第3話「転入生」
一週間が経った。
朝比奈蒼は、桜渓学院に完全になじんでいた。
一週間で、だ。
私は幼稚園からここにいる。
十二年かけて、今の立ち位置になった。
蒼は七日で、それに近いものを手に入れた。
正確には、私とは違う種類のものを。
私の立ち位置は「近寄りがたい」だ。
蒼のそれは「誰もが近づきたい」だった。
結果として、どちらも中心にいる。
ただし方向が逆だ。
観察するつもりはなかった。
ただ、見えてしまう。
朝、教室に入るとすでに誰かと話している。
相手は毎日違う。
男子とも女子とも、同じ温度で話す。
特定の誰かに肩入れしない。
全員に同じ距離を保つ。
その均等さが、かえって全員を「自分だけ特別扱いされている」と感じさせるのだろう。
不思議な人間だと思った。
昼休みには隼と弁当を食べるようになっていた。
隼が話しかけたのか、蒼が話しかけたのか、見ていなかったので分からない。
ただ二人は自然に並んでいた。
隼が何か言うたびに蒼が笑う。
その笑いが、他の場面での笑いと少しだけ違うことに、私は気づいていた。
力が抜けている、というか。
演じていない、というか。
気のせいかもしれない。
その日の午後、体育があった。
種目はバスケットボールだった。
私は体育が嫌いではない。
体を動かすこと自体は好きだ。
ただ、チームスポーツには毎回同じ問題が発生する。
誰も私にパスを出さない。
私がいると萎縮するらしい。
あるいは、私に頼れば勝てると分かっていて、それが悔しいのかもしれない。
どちらにせよ、面倒だ。
今日は男女合同だった。
チーム分けが終わった。
私と蒼は別チームになった。
隼が、
「これ絶対どっちかが圧勝じゃん」
と言った。
誰も否定しなかった。
試合が始まった。
蒼の動きを見た。
バスケットボールの経験がある動きだった。
無駄がなく、判断が速い。
ただ、力を抑えている。
全力を出していない。
それが分かった。
私も全力は出さない。
出すと試合が壊れる。
互いに手加減しながら、それでも普通の生徒より数段上のプレーをしている状態が、しばらく続いた。
一度だけ、蒼と一対一になった。
私がボールを持ち、蒼がディフェンスに来た。
二秒ほど、動かなかった。
蒼が笑った。
声は出さなかった。
口の端だけが動いた。
私はドリブルで抜いた。
シュートは入った。
「うまいね」
と蒼が言った。
「そっちも」
と私は返した。
それだけだった。
それだけの会話だったが、今日初めて、蒼と対等に言葉を交わした気がした。
授業中の「また明日」とは違う、重さの揃った言葉のやり取りだった。
試合はどちらのチームも特に大差なく終わった。
隼が、
「蒼、本気出せよ」
と文句を言っていた。
蒼が、
「出してたよ」
と笑っていた。
嘘だ、と私は思った。
蒼も同じことを私に思っているかもしれなかった。
放課後、昇降口で靴を履き替えていると、咲良が駆けてきた。
「リアさん、ちょっといい?」
「何」
「募金活動、手伝ってほしくて。新聞部の企画で、校門のところでやるんだけど、人手が足りなくて」
「私が?」
「リアさんが立ってたら、絶対みんな足を止めるから」
正直な理由だった。
断りにくい正直さだった。
「わかった」
校門の前に立った。
咲良ともう一人の新聞部員が募金箱を持ち、私は少し後ろに立った。
咲良の言った通り、私が立っているだけで生徒たちが足を止めた。
咲良が募金のお願いをする。
何人かが財布を出した。
単純な仕組みだ、と思った。
三十分ほど経ったとき、蒼が校門から出てきた。
咲良が声をかけた。
「朝比奈くん、新聞部の募金活動です、よかったら」
蒼は立ち止まった。
財布を出した。
中から取り出した金額を、私は見てしまった。
多かった。
高校生が気軽に出す金額ではなかった。
蒼は無言で募金箱に入れた。
咲良が、
「ありがとうございます」
と言った。
蒼は笑わなかった。
称賛されても、感謝されても、表情が動かなかった。
ただ、
「必要なことをした」
という顔をしていた。
それだけだった。
立ち去り際、蒼が私を見た。
一秒だけ。
それから校門の外へ消えた。
「すごい額だった」
と咲良が小声で言った。
「なんか、感じ良くなかった?」
私は答えなかった。
感じが良い、とは少し違う、と思っていた。
でもそれが何なのか、言語化できなかった。
咲良はメモ帳を取り出して、何かを書いていた。
「何を書いてるの」
「気になったことは書き留めておく習慣があって」
「何が気になったの」
咲良は少しだけ間を置いた。
「お礼を言われたときの顔」
私はそれ以上聞かなかった。
でも咲良が何を感じたか、分かる気がした。
善意に見えない善行、というものが、この世界には存在する。
帰り道、一人で歩いた。
一週間で、随分といろいろなことが変わった。
いや、変わっていない。
変わっていないのに、何かが違う。
私の日常は同じだ。
朝来て、授業を受けて、昼は一人か咲良と食べて、帰る。
その繰り返しだ。
何も変わっていない。
でも、教室の空気が変わった。
正確には、私が教室の空気を感じるようになった。
今まで空気は背景だった。
今は、少しだけ前景に出てきている。
その原因が何か、私には分かっていた。
分かっていて、認めたくなかった。
駅のホームで電車を待った。
風が吹いた。
四月の終わりの風は、まだ少しだけ冷たい。
スマートフォンを取り出した。
SNSのフォロワーが今日また増えていた。
数字を確認して、閉じた。
颯太からメッセージが来ていた。
『今日の夕飯、何がいい?』
私は少しだけ考えた。
『なんでもいい。でもまた野菜炒めは微妙』
すぐに返信が来た。
『あれは渾身の一作だったのに』
『野菜が何か分からなかった』
『ロマネスコだよ! おしゃれでしょ』
私はスマートフォンを閉じた。
少しだけ、口の端が動いた。
電車が来た。
乗り込んだ。
窓の外の景色が流れ始めた。
朝比奈蒼、と頭の中で名前を呼んだ。
声に出さなかった。
出す理由がなかった。
ただ、その名前が頭の中にある、という事実が、私には少しだけ重かった。
いつからこんなに重かっただろう、と思った。
七年前から、という答えが、浮かんで、沈んだ。
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また、本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。
『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』
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