表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【9/17完結!】桜渓の孤星  作者: 筑紫隼人
第6章「開かずの記録庫」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
56/62

第56話「最後のページ」

自分の名前が書かれた、分厚いファイルを、引き出しから取り出した。


膝の上に置いた。表紙を見つめた。


瀬戸川リア。


その五文字だけが、静かにそこにあった。


開くまでに、どれくらいの時間がかかったか、覚えていない。手が動かなかった。動かそうとしても、指先が言うことを聞かなかった。


深呼吸を、何度もした。


表紙を開いた。


最初のページに、日付があった。四月八日。


蒼が転入してきた、その日だった。


「対象との再会を確認。旧知の間柄。関係構築を最優先とする」


再会、という言葉が、そこに書かれていた。転入初日から、蒼にとって、私との関係は、目的を持ったものだった。


ページをめくった。


四月から五月にかけての記録が、続いていた。図書室での会話、弓道の練習を見に来たこと、隼との会話。日常だと思っていた出来事の一つ一つが、細かく記録されていた。


「対象、弓道部にて安定した精神状態を確認。良好」


私が弓を引いているとき、蒼がどう見ていたか。良好、という評価が、そこに書かれていた。


読み進めるほど、体温が下がっていく気がした。


六月から七月にかけてのページには、千景の炎上に関する記述があった。ここには、以前見た千景のファイルとほぼ同じ内容が、簡潔にまとめられていた。


その最後に、こう書かれていた。


「対象への心理的負荷、除去完了。対象の安定確認」


対象、というのが、私を指していることは明らかだった。千景を排除したことで、私の心の安定が保たれた、という記録だった。


九月から十月にかけて、ストーカー事件についての記述があった。ここでも、同じような文章が続いた。


「対象への脅威、完全排除。対象の安全確保」


安全確保。


その言葉が、あの夜の記憶と、静かに重なった。震える蒼の手を、抱きしめた夜。


十二月のページに、クリスマスの記録があった。


「対象との関係、進展。指輪贈呈。対象、受諾」


進展、という一語だけで、あの夜の全てが、業務のように記されていた。


一月のページ。冬休みの記録。三人での学食の記録。


「隼、対象への信頼度、高。監視継続の必要性、中程度に低下」


隼への監視すら、続いていたことが、そこに書かれていた。


読み進めるページの端が、指の震えで少し折れた。


三月のページに、進んだ。私が知らない、蒼だけの記録が続いていた。


「対象、大会にて優勝の可能性、高。応援準備を検討」


その細かさに、少し笑いそうになった。笑うことが、今のこの状況で正しいのかどうか、分からなかった。でも、笑いに近い何かが、喉の奥からこみ上げた。


四月のページに来た。


私が、この部屋に通い始めた時期だった。


「対象、半同棲状態に移行。生活の安定度、上昇。継続を推奨」


推奨、という言葉が、私たちの関係を、まるで実験結果のように扱っていた。


ページをめくる手が、遅くなっていった。


最後のページが、近づいているのが分かった。


読み終わってしまうことへの恐怖と、読み終わらなければならないという義務感が、同時にあった。


最後のページを開いた。


そこには、他のページとは違う書式で、一文だけが書かれていた。


太い文字で、それだけが記されていた。


「瀬戸川リア:守護対象。最優先。永続。」


その三つの言葉を、何度も、何度も読み返した。


守護対象。最優先。永続。


永続、という言葉が、頭の中で反響した。


これまで読んできた全てのファイルには、日付があった。始まりと、終わりがあった。「完了」の印があった。


私だけには、終わりがなかった。


始まりの日付だけがあって、終わりの欄は、空白のままだった。


永続、という文字が、その空白を埋めていた。


これから先、ずっと。私が生きている限り、ずっと。


蒼の中で、私は、終わることのない対象として、位置づけられていた。


ファイルを持つ手から、力が抜けた。


ファイルが、膝の上から滑り落ちた。床に、紙の音が響いた。


その音を聞いた瞬間、体を支えていたものが、何もなくなった気がした。


気づいたら、床に座り込んでいた。


いつ、ソファから滑り落ちたのか、覚えていない。


床の上、散らばったファイルの紙を、見下ろした。


千景の記録。ストーカーの男性の記録。父の記録。四十七件の些細な言葉。六件の要注意。三件の排除検討中。


そして、自分自身の、永続する監視の記録。


その全部が、私を守るためだった。


蒼は、そう思っている。本当に、そう信じている。


守る、という言葉の意味が、こんなにも大きく、こんなにも重いものだとは、知らなかった。


床に座ったまま、動けなかった。


時計の音だけが、部屋に響いていた。


蒼が帰ってくるまで、まだ時間があるはずだった。でも、その時間が、どれくらいなのか、今の私には数えられなかった。


散らばった紙を、拾わなければならない。元通りに戻さなければならない。


そう分かっていても、体が動かなかった。


床に座ったまま、天井を見上げた。


天井の模様が、いつもと同じはずなのに、初めて見るもののように、遠く見えた。


自分の呼吸の音だけが、静かな部屋に響いていた。


その音を聞きながら、私は、まだ何も考えられずにいた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ