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【9/17完結!】桜渓の孤星  作者: 筑紫隼人
第3章「鮮血の聖域」

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第32話「聖域」

十月になった。


あの夜から、一週間が過ぎた。


一週間で、何かが変わった。


変わったというより、落ち着いた。


教室の空気は、また普通に戻っていた。


千景の炎上も。


ストーカーのことも。


教室の誰も知らない。


知らないまま、十月の日常は続いていた。


私だけが知っていた。


その事実を、一週間かけて少しずつ抱えていた。


慣れたわけじゃない。


ただ、前ほど苦しくなくなっていた。


昼休み。


咲良がやって来た。


「最近、顔が違う」


開口一番だった。


「どう違うの」


「落ち着いてる」


咲良は弁当を広げる。


「なんか決まった顔してる」


「そう見える?」


「見える」


少し笑った。


「いい意味でね」


「調査は?」


私が聞くと、咲良は箸を止めた。


「続けてる。でも壁がある」


「壁?」


「技術的な話じゃない」


咲良は少し声を落とした。


「これ以上は私一人じゃ危ない気がする」


「危ない?」


「規模が思ったより大きい」


慎重な口調だった。


「痕跡がなさすぎるんだよ」


「痕跡」


「普通は何か残る。でも残ってない」


咲良は小さく息を吐いた。


「残らないように動ける人がいる」


私は黙った。


「リアさんは?」


咲良が聞いた。


「その後、大丈夫?」


「来てない」


「本当に?」


「本当に」


咲良はしばらく私を見た。


「自然に消えた感じはしないけどね」


「うん」


「何かあった?」


「少し」


それ以上は聞かなかった。


聞かないことで察していた。


咲良は昔からそうだった。


その距離感が心地いい。


そう思った。


放課後。


射場へ向かった。


今日は蒼が先にいた。


最近は珍しくない。


入り口で待っていた。


「今日も早い」


私が言うと、


「来たかったから」


と蒼が答えた。


「毎回同じ理由だね」


「毎回同じだから」


少し笑った。


弓を構える。


引く。


入る。


また引く。


入る。


今日も調子は良かった。


十本。


全部入った。


通りかかった三上先生が黙って頷く。


それだけだった。


でも十分だった。


片付けながら蒼を見る。


「全部入った」


「見てた」


「今日は整ってた」


「なんで?」


「分からない」


本当に分からなかった。


あの夜から。


弓は少しずつ戻っていた。


理由だけが説明できなかった。


「整ってる時って」


蒼が言った。


「何も考えてないの?」


「考えてないわけじゃない」


矢筒を閉じながら答える。


「でも引っかかりはないかな」


「引っかからない状態って、どうやって作るの」


「作らない」


私は首を振った。


「気づいたら、そうなってる」


蒼は少し考えた。


「それが難しい」


「整えようとする?」


「する」


「だから乱れるんだよ」


蒼が苦笑する。


「向いてないな」


「弓道?」


「うん」


「剣道も向いてないって言われた」


「水泳は向いてたのに」


「あれは考えなくて済んだから」


少し間が空く。


「今は?」


そう聞くと、


蒼は小さく笑った。


「考えてしまう」


その一言が妙に残った。


射場を出る。


夕方の廊下を並んで歩く。


窓の外は秋の色だった。


「あの夜のこと」


私が言った。


蒼が頷く。


「後悔してる?」


少しだけ考えてから答えた。


「してない」


「なんで?」


「リアに会えた夜だったから」


足が少し止まりそうになった。


あの夜には色々あった。


でも蒼にとっては。


私に会えた夜でもあった。


「リアは?」


今度は蒼が聞く。


「後悔してる?」


私は少しだけ考えた。


「してない」


「なんで?」


答えは自然に出た。


「蒼くんの涙を見た夜だったから」


言った瞬間。


少しだけ驚いた。


正直すぎた。


でも取り消したいとは思わなかった。


蒼が立ち止まる。


廊下の途中だった。


ゆっくり振り向く。


「リア」


「うん」


「それ」


少し言葉を探していた。


「覚えておいていい?」


変な聞き方だった。


でも蒼らしかった。


「覚えておいて」


そう答える。


蒼は静かに頷いた。


それだけだった。


また歩き出す。


家に帰る。


自室へ入る。


窓の外はもう暗かった。


ベッドに腰を下ろす。


あの夜のことを思い出した。


何度も思い出した一週間だった。


最初は苦しかった。


共犯という言葉が重かった。


今も重い。


でも抱えられないほどじゃない。


その違いが何なのか。


まだ説明はできなかった。


窓の外を見る。


街灯が灯っている。


いつもの夜だった。


でも一週間前と同じ夜ではなかった。


何かが違う。


何が違うのか。


名前をつけようとしてみる。


できなかった。


そのままにしておこうと思った。


その時。


スマートフォンが震えた。


蒼からだった。


『今日の弓、全部入ってたね』


少し笑った。


見ていたことは知っていた。


でもわざわざ送ってくるのは珍しい。


『うん』


そう返した。


少しして通知が来る。


『蒼くんの涙を見た夜だったから、って言ってくれたこと』


画面を見る。


続きが届いた。


『覚えてる』


もう一通。


『ずっと覚えておく』


しばらく画面を閉じられなかった。


胸の奥に、静かな何かが残った。


名前はまだない。


言葉にもできない。


それでも確かにあった。


あの夜から続いてきたものが。


今夜、少しだけ輪郭を持った気がした。


それだけで十分だった。


スマートフォンを置く。


電気を消す。


暗い部屋で目を閉じた。


言葉にならない何かを抱えたまま。


そのまま眠りについた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


一つひとつの応援が、この物語を最後まで書き切る力になっています。


次話もお付き合いいただければ嬉しいです。

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