第48話「並行する時間」
12月24日。
橘咲良は、その日の夜を、覚えている。
咲良自身は、その夜、家で一人、ノートを開いていた。
その日の午後、咲良は市立図書館にいた。
初めて倉橋と出会う、少し前のことだった。
学院の創立史の資料を探しながら、咲良は自分のノートに、こう書いていた。
「十二月二十四日。御堂千景の炎上について、再検証。十三アカウントの投稿間隔、改めて分析。人力での同時実行、限りなく困難と判断」
その記録をつけている間、咲良は、リアが今夜、蒼と会っていることを知らなかった。
知る由もなかった。
同じ時刻、リアは、駅の改札前で、蒼を待っていた。
イルミネーションの光の中で、二人は夕食に向かっていた。
指輪が、白い箱の中で、まだリアに渡される前だった。
咲良は、図書館を出て、家に帰った。
夕飯を食べながら、母親と少し話した。
「クリスマスなのに、家にいるの」と母親が聞いた。
「調べ物があって」
「新聞部?」
「そんな感じ」
咲良は、詳しくは話さなかった。
話せることではなかった。
夕食後、自室に戻った。
ノートを開いた。
千景の炎上の記録を、もう一度見直していた。
十三のアカウント。
三十秒以内の同時投稿。
技術的な検討を、何度も繰り返していた。
同じ頃、リアは、街灯の下で、蒼から指輪を受け取っていた。
長い沈黙のあと、左手の薬指に、それを嵌めていた。
咲良は、その夜のことを、後になって知ることになる。
一月になって、リアから「実は」と聞かされたとき、咲良は驚いた顔を作った。
驚いていないわけではなかった。
でも、咲良が驚いた部分と、リアが期待していた驚きの部分は、少し違っていた。
「本当によかったね」と咲良は、あのとき言った。
心から、そう思っていた。
同時に、頭の中では、別のことも考えていた。
蒼が、あの夜、何を考えて指輪を選んだのか。
その動機の中に、咲良が調べている全てが、含まれているのかどうか。
考えても、答えは出なかった。
出ないまま、咲良は「本当によかったね」を、繰り返した。
その言葉に、嘘はなかった。
リアの幸福を願う気持ちは、本物だった。
今、三月になって、咲良は、あの十二月の夜を、改めて思い出していた。
同じ夜、二人は、全く違うことをしていた。
リアは、指輪を受け取っていた。
咲良は、ノートに、疑惑の記録をつけていた。
その並行した時間が、咲良には、今になって、重く感じられた。
あの夜、咲良が知っていることを、少しでもリアに話していたら。
指輪を受け取る前に、リアが何かを知っていたら。
何かが、変わっていただろうか。
分からなかった。
分からないことが、今の咲良には、一番苦しかった。
咲良は、ノートの、十二月二十四日のページを、もう一度開いた。
そこに書かれていたのは、技術的な分析だけだった。
感情の記録は、なかった。
でも今、そのページを見ると、咲良は、あの夜の自分の孤独を、思い出した。
一人で、ノートに向き合っていた夜。
同じ街のどこかで、リアが幸福の絶頂にいた夜。
その二つの時間が、今、咲良の中で、重なっていた。
咲良は、ノートを閉じた。
この章の記録は、ここで一旦、終わりにしようと思った。
これ以上、一人で抱えることに、限界を感じていた。
倉橋との会話。
作文のコピー。
千景の炎上の分析。
ストーカー事件の不明な部分。
全部が、咲良の中に、積み重なっていた。
窓の外を見た。
三月の夜だった。
もうすぐ、桜が咲く季節だった。
咲良は、スマートフォンを手に取った。
リアのトーク画面を開いた。
何か月も、話せずにいたことが、そこにあった。
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『明日、少し時間ある?』と打った。
送信するかどうか、少し迷った。
でも、送った。
既読が、すぐについた。
『あるよ、どうしたの』
咲良は、しばらく、返信を考えた。
すべてを、今すぐ話すことはできない。
でも、何かを、話し始める必要があった。
『話したいことがあって』とだけ、送った。
『分かった』とリアから返ってきた。『楽しみにしてる』
楽しみにしてる、という言葉が、今夜の咲良には、少し重かった。
咲良は、スマートフォンを置いた。
窓の外の、三月の夜を見た。
明日、リアに何を話すか。
どこまで話すか。
まだ、決めていなかった。
決めていないまま、咲良は、ベッドに横になった。
十二月の夜と、今夜が、頭の中で、まだ重なっていた。
あの夜、リアは幸福だった。
その幸福は、本物だった。
本物の幸福の裏側で、咲良は、違う時間を生きていた。
その二つの時間が、明日、初めて交わることになる。
咲良は、目を閉じた。
眠れるかどうか、分からなかった。
分からないまま、三月の夜は、静かに更けていった。
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