かった。落ち着いた雰囲気の中に、何か、長年の疲れのようなものが滲んでいた。
「瀬戸川さんですね」と倉橋は言った。
「はい」
「座ってください」
向かい合って座った。
「橘さんから、連絡先を聞いたと」
「はい」
倉橋は、しばらく、私を見ていた。何かを、確認しているような目だった。
「話を聞く前に」と倉橋は言った。「一つだけ、聞かせてください」
「はい」
「あなたは、朝比奈蒼と、どういう関係ですか」
その質問に、答える前に、少し息を吸った。
「恋人です」と私は答えた。
倉橋の表情が、わずかに動いた。
「それでも、話しに来た」
「はい」
「なぜですか」
その質問に、答える準備は、してきたつもりだった。でも、いざ口に出そうとすると、言葉が、うまく出てこなかった。
深呼吸をした。
「蒼くんの部屋で」と私は始めた。「引き出しを見つけました」
倉橋は、静かに、聞いていた。
「中に、ファイルがありました。何冊も」
「ファイル」
「御堂千景さんについての記録。ストーカー被害についての記録。私の父についての記録」
倉橋の目が、少しだけ、鋭くなった。
「どのような内容でしたか」と倉橋は聞いた。
「千景さんのSNS工作の詳細。ストーカーだった男性への対処の記録。父の会社への匿名通報の記録」
言葉にするたびに、あの日の衝撃が、体の奥から蘇ってきた。
「それぞれのファイルの最後に」と私は続けた。「完了、という印がありました」
倉橋は、何かを、手帳に書き留めていた。
「私自身のファイルもありました」
「あなた自身の」
「一番、分厚いファイルでした」
倉橋の手が、一瞬、止まった。
「そこに、何て書かれていましたか」
「四十七件の、些細な言葉の記録。廊下での雑談まで。それから、排除検討中、という分類が、三件ありました」
倉橋は、しばらく、無言だった。
「最後のページには」と私は続けた。「守護対象。最優先。永続。そう書かれていました」
倉橋は、深く息を吐いた。
「それを、実際に、目で見たんですね」倉橋は確認するように言った。
「はい」
「写真は」
その質問に、答えるのが、少し辛かった。
「撮っていません」私は正直に言った。「撮ろうとしたけど、できませんでした」
倉橋は、少しの間、私を見ていた。
「なぜですか」
「怖かったんだと思います」私は言った。「証拠を残すことで、後戻りできなくなる気がして」
倉橋は、静かに頷いた。
「でも」と私は続けた。「記憶には、はっきり残っています。日付も、内容も、可能な限り、覚えています」
「今、話してもらえますか」倉橋は言った。「覚えている限り、全部」
私は、頷いた。
千景のファイルに書かれていた、時系列に沿った記録の内容。十三のアカウントの構成。拡散の経路。心理的な弱点についての分析があったこと。
ストーカーだった男性についての記録。尾行の写真。行動パターンの分析。心理的な破壊の方針が、企画書のような書式で書かれていたこと。
父についての記録。行動の詳細な記録。会社への匿名通報の内容。
倉橋は、私が話す内容を、一つ一つ、丁寧に書き留めていた。
「関係者リスト、というファイルもありました」と私は続けた。「学校の生徒や教師の名前が、何十人分も」
「その中に」
「私についての、些細な言葉が、たくさん記録されていました」
「隼くんの名前もありました」と私は言った。「咲良の名前も」
倉橋の手が、また止まった。
「橘さんの名前が、そこに」
「はい。要注意、という分類でした。理由は、継続的な調査活動を確認、と書かれていました」
倉橋は、しばらく、無言だった。
「橘さんは、既に、あなたに話しましたか」倉橋は聞いた。「自分が置かれている状況を」
「はい」私は答えた。「昨日、聞きました」
倉橋は、静かに、目を閉じた。
「あの子が」倉橋は、ゆっくり言った。「橘さんまで、対象にしていたのか」
その声に、これまで聞いたことのない重さがあった。
「刑事さん」と私は言った。「これから、どうなりますか」
倉橋は、しばらく、考えていた。
「あなたの証言だけでは」倉橋は言った。「まだ、法的な手続きに進むのは、難しいです」
「証拠がないから」
「はい」倉橋は言った。「でも、この証言は、貴重です。これまで、断片的にしか掴めなかった部分が、繋がってきています」
「私は」私は言った。「何をすればいいですか」
倉橋は、少しの間、私を見ていた。
「もう一つ、聞かせてください」倉橋は言った。「あなたは、蒼と、恋人だと言いました」
「はい」
「彼が、何をしてきたか、知った上で、彼のそばに、まだいるつもりですか」
その質問に、すぐには答えられなかった。
倉橋は、急かさなかった。ただ、静かに、待っていた。
「分かりません」私は、ようやく答えた。「それでも、今日、ここに来ました」
「なぜ」
「これ以上、誰かが傷つくのを、黙って見ていられないから」
倉橋は、深く頷いた。
「もう一つ」倉橋は言った。「これは、僕からの、正直な言葉です」
「はい」
「証言を集めて、法的な手続きを進めることは、あなたを、危険に晒すかもしれません」
その言葉の重さを、受け止めた。
「それでも」と私は言った。「話します。全部」
倉橋は、テーブルの上に置いた手帳を、閉じた。
「一つ、確認させてください」倉橋は、静かに言った。「あなた自身のことも、含めて」
「私自身のこと」
「あなたは、去年の秋、ストーカー被害に遭っていましたね」倉橋は言った。「その後、被害が止まった。その経緯について、何か、知っていることはありますか」
その質問に、心臓が、大きく跳ねた。
倉橋の目は、静かに、でも、確実に、答えを求めていた。
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