第34話「指輪」
クリスマスイブだった。
待ち合わせは駅の改札前。
六時ちょうどに着くと、蒼はもうそこにいた。
濃い色のコートを羽織っている。
制服姿しか見慣れていなかったせいか、それだけで少し新鮮だった。
「早いね」
私が言うと、蒼は穏やかに笑った。
「待ちたかったから」
「待つの、好きなの?」
「リアを待つのは好き」
あまりにも自然に言うから、一瞬だけ返事に困った。
「行こう」
蒼が歩き出す。
私もその隣に並んだ。
駅前のイルミネーションは、人であふれていた。
青や白の光が街路樹を包み、歩く人のコートにも淡く映っている。
クリスマスらしい景色だった。
「人、多いね」
「そうだね」
「こういうの苦手だと思ってた」
「前なら苦手だったかも」
「今日は?」
「今日は気にならない」
「どうして?」
蒼は私を見た。
「リアがいるから」
照れた様子もなく言う。
その言葉だけが胸に残った。
歩きながら横顔を見る。
イルミネーションの光が頬を照らしていた。
静かな横顔だった。
きれいだと思った。
でも口にはしなかった。
駅から少し離れた店に入る。
落ち着いた雰囲気の小さなイタリアンだった。
席に案内されてから尋ねる。
「予約してたの?」
「うん」
「いつ?」
「三週間くらい前」
思わず笑う。
「そんな前から?」
「人気だから」
「どうやって見つけたの?」
「調べた」
それだけだった。
でも、その一言で十分だった。
私のために時間をかけたことが伝わってきた。
料理が運ばれてくる。
二人で食べながら、取りとめのない話をした。
隼のこと。
咲良のこと。
三上先生のこと。
冬の大会のこと。
蒼はいつもよりよく笑っていた。
肩の力が抜けている。
無理をして笑っているようには見えなかった。
「楽しい?」
気づけば聞いていた。
蒼は迷わず頷く。
「すごく」
「そっか」
「リアは?」
「楽しい」
今度は私が迷わなかった。
その一言だけで十分だった。
蒼は何も返さない。
ただ少し目を細めた。
その表情だけで、何を思ったのか分かった気がした。
店を出る。
夜風が頬に触れた。
吐く息が白い。
「少し歩こうか」
「うん」
人通りの多い通りを離れ、静かな道へ入る。
街灯が一定の間隔で並び、足元を柔らかく照らしていた。
並んで歩く。
会話はない。
でも居心地は悪くなかった。
話さなくても足並みが合う。
それだけで十分だった。
「リア」
蒼が立ち止まる。
私も足を止めた。
向かい合う。
蒼はコートのポケットへ手を入れ、小さな白い箱を取り出した。
手のひらに収まるくらいの大きさだった。
「渡したいものがある」
静かな声だった。
「開けてもいい?」
「開けてほしい」
箱を受け取る。
指先に少しだけ重みを感じた。
ゆっくり蓋を開ける。
中には一本の指輪が入っていた。
飾りはない。
細い銀色の輪。
街灯の光を受けるたび、やわらかく輝いて見えた。
「リアに似合うと思った」
蒼はそれだけ言った。
理由は一つだけ。
それ以上、何も付け足さなかった。
私は指輪を見つめたまま動けなかった。
時間だけが静かに流れていく。
蒼は急かさない。
黙って待っていた。
返事がどちらでも受け止める。
そんな立ち方だった。
その静けさが、胸に残る。
箱の中の指輪を見る。
小さい。
でも、不思議なくらい存在感があった。
しばらくして、ようやく顔を上げる。
「……受け取ってもいい?」
蒼はすぐに頷いた。
「受け取ってほしい」
私は箱から指輪を取り出した。
左手の薬指へ、そっと通す。
驚くほど自然に収まった。
思わず手元を見つめる。
「ぴったり……」
小さくつぶやくと、蒼が少しだけ笑った。
「サイズ、分かったの?」
「リアの手を、ずっと見てたから」
「手を?」
「弓を引くとき」
そう言われて思い返す。
射場で。
図書室で。
隣を歩くたび。
蒼は本当によく私を見ていた。
「覚えてたんだ」
「うん」
短い返事だった。
でも、その一言に何か月もの時間が詰まっている気がした。
私は左手をかざす。
街灯の光が指輪を照らす。
角度が変わるたび、銀色がやさしく揺れた。
思わず声が漏れる。
「……きれい」
その言葉に、蒼は何も返さなかった。
ただ静かに私を見ていた。
その表情が少しだけ揺らいだ。
笑顔とも違う。
泣きそうとも違う。
初めて見る顔だった。
「ありがとう」
私が言う。
蒼はゆっくり息をついて、
「こちらこそ」
と答えた。
少し不思議な返事だった。
でも、その意味を聞こうとは思わなかった。
今は言葉より、この時間の方が大切だった。
もう一度歩き始める。
来た道を並んで戻る。
左手には指輪。
歩くたびに、その存在を思い出す。
何度も目を落としてしまう。
そのたびに胸が温かくなった。
改札が近づいた頃。
蒼が静かに口を開いた。
「リア」
「うん」
「今日、来てくれてありがとう」
私は笑った。
「私も」
その一言が自然に出た。
考えるより先だった。
改札の前で立ち止まる。
少しだけ名残惜しい沈黙が流れた。
「また明日」
蒼が言う。
「また明日」
お互いに笑う。
蒼は改札を抜けていった。
私はその背中を見送る。
人混みに紛れて見えなくなるまで。
姿が消えてから、左手を見る。
薬指には指輪。
街灯の光を受けて、小さく輝いていた。
そっと指先で触れる。
冷たかった。
それなのに、不思議と温かく感じた。
改札を抜ける。
ホームへ向かう。
電車を待つ間も、何度も左手を見た。
指輪は何も語らない。
それでも、今夜という時間を閉じ込めたように、静かにそこにあった。
電車がホームへ滑り込む。
私は左手をそっと握る。
そのまま乗り込んだ。
窓の外へ流れていくクリスマスの灯りを眺めながら、家路についた。
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