表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【9/17完結!】桜渓の孤星  作者: 筑紫隼人
第5章「解剖、始まる」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/62

第46話「作文」

三月の第二週だった。


橘咲良は、前回と同じカフェで、倉橋を待っていた。


今日は、倉橋から連絡が来たわけではなかった。


咲良の方から連絡をした。


「先週、見せてもらえなかったものを、まだ見せてもらえますか」


短い返信が届いた。


「持っていく」


それだけだった。


 

倉橋は、いつもより少し遅れて現れた。


席につくと、すぐに鞄を開いた。


そして、一枚の紙を取り出した。


コピー用紙だった。


古い作文用紙を、そのまま複写したもの。


「これだ」


倉橋は、それだけ言った。


説明はしなかった。


咲良は、その紙を受け取った。


 

原稿用紙のマス目の中に、子供の字が並んでいた。


丁寧に書かれた字だった。


けれど、ところどころ、力が入りすぎている。


小学生らしい、まっすぐな筆圧だった。


タイトル欄には、こう書かれていた。


「しょうらいのゆめ」


咲良は、その文字をしばらく見つめた。


 

本文に目を落とす。


「わたしのしょうらいのゆめは、けいさつかんです」


咲良は、一度だけ目を閉じた。


そして、もう一度開いた。


文字は変わらない。


そこに残っていた。


 

「わるいひとをつかまえて」


「もうだれもかなしまなくていいせかいにしたいです」


そこで、咲良の視線が止まった。


続きを読めなかった。


紙を見たまま、動けなかった。


 

倉橋は何も言わなかった。


咲良が、この紙と向き合う時間を待っていた。


急かす必要はない。


そう考えているようだった。


 

咲良は、もう一度、最初から読んだ。


今度は、ゆっくりと。


一文字ずつ確かめるように。


 

作文の最後には、日付があった。


蒼が小学六年生だった頃の日付。


アメリカへ渡る前年の日付だった。


「これを書いてから」


咲良は、ようやく声を出した。


「一年後に」


「一年後に、家族を失った」


倉橋は静かに答えた。


 

咲良は、紙を見つめた。


もうだれもかなしまなくていいせかい。


そう願った子供が。


その翌年、自分自身が最も深い悲しみを経験することになった。


 

「なぜ」


咲良は聞いた。


「これを持っているんですか」


「捜査資料の一部だ」


倉橋は答えた。


「小学校から、任意で提供を受けた」


「なぜ、警察官になりたいって書いた作文が、捜査資料に」


倉橋は少し黙った。


「事件の後」


静かに話し始める。


「彼を担当した心理カウンセラーが、この作文の存在を知った」


「知っていた」


「彼自身が話したらしい」


倉橋は続けた。


「小学校の頃、こんな作文を書いた、と」


 

咲良は、もう一度、作文を見た。


丁寧な字。


まっすぐな筆圧。


「けいさつかん」という文字。


「もうだれもかなしまなくていい」という文字。


 

「刑事さん」


咲良は言った。


「この作文を、いつも持ち歩いているんですか」


倉橋は、少しだけ驚いた顔をした。


「なぜ、そう思う」


「コピーが少し擦れているので」


倉橋は無意識に胸ポケットへ触れた。


その仕草が、答えだった。


 

「持ち歩いている」


倉橋は、静かに認めた。


「なぜですか」


「忘れないためだ」


「何を」


倉橋は、しばらく黙った。


「あの子が、最初はこういう子供だったということを」


 

咲良は、作文をテーブルへ置いた。


見ていられなかった。


でも、目を逸らすこともできなかった。


 

「これを」


咲良は言った。


「私、預かってもいいですか」


倉橋は少し考えた。


「コピーのコピーなら」


倉橋は言った。


「渡せる」


「原本は」


「僕が持っている」


咲良は、静かに頷いた。


 

「これを見て」


倉橋は言った。


「君は何を思った」


咲良は、しばらく考えた。


「悲しい、という言葉だけでは簡単すぎる気がします」


「うん」


「怒り、とも違います」


「うん」


「なんて言えばいいか、分かりません」


咲良は正直に言った。


「ただ、この子が、こんなことになってほしくなかったと思いました」


倉橋は静かに頷いた。


「僕も、同じだ」


「刑事さん」


咲良は言った。


「これを、リアさんに見せるべきだと思いますか」


倉橋は、すぐには答えなかった。


窓の外を見ていた。


三月の光は、まだ弱かった。


 

「それは」


倉橋は静かに言った。


「僕には決められない」


「なぜですか」


「君と、リアさんの関係の問題だからだ」


倉橋は続けた。


「僕は、外側の人間だ」


 

咲良は、もう一度、作文のコピーを見た。


コピーのコピーになる予定の紙。


いずれ自分の手元に残るもの。


その重さを、まだ理解しきれていなかった。


 

「時間をください」


咲良は言った。


「もちろん」


倉橋は答えた。


「急ぐ話じゃない」


 

倉橋は、残ったコーヒーを飲み干した。


それから、席を立った。


 

カフェを出た。


倉橋は、コピーのコピーを後日渡すと言って、先に帰った。


咲良は、一人で駅まで歩いた。


 

歩きながら、咲良は作文の文字を何度も思い返していた。


けいさつかん。


もうだれもかなしまなくていいせかい。


 

その言葉を書いた子供の手。


御堂千景の炎上を設計した手。


同じ手だった。


同じ人間の手だった。


 

駅に着いた。


ホームで電車を待つ。


スマートフォンを見る。


リアからメッセージが届いていた。


『今日、蒼くんと弓道の試合の話してた。次の大会、応援来てくれるって』


 

いつも通りの、何気ないメッセージだった。


咲良は、その画面を長い間見つめていた。


 

返信を打とうとした。


けれど、指が止まった。


今日見たものを、まだリアには話せない。


でも、いつまでも隠し続けることが正しいとも思えなかった。


 

電車が来た。


咲良は乗り込んだ。


窓の外の景色が流れ始める。


 

鞄の中には、まだ受け取っていない作文のコピーがある。


そう思った。


実際には、まだ手元にはない。


それでも、頭の中には、あの文字が残っていた。


 

けいさつかん。


もうだれもかなしまなくていいせかい。


 

その言葉を、リアに見せるべきなのか。


それとも、まだ自分の中に留めておくべきなのか。


 

咲良には、まだ答えが出なかった。


 

答えが出ないまま。


電車は、夜の街へ進んでいった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ