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【9/17完結!】桜渓の孤星  作者: 筑紫隼人
第5章「解剖、始まる」

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第47話「知っている者」

放課後。


橘咲良は、いつもの教室に残っていた。


リアが、荷物をまとめている。


「今日、射場行く?」


咲良は聞いた。


「行く」


リアは答えた。


「咲良は?」


「新聞部の集まりがある」


「そう」


いつも通りの短いやり取りだった。


その短い会話の中に、咲良は自分が知ってしまったことの重さを感じないようにした。


感じないようにする。


それ自体が、もう難しかった。


「そういえば」


リアが言った。


「昨日、蒼くんの部屋に行った」


「部屋?」


「一人暮らしなんだって。知ってた?」


咲良は、一瞬だけ言葉に詰まった。


知っていた。


倉橋から聞いた話の中に、その事実も含まれていた。


「知らなかった」


咲良は答えた。


嘘だった。


嘘をついたことが、胃の奥に小さな重さとして残った。


「一人で住んでるの、なんでだろうね」


リアは、何気なく言った。


「聞いてないんだけど」


咲良は何も言わなかった。


リアは知らない。


蒼が家族を失ったこと。


親族に引き取られたこと。


その後、五年間の空白があったこと。


一人暮らしの理由を、リアはまだ蒼から聞いていない。


咲良は、それを知っている。


「咲良?」


リアが言った。


「どうしたの」


「なんでもない」


「そう見えない」


咲良は、少しの間、リアを見た。


穏やかな顔だった。


左手には指輪がある。


幸福そうだった。


その幸福を、咲良は壊せる場所にいる。


壊すべきなのか。


まだ、答えは出ていなかった。


「新聞部、忙しいの?」


リアが聞いた。


「まあまあ」


「無理しないでね」


「うん」


その優しさが、今日は少し重かった。


リアは知らない。


咲良がこの数週間で何を聞いたのか。


何を見たのか。


何を胸の奥に沈めてきたのか。


知らないまま、咲良を気遣っている。


「じゃあ、また明日」


リアが言った。


「うん。また明日」


リアは教室を出ていった。


咲良は、しばらくその背中を見ていた。


一人になった教室で、咲良は鞄を開いた。


中には、倉橋から預かった作文のコピーが入っていた。


まだ、誰にも見せていない。


見せるべきか。


それとも、まだ黙っているべきか。


決められなかった。


窓の外を見る。


グラウンドでは、弓道部の生徒たちが移動していた。


その中に、リアの姿があった。


弓具を持ち、射場へ向かっている。


いつも通りの、まっすぐな歩き方だった。


咲良は、その背中を見ながら考えた。


リアは今、蒼をどう見ているのだろう。


完璧な恋人として見ているのか。


それとも、少しずつ何かに気づいているのか。


咲良には分からなかった。


窓から、蒼の姿も見えた。


射場の入り口に立っている。


いつものように、リアを待っていた。


その姿は穏やかだった。


危険な人間には見えない。


咲良は、その光景を見続けた。


頭の中で、二つの蒼が重なっていく。


作文を書いた子供。


十三のアカウントを動かした人間。


家族を失い、法廷でそれを聞いた十二歳。


犯人グループを内部から崩壊させた十四歳。


「困っている人を助けたい」と書いた子供。


今、射場の前でリアを待つ高校二年生。


全部が、同じ一人の人間だった。


咲良は、目を逸らした。


見ていることが、今日は少し辛かった。


新聞部として、多くの事実に向き合ってきた。


でも今回の事実は、これまでとは種類が違った。


教室を出る。


新聞部の部室へ向かう。


歩きながら、咲良はスマートフォンを見た。


倉橋からメッセージが届いていた。


『次に会えるのはいつになりそうか』


咲良は少し考えた。


そして返信する。


『まだ、決めていません』


すぐに既読がついた。


しばらくして、返信が来た。


『無理しなくていい。君のペースでいい』


咲良は、その言葉を見つめた。


自分のペース。


今の咲良には、それが分からなかった。


知ってしまったことの重さ。


何もしていない自分。


その間には、大きな距離があった。


部室に着いた。


新聞部の活動は、いつも通りだった。


次号の企画会議。


写真の選定。


原稿の確認。


咲良は作業をこなしながら、頭の片隅で同じことを考えていた。


リアに、いつ話すべきか。


話すべきなのか。


それとも、話さない方がいいのか。


答えは出ない。


でも、このまま時間だけが過ぎることも、正しいとは思えなかった。


部活が終わり、外へ出た。


グラウンドは暗くなっていた。


弓道部の練習も終わる時間だった。


咲良は校門へ向かって歩いた。


校門近くで、リアと蒼が並んで歩いているのが見えた。


二人は何か話しながら笑っていた。


穏やかな光景だった。


普通の幸福な光景だった。


咲良は、少し離れた場所から二人を見た。


声をかけなかった。


かけることができなかった。


二人が校門を出ていく。


咲良は、その背中を見送った。


そして、今日一日ずっと考えていた問いを、もう一度思い返した。


知っている者として、自分は何をすべきなのか。


答えは、まだ出ていなかった。


家へ向かう道を、一人で歩く。


夜が少しずつ深くなる。


咲良は、鞄の中の作文のコピーの重さを感じていた。


まだ誰にも見せていない紙。


いつか見せる日が来るのか。


来ないのか。


今の咲良には、まだ分からなかった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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