表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜渓の孤星  作者: 筑紫隼人
第3章「鮮血の聖域」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/42

第29話「抱きとめる」

一歩、踏み出した。


蒼が気づいた。


振り向いた。


頬に涙が残っていた。


本人はまだ気づいていないようだった。


私を見て、少し驚いた顔をした。


近くまで来ていたことに、今さら気づいたらしい。


「リア」


「うん」


「なんで」


言葉が続かなかった。


なんで。


私にも分からなかった。


分からないまま、ここまで来ていた。


蒼の頬に手を伸ばした。


指先が触れる。


涙を拭った。


蒼が固まった。


呼吸まで止まったようだった。


「泣いてた」


私が言うと、蒼は自分の頬に触れた。


指先が濡れる。


「気づいてなかった」


小さな声だった。


「うん」


少し沈黙があった。


「怖かったからじゃないかな」


私が言う。


「何が」


「自分が」


蒼は黙った。


否定しなかった。


その沈黙が答えだった。


射場は静かだった。


夕方の光が床を長く照らしていた。


蒼は前を向いた。


でも少しだけ小さく見えた。


姿勢ではない。


背丈でもない。


もっと別の何かだった。


「蒼くん」


「うん」


「今日、ここに来てよかった?」


蒼は少し考えた。


「よかった」


「なんで」


「リアがいるから」


それだけだった。


それだけなのに、返す言葉が出なかった。


しばらく二人とも黙っていた。


光だけがゆっくり傾いていく。


「怖いまま、どうするの」


私は聞いた。


蒼は少し考えた。


「リアがいれば、止まれると思う」


「確信じゃないんだ」


「確信はない」


蒼は正直に言った。


「でも昨夜、止まった」


それは事実だった。


「リアがいなければ止まれないかもしれない」


蒼は続ける。


「でもリアがいれば、止まれるかもしれない」


私は黙って聞いていた。


「それでも」


蒼は言った。


「リアのそばにいたい」


また、その言葉だった。


来たい。


聞いてほしい。


いたい。


蒼はもう隠さなかった。


欲しいものを。


「リアは」


蒼が聞く。


「何」


「嫌じゃない?」


「何が」


「俺がそばにいること」


私は考えた。


正確に答えようとした。


「嫌じゃない」


「本当に?」


「本当に」


蒼は少しだけ笑った。


安心したような笑い方だった。


その顔を見た瞬間だった。


考えるより先に体が動いた。


私は蒼を抱きしめていた。


蒼が止まった。


完全に。


呼吸まで忘れたみたいに。


私も驚いた。


抱きしめるつもりだったのか。


そうじゃなかったのか。


自分でも分からなかった。


ただ、そうしていた。


蒼の体は少し冷たかった。


でも震えてはいなかった。


しばらく誰も動かなかった。


射場は静かだった。


遠くで誰かの声がした。


すぐ消えた。


「リア」


蒼が言った。


胸元から聞こえた。


「うん」


「なんで」


今日二度目だった。


私は少し考えた。


答えは見つからなかった。


だから正直に言った。


「分からない」


本当に分からなかった。


ただ放っておけなかった。


それだけだった。


蒼は何も言わなかった。


代わりに、少しだけ力が抜けた。


寄りかかるほどではない。


でも確かに抜けた。


その感覚が伝わってきた。


「昨夜のこと」


蒼が言った。


「うん」


「本当に、ごめん」


私は目を閉じた。


許す。


違う。


忘れる。


それも違う。


でも。


突き放すこともできなかった。


「うん」


それだけ答えた。


それだけで十分だった。


どのくらいそうしていたのか分からない。


気づけば夕方の光が薄くなっていた。


私たちは離れた。


何事もなかったみたいに弓具を片づけた。


射場を出た。


廊下を歩いた。


昇降口へ向かった。


途中で蒼が少し後ろを歩いていることに気づいた。


「なんで後ろなの」


振り向いて聞く。


蒼は少し困った顔をした。


「分からない」


「並んで歩けば」


そう言うと、蒼は前に来た。


隣に並んだ。


近かった。


でも私は離れなかった。


昇降口で靴を履き替える。


「一つだけ聞いていい」


私は言った。


「何」


「あの人は、もう来ない?」


蒼の手が少し止まった。


「来ない」


短かった。


「確信ある?」


「ある」


「なんで」


少しだけ間があった。


「もう、来られないから」


私は頷いた。


それ以上は聞かなかった。


聞けなかったわけじゃない。


聞かなかった。


外に出た。


校門の前で立ち止まる。


別れる場所だった。


「今日、来てくれてよかった」


蒼が言う。


「うん」


「昨夜も」


私は何も言わなかった。


言わなくても伝わる気がした。


「また明日」


「また明日」


蒼が歩いていく。


私はその背中を見送った。


一歩踏み出した。


涙を拭った。


抱きしめた。


それだけだった。


それだけのはずだった。


なのに。


何かが変わった気がした。


帰り道を歩く。


夕方と夜の間だった。


街灯はまだ灯っていない。


空だけが少しずつ暗くなる。


その道を一人で歩いた。


どこで変わったのかは分からない。


抱きしめた瞬間だったのか。


聞かなかった瞬間だったのか。


それとも、もっと前だったのか。


分からなかった。


でも。


何かが動いた。


音はしなかった。


それでも確かに聞こえた気がした。


もう戻らない場所へ、一歩踏み込んだ音が。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


突然ですが、作者からコンサル的お願いがございます。


「ブックマーク・評価」という施策を打てていない読者様、費用対効果は最高です。ワンクリック・5秒・無料。これ以上のROIはありません。


次話の更新速度というKPIに直結しますので、何卒ご支援のほどよろしくお願いいたします!


また、本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。


『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』

https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n9418lx/

王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ