第21話「最初の影」
九月になった。
二学期が始まった。
教室の空気が、また変わっていた。
夏休み明けの教室は、毎年少し違う。
背が伸びたやつがいる。
髪型を変えた子がいる。
夏の間に、何かを抱えて戻ってきた顔もある。
窓際の席から見渡すと、小さな変化がいくつも見えた。
隼は日焼けしていた。
バスケ部の合宿だったらしい。首の後ろが赤かった。
咲良は髪を少し切っていた。
「暑かったから」と言っていたが、前より輪郭がはっきり見えた。
千景は、変わっていなかった。
いや、正確には違う。
変わったのに、変わっていないように見えた。
前を向いて座る姿勢だけは、ずっと同じだった。
蒼も、見た目は変わっていなかった。
でも、違った。
朝からずっと、その感覚だけが残っていた。
一時間目が終わっても、言葉にできなかった。
昼休み。
咲良が弁当を持ってきた。
「始まったね、二学期」
「うん」
「夏休み中、調査続けてたんだけど」
咲良が声を落とした。
「行き詰まった」
「どこで」
「発信元」
咲良はノートを開かなかった。
今日は頭の中で整理している顔だった。
「十三アカウント、全部見た。でも共通点が出ない」
「繋がってない?」
「普通のやり方ではね」
咲良は少し悔しそうだった。
この顔は珍しい。
「普通じゃない繋がり方ってこと?」
「そう。でも、そこから先の手段がない」
咲良が「手段がない」と言うのは、少し重かった。
届かない場所がある、と認めた顔だった。
「続けるの?」
「続ける。今度は別ルート」
「別ルート?」
「人に聞く」
咲良が箸を動かした。
「デジタルで無理なら、アナログで行く」
その言い方が、妙に咲良らしかった。
「無理しないで」
「してない」
咲良は卵焼きを食べながら言った。
「リアさんこそ。今日どう?」
「普通」
「蒼くんは?」
「普通」
そこまで言って、止まった。
朝からの違和感が、また浮かんだ。
「……何か違う気はする」
「へえ」
「でも何が違うか、分からない」
咲良が少し笑った。
「前も似たこと言ってた」
「そうだっけ」
「変わったようで、変わってないって」
言われて、思い出した。
二学期前夜。
私は確かに、そう思っていた。
「蒼くんが隣にいること」
私は小さく言った。
「普通だと思い始めてる」
咲良の箸が止まった。
「それ、かなり大きい変化だよ」
「そう?」
「リアさん、人を背景に置くタイプじゃん」
言われてみれば、そうだった。
私にとって人は、風景に近い。
前景に来る人間は少ない。
颯太。
咲良。
そして、蒼。
蒼は、もう背景じゃなかった。
「困ってる?」
「困ってはない」
私は麦茶を飲んだ。
「でも、慣れていいのかなって思う」
「なんで?」
「全部知らないままだから」
蒼の七年間。
灯の半拍。
千景を見る、あの観察の目。
何も知らない。
知らないまま、隣にいることに慣れている。
それが少し、引っかかっていた。
咲良は少し黙った。
「リアさんって」
「うん」
「知らないことを、そのままにできない人だよね」
胸の奥が、少しだけ動いた。
でも私は昨夜、知らないことを選んだ。
その矛盾には、今日は触れなかった。
放課後。
二学期最初の射場。
久しぶりに三上先生に会った。
「夏休みどうだった」
「普通でした」
「嘘くさい顔してるな」
見透かされていた。
十本引いた。
八本入った。
感覚は落ちていなかった。
射を終えて片付けていると、蒼が来た。
いつもの場所。
射場の入り口にもたれて、待っていた。
「今日も来たんだ」
「来たかったから」
また、その言葉だった。
来る、じゃない。
来たい。
その差が、毎回少しだけ残る。
「蒼くん」
「うん」
「今日、何か違う」
蒼は少しだけ目を細めた。
「リア、気づくんだ」
独り言みたいな声だった。
「何に」
「少し変わった」
「何が?」
蒼は少し考えた。
それから静かに言った。
「リアのそばにいることが、当たり前になってきた」
私は弓のケースを閉じる手を止めた。
ほんの一瞬だけ。
昼休み。
私は咲良に、同じことを言った。
普通になってきた、と。
同じことを、蒼も思っていた。
その事実が、静かに胸に残った。
帰りの電車。
何となく、SNSを開いた。
通知は毎日大量に来る。
普段は流す。
でも今日は、一件だけ止まった。
内容は普通だった。
写真への感想。
変な文章じゃない。
ただ、そのアカウント。
今週三回目だった。
しかも三回とも、私が返信しなかった投稿だけに来ている。
返信した投稿には、一度も来ていない。
偶然かもしれない。
でも、少し変だった。
プロフィールを開いた。
風景写真のアイコン。
投稿三件。
全部最近。
フォロワーも少ない。
作られたばかりのアカウントだった。
最初の投稿日を見る。
二学期初日。
胸の奥で、何かがずれた。
怖い、ではなかった。
違和感だった。
ほんの少しだけ、空気が噛み合っていない感じ。
電車が来た。
乗り込んだ。
スマホをしまった。
窓の外を景色が流れていく。
気にしすぎ。
そう思った。
思いながら、ポケットの中のスマホが、少し重かった。
その重さに、まだ名前はつけなかった。
夕方の車内は混んでいた。
人がたくさんいた。
なのに。
今日初めて、少しだけ思った。
誰かに見られている気がする。
気のせいだと思った。
思いながら、窓の外を見続けた。
流れていく景色の中に、答えはなかった。
それでも、目を逸らせなかった。
影が。
静かに、近づき始めていた。
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また、本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。
『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』
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王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!




