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桜渓の孤星  作者: 筑紫隼人
第3章「鮮血の聖域」

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第30話「共犯」

家に帰ったのは、七時を少し回った頃だった。


リビングには颯太がいた。


「おかえり」


「ただいま」


「今日、遅かったね」


「射場で少し話してた」


「蒼くんと?」


「うん」


颯太はそれ以上聞かなかった。


テレビを見ながらポテトチップスを食べていた。


私は鞄を置き、キッチンへ向かった。


夕飯を作る気にはなれなかった。


冷蔵庫を開く。


昨日の味噌汁が残っていた。


ご飯だけ炊いた。


それで十分だった。


「俺も食べる」


颯太が来た。


二人で食卓につく。


テレビの中では芸人が騒いでいた。


颯太は何度か笑った。


私は黙って箸を動かした。


味はよく分からなかった。


食べ終わると、自室へ戻った。


電気をつける。


鞄を床に置く。


ベッドに腰を下ろした。


静かだった。


ようやく一人になった。


今日の出来事を順番に思い返す。


射場。


蒼の涙。


頬に触れた指先。


謝罪。


そして。


「もう来られない」


という言葉。


今まで避けていた。


でも今夜は避けられなかった。


あの男は、もう来ない。


蒼はそう言った。


その言葉を聞いて。


私は何も聞かなかった。


昨夜は警察に言わないと言った。


今日もまた、聞かなかった。


聞かないことを選んだ。


そこでようやく、一つの言葉が浮かんだ。


共犯。


胸の奥に落ちた。


嫌な響きだった。


けれど、他の言葉が見つからなかった。


私は何も知らないわけじゃない。


全部ではない。


けれど輪郭は知っている。


知ったまま黙っている。


そして、そのままでいることを選んだ。


ベッドの上で小さく息を吐いた。


不思議なくらい怒りはなかった。


後悔もなかった。


ただ事実だけがあった。


それが少し怖かった。


もっと取り乱すと思っていた。


もっと拒絶すると思っていた。


そうならなかった。


そのことが、一番怖かった。


蒼は自分が怖いと言った。


私は私が怖かった。


同じ言葉なのに、意味は少し違う。


でも重さだけは似ていた。


スマートフォンを手に取る。


咲良とのトーク画面を開いた。


文字を打ちかける。


止まる。


消す。


また打つ。


結局、何も送らなかった。


話せることより、話せないことの方が多かった。


蒼の涙。


抱きしめたこと。


そして今、自分の中にあるもの。


どれも送れなかった。


画面を閉じる。


そのとき、ドアがノックされた。


「姉ちゃん、アイス食べる?」


颯太だった。


バニラアイスを持っている。


「食べる」


受け取る。


颯太は部屋に入らなかった。


ドアのところに立ったまま、自分のアイスを食べていた。


「今日は一人がいい?」


「そうかも」


「そっか」


少しだけ笑う。


ドアを閉める前に言った。


「何かあったら言って」


「うん」


ドアが閉まった。


また静かになる。


アイスを一口食べた。


冷たい。


甘い。


今夜はその二つだけが妙にはっきりしていた。


食べ終わる。


窓の外を見る。


街灯が灯っていた。


帰り道ではまだ暗かった場所だ。


今は明るい。


けれど昼とは違う。


照らされている場所だけが見える。


見えない場所は、そのまま残る。


私はしばらく窓の外を見ていた。


見えない部分のことは考えなかった。


考え始めると止まれない気がした。


ベッドに横になる。


天井を見る。


共犯。


その言葉は消えなかった。


消そうとも思わなかった。


事実だからだ。


事実は、見ないふりをしても消えない。


スマートフォンが震えた。


蒼からだった。


『今日、来てくれてありがとう』


画面を見つめる。


今日だけで何度目だろう。


蒼が「ありがとう」を口にしたのは。


あまり言わない人なのに。


今日は何度も言った。


『うん』


それだけ返した。


少しして返信が来る。


『眠れそう?』


昨夜、二時間しか眠れなかったと言っていた。


『分からない』


送る。


『そっか』


それで終わった。


私も返さなかった。


言葉が見つからなかった。


画面が暗くなる。


暗くなった画面に、自分の顔が映った。


共犯。


その言葉はまだ消えていなかった。


でも不思議と、逃げたいとは思わなかった。


怖い。


それは本当だ。


けれど、その怖さごと抱えたまま座っていられる気がした。


いつからだろう。


怖いものと同じ場所にいられるようになったのは。


答えは分からない。


分からないまま目を閉じた。


今夜は眠れそうだった。


理由は分からなかった。


分からないことだらけの夜だった。


それでも。


まぶたの裏に浮かぶのは、蒼の涙だった。


そして。


あのとき触れた手の温度だった。


それを抱えたまま。


私は静かに眠りへ落ちていった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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また、本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。


『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』

https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n9418lx/

王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!


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