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【9/17完結!】桜渓の孤星  作者: 筑紫隼人
第5章「解剖、始まる」

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第41話「咲良の違和感」

橘咲良は、新聞部の部室で一人、ノートを開いていた。


放課後の校舎は静かだった。


遠くから吹奏楽部の音が聞こえる。


だが、この部屋までは届かない。


机の上のノートには、四月から書き続けてきた記録が並んでいた。


日付。


出来事。


気になった点。


新聞部の活動として始めたものではない。


個人的な記録だった。


違和感を忘れないための記録。


それを、咲良は十か月続けてきた。


 


四月八日。


転入生・朝比奈蒼、二年三組に編入。


最初のページには、こう残されていた。


「転入初日にして教室全体を把握している様子。通常、転入生は数日かけて周囲を観察する。朝比奈蒼は逆だった。観察されながら、同時に観察していた」


当時は、優秀な人間の適応力。


その程度の認識だった。


だから、そのまま流した。


だが今読み返すと、印象はまるで違っていた。


適応が早かったのではない。


最初から、全体を読むことに慣れていた。


そんな書き方に見えてしまう。


 


四月二十一日。


募金活動。


その日の記録も残っていた。


「朝比奈蒼、高額の募金。礼を言われても表情変化なし。投函後、手元を確認するような動作あり」


余白には、一言だけ書いてある。


「善意に見えない善行」


そのときは、言葉だけを書いた。


説明は書けなかった。


説明できなかった。


十か月経った今も、その一文だけが残っている。


 


咲良はページをめくった。


七月。


御堂千景の炎上。


「発信元十三アカウント。投稿時刻は三十秒以内に集中。高校生個人による実行は技術的に困難」


その下には、自分の推測が書かれていた。


「関与者 朝比奈蒼(推定)」


「根拠 動機の一致。リアへの対応との連続性。技術力の説明不能」


推定。


その二文字を見つめる。


推定のまま、四か月。


証拠はない。


否定する材料もない。


だから前へ進めなかった。


 


次のページを開く。


九月から十月。


記録は少ない。


意図的に減らしていた。


瀬戸川リアは多くを語らなかった。


だから咲良も、無理に聞かなかった。


一つだけ残した記録がある。


「十月上旬。リアの様子が変化。緊張感が消え、本来の落ち着きを取り戻す。ストーカーからの接触は完全停止(本人談)」


その下。


短く、一行。


「解決経緯 不明」


その言葉だけが浮いて見えた。


 


咲良はノートを閉じた。


窓の外を見る。


冬の日差しが、グラウンドを白く照らしていた。


考えていたのは、出来事ではない。


言葉だった。


不明。


推定。


説明不能。


十か月の記録には、その三つが何度も現れる。


新聞部として、これまで多くの記事を書いてきた。


学校行事。


部活動。


生徒会。


どれも調べれば答えがあった。


だが、朝比奈蒼だけは違う。


調べるほど、不明が増えていく。


 


新しいページを開く。


日付を書く。


一月三十一日。


その下へ整理を始めた。


一、朝比奈蒼は転入初日から異常な適応能力を示した。


二、御堂千景炎上には、朝比奈蒼以外の実行者を想定しにくい。


三、瀬戸川リアへのストーカー問題は、経緯が一切確認できない。


四、ただし、朝比奈蒼本人が直接関与を認めた事実は一つも存在しない。


書き終えた。


字は乱れていない。


いつも通り整っている。


だが、自分の手だけは速かった。


書きながら、それに気づいていた。


 


ここから先は、一人では無理だった。


技術的な限界がある。


痕跡を追う知識も、機材も足りない。


それだけではない。


もっと根本的な理由があった。


もし、この推測が正しいなら。


朝比奈蒼が炎上を設計し、ストーカー問題にも関与していたなら。


それは高校生の制裁では終わらない。


規模も。


精度も。


まるで違う。


咲良は初めて、その考えを真正面から受け止めた。


ノートの余白へ、一文だけ書く。


「これは事件だ」


声には出さなかった。


文字だけが残った。


 


再び窓の外を見る。


グラウンドではサッカー部が練習していた。


隼の姿はない。


今日はバスケ部の日だった。


咲良は隼を思い浮かべた。


隼は朝比奈蒼を信じている。


疑う理由すら持っていない。


この調査を続ければ。


いつか、その信頼を壊す日が来るかもしれない。


それでも。


咲良はノートを閉じなかった。


 


瀬戸川リアのことも考えた。


指輪。


穏やかな笑顔。


幸せそうな横顔。


それを見るたび、咲良も安心していた。


だが同時に思う。


その幸福は、何の上に成り立っているのか。


知ることは守ることなのか。


それとも壊すことなのか。


まだ分からない。


分からないまま。


調査だけは続ける。


今日、その決意だけは固まった。


 


最後の一行を書く。


「単独調査、継続困難と判断。外部協力者を検討」


ペンが止まる。


外部。


その言葉を見つめた。


学校の外に相談できる相手はいるのか。


警察は、一度リアが頼って動かなかった。


同じ結果になる可能性が高い。


必要なのは、もっと深い場所を知る人間だった。


朝比奈蒼の過去を知る人間。


だが、その存在に心当たりはない。


 


ノートを閉じる。


鞄へしまう。


部室を出た。


冬の廊下は静かだった。


窓から差し込む夕日が長く伸びている。


歩きながら、朝比奈蒼のことを考える。


転入初日の立ち居振る舞い。


募金箱の前で見せた確認するような手。


十三のアカウントを同時に動かせる技術。


どれも、一人の高校生には重すぎる。


その違和感だけが、日に日に大きくなっていた。


 


昇降口で靴を履き替える。


ふと顔を上げると、人影が見えた。


朝比奈蒼だった。


一人で校門へ向かって歩いている。


いつも通り。


静かで。


穏やかな歩き方だった。


咲良は、その背中を見送った。


頭の中では、さっき書いた一文だけが繰り返されていた。


単独調査、継続困難。


外部協力者を検討する。


その協力者が誰になるのか。


まだ分からない。


分からないまま、咲良も校門へ向かって歩き出した。


朝比奈蒼の姿は、もう見えなくなっていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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