第62話「咲良への連絡」
放課後、新聞部の部室に向かった。
ドアをノックした。返事があった。
中に入ると、咲良が、一人で座っていた。机の上に、ノートが置かれていた。
「来たね」と咲良が言った。
「うん」
「座って」
向かい合って座った。部室は、いつもより静かに感じられた。
しばらく、どちらも、何も言わなかった。
先に口を開いたのは、咲良だった。
「何から話す?」
「咲良から先に、聞いてもいい」と私は言った。「咲良が、何を知ってるか」
咲良は、少しの間、私を見ていた。
「先に、リアさんが話してほしい」と咲良は言った。「私が話すと、リアさんの話が、影響を受けるかもしれない」
その言葉に、咲良の慎重さを感じた。咲良は、いつも、こういう配慮をする。
深呼吸をした。話す順番を、昨夜、何度も考えていた。
「蒼くんの部屋で」と私は始めた。「引き出しを見つけた」
咲良の表情が、少しだけ、動いた。
「鍵のかかっているはずの引き出しだった。でも、鍵がかかっていなくて」
咲良は、何も言わずに、聞いていた。
「中に、ファイルがあった。何冊も」
「ファイル」
「千景さんのファイル。ストーカーだった、あの男性のファイル。私の父のファイル」
咲良の目が、大きく見開かれた。
「全部、蒼くんが、記録していた」
咲良は、しばらく、言葉を失っていた。
「それだけじゃない」と私は続けた。「私についての記録もあった。四十七件の、些細な言葉。廊下の雑談まで、記録されてた」
「そんな」
「排除検討中、という分類があった。三件」
咲良の顔から、色が引いていくのが分かった。
「そして」と私は言った。「私自身のファイルもあった。一番分厚いファイル」
「そこに、何て」
「守護対象。最優先。永続」
その言葉を、口に出した瞬間、また、あの日の感覚が戻ってきた。床に座り込んだ、あの瞬間の感覚が。
咲良は、しばらく、何も言えずにいた。
「咲良」と私は言った。「咲良は、何を知ってる」
咲良は、深く息を吐いた。
「私も」咲良は静かに言った。「一人で、調べてきた」
「どこまで」
「かなり、深いところまで」
咲良は、ノートを開いた。ページをめくる手が、少し震えていた。
「倉橋という刑事さんがいる」と咲良は言った。「国際犯罪課の」
初めて聞く名前だった。
「その人から、聞いた話がある」
「どんな話」
咲良は、少しの間、黙っていた。
話すべきかどうか、迷っているようだった。
「五年前」咲良は、ゆっくりと言った。「蒼くんの家族が、アメリカで、殺された」
その言葉を聞いた瞬間、体の中を、冷たいものが走った。
「殺された、って」
「父親、母親、そして妹。三人とも」咲良は、静かに続けた。「蒼くんは、その場にいた」
灯のことを、思い出した。
小学生の頃、私を「おねえちゃん」と呼んでいた、蒼の妹。灯は元気だよ、と蒼が言った、あの半拍の沈黙を、思い出した。
「灯ちゃんも」と私は聞いた。声が、震えた。
咲良は、静かに頷いた。
「灯は元気だよって」私は言った。「言われたことがある。ずっと前に」
咲良は、何も言わなかった。ただ、私を見ていた。
「嘘だったんだ」
その事実が、胸の中に、深く沈んでいった。
「犯人グループは」咲良が続けた。「司法取引で、数年で釈放された」
「数年で」
「三人を殺して、数年」
咲良の声にも、感情が滲んでいた。
「その後」咲良は言った。「その犯人グループは、一年以内に、全員、消えた」
「消えた、って」
「三人は死亡。二人は行方不明」咲良は、ノートを見つめながら言った。「十四歳の蒼くんが、単独で、その崩壊を設計した可能性がある」
その言葉が、頭の中で、鈍く響いた。
十四歳。私が知っている蒼と、そう変わらない年齢だった。その年齢で、蒼は、既に、これほどのことをしていた。
「十四歳で」と私は言った。「そんなことが」
「普通は、できない」咲良は言った。「だから、誰も疑わなかった」
しばらく、二人とも、何も言わなかった。
部室の中に、時計の音だけが響いていた。
「咲良」と私は、ようやく言った。「どうしたらいいと思う」
咲良は、しばらく、考えていた。
「一人では、もう無理」咲良は言った。「私も、リアさんも」
「うん」
「倉橋さんに、連絡してみたら」
「連絡先を、知ってるの」
咲良は、頷いた。
そして、少しの間、動かなかった。
その沈黙が、いつもの咲良の沈黙と、少し違う気がした。何かを、迷っているような、抱えているような沈黙だった。
「咲良」と私は聞いた。「大丈夫?」
咲良は、しばらく、答えなかった。
「大丈夫」と咲良は、ようやく言った。声が、少し掠れていた。
咲良は、鞄から手帳を取り出した。ページをめくり、そこに書かれていた番号を、メモ用紙に書き写し始めた。
その手が、少し震えていることに、私は気づいた。
「はい」と咲良は、メモを差し出した。「倉橋さんの連絡先」
受け取った。紙の上に、番号と名前が、丁寧な字で書かれていた。
「咲良も、一緒に連絡してくれる」と私は聞いた。
咲良は、一瞬、目を伏せた。
「私は」咲良は、静かに言った。「少し、考えたいことがある」
その言い方に、何か引っかかるものがあった。
「何かあったの」と私は聞いた。
咲良は、しばらく、黙っていた。
その沈黙が、さっきよりも、さらに長く続いた。
窓の外で、夕方の風が、木の枝を揺らしていた。
咲良の顔に、これまで見たことのない表情が、浮かんでいた。
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