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【9/17完結!】桜渓の孤星  作者: 筑紫隼人
第4章「虚飾の晩餐」 

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第37話「演じていない」

昨夜、眠れなかった。


理由は分かっていた。


蒼の笑い方が頭から離れない。


ハンバーグの皿が三つ並んだとき。


隼が何か言ったとき。


力が抜けた笑い方。


名前をつけようとして、できなかった。


そのまま朝になった。



図書室に行った。


蒼はいた。


向かいに座る。


今朝の蒼は、いつもの蒼だった。


本を開いている。


背筋がまっすぐ。


静かで整っている。


昨夜とは違う。


「おはよう」と蒼が言う。


「おはよう」


本を開いた。


文字が入ってこない。


「どうしたの」と蒼が聞く。


「なんでもない」


「眠れなかった顔してる」


「そう見える?」


「見える」


「少しだけ」と言った。


蒼は本を閉じた。


手をテーブルに置く。


「何考えてた?」


「昨日のこと」


「ファミレス?」


「うん」


「何が引っかかった?」


「引っかかってるというより」


言葉を探す。


「笑い方が、まだ分からない」


「昨日も言ってたね」


「一晩経っても変わらない」


蒼がこちらを見る。


「どんな笑い方だと思う?」


「どんな、って」


「そのまま言ってみて」


少し考える。


「演じていない、に近い」


言った瞬間、自分でも少し驚いた。


蒼は否定しない。


肯定もしない。


「普段は演じてるの?」と聞く。


「違う」蒼は少し間を置く。「整えてる」


「整える?」


「ちゃんとしていようとする」


「昨日はそれがなかった」


「隼といると必要ない」


「なんで」


「隼は見てない」


「見てない?」


「ただ一緒にいる」


ただ一緒にいる。


「私は?」と聞いた。


言ったあと、少しだけ後悔する。


でも戻さない。


蒼は窓の外を見る。


冬の空。


「リアは見てる」


視線が戻る。


「見てるから整えようとする?」


「整えたいと思う」


「それは違う?」


「動機が違う」


隼の前では整えない。


リアの前では整えたくなる。


どちらも本当で、どちらも違う。


「どっちが楽?」


「どっちも楽じゃない」


「どっちが好き?」


少し沈黙。


長い。


「リアの前の方が怖い」


「怖い?」


「見られてるから」


一拍。


「でも、その方がいいかもしれない」


怖い方がいい。


意味はまだ掴めない。


でも言葉だけ残る。


授業中も残っていた。


怖い方がいい。


見られている。


整えたくなる。


その緊張。


弓道に似ていると思った。


的の前の静けさ。


外すかもしれない怖さ。


それでも引く理由。


放課後、射場に行った。


蒼は来ていた。


十本引く。


八本入る。


「今日は八本」と言った。


「外れた理由は?」


「三本目と八本目」


「三本目は?」


「朝のこと」


「八本目も?」


「同じ」


蒼が少し笑う。


「朝の話、まだ考えてたんだ」


「離れなかった」


「何を考えてた?」


「怖い方が好きの意味」


「出た?」


「出なかった」


「そう」


「教えて」


蒼は床を見る。


沈黙。


「言葉にしにくい」


「今日初めて聞いた」


「たまにある」


「どんなとき」


「リアのこと」


同じ答え。


少しだけ照れた顔。


初めて見る表情。


「今の顔も名前がつかない」と言った。


「どんな顔?」


「昨日とは違う」


「どう違う?」


「昨日は抜けてた。今日は隠しきれてない」


蒼が困ったように笑う。


「バレてる?」


「バレてる」


「何が」


「それは言わない」


蒼がこちらを見る。


短く。


「そう?」


そこに全部があった。


帰り道。


「今日の弓」と蒼。


「うん」


「明日は整うといいね」


「理由が分かれば整う」


「今日は?」


「朝のせい」


「明日は?」


「分からない」


「難しいね」


少し笑う。


「弓って」


「そう。整えようとすると乱れる」


「それ、さっきと同じだね」


同じ。


「弓と私も?」


「たぶん」


「整えようとすると乱れる?」


「どっちも」


蒼が少し黙る。


「それ、正確だと思う」


改札前。


「また明日」


「また明日」


背中が消える。


今日の蒼は何度も顔を変えた。


整えた顔。


抜けた顔。


照れた顔。


困った顔。


全部本物だった。


どれも同じ重さだった。


電車に乗る。


窓の外が流れる。


怖い方がいい。


その言葉だけ残る。


まだ分からない。


でも形だけは少しある。


明日も図書室に行く。


それだけは確かだった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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