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8.第2話① 無職探偵と危ないだけの金貨

 ヴェロニカが相談料を二倍にしたのは、依頼人が私の手を握った直後だった。


「久しぶり、ナターリヤ。相変わらず、いい指をしているわね」


 私の指先を一本ずつ裏返し、剣だこや古傷を眺めている女の名はリュドミラ。王立造幣局に勤める彫金師で、私が武具鑑定士の修業をしていたころ、金属加工の工房で何度か顔を合わせたことがある。


 当時、暇を持て余したヴェロニカもよく工房へついてきたため、二人も顔見知りだった。本人は暇だったのではなく、職人が目へ金属片を入れる頻度を調べていたのだと主張している。結論は「職人はよく目へ金属片を入れる」。以来、工房へ行くたびに眼鏡を勧めてくるようになった。


 赤みを帯びた金髪を後ろで束ねたリュドミラは、仕事着の袖を肘までまくっていた。指には彫金師らしい細かな傷が刻まれているものの、爪の形まできれいに整えられている。


 私の手を見る目つきも、武具を品定めするときより丁寧だった。


「追加料金が発生したわ」


 机の向こうから、ヴェロニカが告げた。


「何の加算?」


 リュドミラは私の手を離さないまま尋ねる。


「馴れ馴れしさ代よ」


「昔の知り合いへ挨拶しているだけだけれど」


「では、その挨拶に料金をいただきます」


「そんな代金、さっきまでなかったでしょう」


「いま決めたもの」


「私の手なのに?」


 口を挟むと、ヴェロニカは当然のように頷いた。


「事務所の中で起きたことには、事務所の決まりが及びます」


「その決まり、私にも及ぶの?」


「あなたは帳簿に載せにくい立場だから、もっと複雑よ」


「初めて聞いた」


「決めたのも初めてだもの」


 リュドミラはようやく私の手を離し、ヴェロニカへ面白そうな視線を向けた。


「昔より、ずいぶんわかりやすくなったわね」


「値段のつけ方が?」


「そういうことにしておきましょう」


「笑顔だけで話を曖昧にする人間は信用できないの」


「あなたがそれを言うの?」


 幼なじみは答えず、茶を一口飲んだ。典録上は【無職】にして、この国でただ一人の自称【探偵】である。事件の謎は解けても、自分に都合の悪い会話だけ聞こえなくなるという、女神も授けた覚えのない技能を持っていた。


「それで、造幣局の彫金師が探偵に何の用?」


 私が尋ねると、リュドミラは革の鞄から一枚の紙を取り出した。


 中央に描かれていたのは、薄布で目元を覆った女王の横顔。閉じた唇と伏せられた顎の周囲を、古い北方文字が取り囲んでいる。


「《嘆きの女王》よ」


 北方王国が滅びる直前、女王の葬送のために鋳造された大型の儀礼貨で、現存するのは一枚だけ。最初の持ち主は決闘で命を落とし、次は雪崩に埋まり、その次は大好きだった女の子にこっぴどく振られ、やけ酒の帰りに階段から落ちて死んだという。


 死者が重なるうち、金貨そのものが持ち主を殺しているという噂が広まった。


「最後の人、金貨と関係なくない?」


「やけ酒まで金貨のせいにするなら、関係はあるわね」


 ヴェロニカは紙に目を落としたまま答えた。


「世間では、本人の責任を認めたくないとき、呪いか政治のせいにするものよ」


「その金貨を、王都の古物集めが買い取ったの」


 新たな持ち主となったセルゲイは翌日、大勢の客を招いて金貨を披露する予定らしい。王立造幣局へ本物かどうかを見定めるよう頼んだ一方、呪いの有無を調べる神殿の正式な鑑定は拒んでいた。


 造幣局の《呪見鏡》には何の影も映らなかったが、それだけで呪われていないと断言はできない。金貨を手放せと迫る脅し文まで、セルゲイの屋敷へ三通届いているという。


「呪われているかどうかまで女神に決めてもらう気はないそうよ」


「人格に難のある古物集めね」


「あなたが言うと、褒め言葉に聞こえる」


「光栄だわ」


 リュドミラと私で、《嘆きの女王》が本物かどうかを確かめる。彼女は金の質と彫りを、私は武具鑑定士として材質や作りを見る。わざわざ事務所まで来た理由を尋ねると、彼女は迷わず笑った。


「あなたの鑑定は信用できるもの。それに、久しぶりに会いたかったから」


 机の上で、陶器の触れ合う硬い音が響く。


「カップを割らないでよ」


「置いただけよ」


「ずいぶん強く?」


「丈夫か確かめたの」


 ヴェロニカはリュドミラの持参した書付を取り上げる。


「引き受けます。ただし、一つ条件があるわ」


「何かしら」


「ナターリヤへ触れる前に、理由を言って」


「保護者なの?」


「帳簿係よ」


「いつから?」


「いまから」


 相談料に続いて役目まで増えた。事件が終わるころには、私にも知らされていない決まりが巻物一本分できていそうだった。


* * *


 セルゲイの屋敷へ向かう馬車の中でも、ヴェロニカは私とリュドミラの間へ座っていた。


 三人掛けの座席には十分な広さがある。それでも幼なじみは、私の肩へ触れそうな位置から動こうとしない。


「狭くない?」


「リュドミラ側には余裕があるわ」


「あなたが真ん中にいるからでしょう」


「それで秩序が保たれているのよ」


 リュドミラは窓の外へ目をやりながら笑った。


「ナターリヤを呼んだのは、腕だけが理由ではないの。嘘をつくのが苦手だから、調べたことを信用できるでしょう」


「そこまで苦手じゃないよ」


「宿の寝台を壊したとき、主人へ何と言った?」


 ヴェロニカが尋ねてきた。


「壊れる予定だったのかもしれません、って」


「先に謝った方がましだったわね」


「自分にも落ち度があると思わなかったの?」


「寝台の方が先に諦めたんだよ」


「犯人としては不安でしょう」


「何の犯人にするつもり?」


「将来に備えた適性検査よ」


 リュドミラが声を立てて笑う。ヴェロニカだけは、私の肩へ触れたままだった。


* * *


 セルゲイの屋敷は、貴族街の外れに建つ灰色の館だった。玄関から応接室へ続く廊下には、剣、壺、仮面、魔物の骨が隙間なく並び、価値ある品ばかりを集めた結果、盗人がどれから持ち去るべきか迷う家になっている。


 主人のセルゲイは、金色の上着を着た痩せた男だった。宝石の指輪をいくつもはめた両手を、話すたびに大きく広げる。自分の言葉にも飾り台が必要だと思っているらしい。


「これが、届いた脅し文だ」


 最初に見せられたのは金貨ではなく、三枚の紙だった。


 古い北方文字が、黒い墨で乱暴に並んでいる。


 三枚には、届いたあとに付けられたらしい共通語の粗訳が添えられていた。


『女王の眠りを見世物にするな』 『奪われた眠りを北へ返せ』 『金貨を墓所へ戻さなければ、次に眠るのはお前だ』


「眠り?」


 私が首を傾げると、部屋の隅にいた女が口を開いた。


「北方の古い祈りでは、死をそう呼びます」


 セルゲイの秘書、ガリーナだった。暗い栗色の髪を隙なく結い、厚い帳簿を胸へ抱えている。声にも表情にも、必要以上のものがなかった。


「二通目は、正確には『眠りを奪った者は北へ返せ』です」


「読めるの?」


「北方の神殿で育ちましたから」


「ただの脅しだ」


 セルゲイは紙を乱暴に重ねた。


「滅びた国の言葉を使えば、呪いらしく見えると思ったのだろう」


「脅し文を書いた相手に心当たりは?」


 ヴェロニカが尋ねる。


「私の収集品を妬む人間なら、王都だけで百人はいる」


「あなた自身を嫌う人間は?」


「数える価値もない」


「容疑者が減らなくて助かるわ」


 ようやく金貨の箱が開かれた。


 濃紺の布の上へ載っているのは、普通の金貨より一回り以上大きな一枚。嘆く女王は紙に描かれていたものより険しい顔で、持ち主を歓迎しているようには見えなかった。


「実に美しいだろう。死と悲哀と、王家の威厳が一枚へ凝縮されている」


「持ち主の趣味の悪さも加わっていますね」


 ヴェロニカの感想に、セルゲイの眉が跳ねる。


「誰だ、この女は」


「探偵です」


 私が答えた。


「無職に見えるが」


「よく見抜いたわね。あなたにも才能がある」


 私が間へ入らなければ、鑑定より先に決闘が始まりそうだった。


 セルゲイの甥、ボレスラフは黒檀製の飾り台を調整していた。職業は【機巧師】で、歯車仕掛けの鳥や自動人形を貴族相手に売っているという。


 足元へ広げた道具巻きには、細やすり、細密加工用の細い針、小鋏、締め具が整然と収まっていた。


「今日は調整だけ?」


 リュドミラが道具巻きを覗く。


「ああ。飾り台はもう組み上がっている」


「なら、それで足りるわね」


 飾り台の片隅には、真鍮製の小鳥が止まっていた。台座には、【セルゲイ工房製・夜鳴き鳥】と刻まれている。


「それを作ったのは私です」


 ボレスラフが言った。


「叔父は、私の作った品へ自分の工房名を刻ませています」


 ボレスラフが金具へ触れると、《夜鳴き鳥》は両翼を跳ね上げた。


ギャッ、ギャッ、ギィィィーッ!


「床や扉から台座へ伝わる振動を感知して鳴く警報具です」


 鳴き止むより先に、ボレスラフが台座の下へ指を入れた。


「いまの、少し強く拾ってない?」


 私が尋ねると、彼は締め具をわずかに戻した。


「扉を閉める振動なら鳴く。人が横を歩くだけで鳴くなら失敗だ」


 もう一度金具へ触れる。今度も両翼が跳ね上がったが、鳴き声はさっきより短く切れた。


「そこまで変わるんだ」


「変わらなければ、調整とは言わない」


 リュドミラが笑った。職人同士には、それで十分通じたらしい。


「呪いには警報具が効くのかしら」


「盗人には効く」


 セルゲイは二人の会話を待たず、金貨を持ち上げた。


「本物の金は、歯でわかる」


「噛まないでください」


 リュドミラの声が鋭くなる。


「古い金貨なんです。歯で確かめる物じゃありません」


「同じ場所を噛まなければ、金の質を比べられん」


 女王の冠の頂には、浅い歯痕が一つ残っていた。


 セルゲイは以前につけた跡へ上の歯を合わせ、躊躇なく力を込める。


「女王の冠は、図柄の中で最も厚く打たれている。ここへ歯がどれだけ沈むかで、純度がわかるのだ」


「金貨より先に、あなたの歯が欠けそうですね」


「一流の収集家には、一流のやり方がある」


「歯へ職業技能が宿っているとは知りませんでした」


 ヴェロニカの言葉を無視し、セルゲイは満足そうに金貨を口から離した。


「金貨を作る人間には、耐え難い癖ね」


 リュドミラが手袋をはめながら言った。


「女王の顔へ歯形をつけるのよ」


「そこ?」


「そこもよ」


 表裏の図柄と縁の文字を確かめたあと、リュドミラから金貨を受け取り、指先で軽く弾いた。乾いた響きが返ってくる。続けて縁を指の腹でなぞると、王冠の下にある古い継ぎ目だけが細く引っかかった。押し返してくるような感触はない。


「《嘆きの女王》は、表と裏を別々の薄板へ打ち、縁を接いだ造りなの」


 リュドミラが拡大鏡を覗きながら言った。


 その乾いた響きと王冠の下の感触を覚えてから金貨を戻した。リュドミラはそのまま歯痕の下で拡大鏡を止める。


「やはり、ここだけ古く継ぎ直されているわ」


「開けられるか?」


「縁を外せば。ただし、元へ戻しても細い跡は残ります」


「許さん」


「開けずに見られる範囲には限界があります」


「傷をつけずに調べろ」


「金属加工を祈祷と勘違いしていませんか」


「一流ならできる」


「一流の職人は、無理な注文を断る判断も一流です」


 セルゲイは披露の宴が終わるまで、表面を見るだけにしろと言い張った。


 金貨を箱へ戻そうとするリュドミラの横から、私は縁へ手を伸ばした。


 触れる寸前、手首をつかまれる。


「待ちなさい」


 ヴェロニカの親指が、私の脈の上へ重なっていた。


「さっきは触っても何も言わなかったでしょう」


「そこ、継ぎ直されているのでしょう」


「触るだけだよ」


「あなたの『触るだけ』は信用していないわ」


「手袋をすれば平気」


「あなたは、自分の指を粗末に扱いすぎるわ」


「仕事道具だから大切にしてるよ」


「私の生活にも必要なの」


 一瞬だけ、部屋が静かになった。


 リュドミラは私たちを見比べたあと、セルゲイへ金貨を返した。


「触った理由は?」


「危険物からの保護」


「ほかの理由もあるのかしら」


「頼まれた調査と関係のない質問には、別料金をいただきます」


 セルゲイが箱を閉じると、《夜鳴き鳥》が両翼を上げて一度だけ鳴いた。


 ガリーナが帳簿へ目を落とした。


「では、明日の工房売却も予定どおりで」


「いま、その話をする必要があるか」


「予定の確認です」


 ボレスラフが作業の手を止めた。


「叔父上。本当に工房を売るつもりなのか」


「借金の担保として受け取った。どう扱おうと私の勝手だ」


「母が残した工房だ。私が作った鳥も時計もある」


「だから価値があるうちに売るのだ」


 セルゲイは甥を冷たく見た。


 日が落ちる前、セルゲイは翌日の披露について最終確認を始めた。ガリーナや使用人たちが大広間へ集められていく。応接室では、ボレスラフが引き続き飾り台を調整していた。《嘆きの女王》の箱は、留め具を合わせるため台に載せられたままだった。


 大広間へ移ってからも、セルゲイの声はよく聞こえた。明日の披露一つに、まだ決めることがいくらでもあるらしい。


 私たちも帰ることにした。その直前、ボレスラフが《夜鳴き鳥》をもう一度作動させる。


ギャッ、ギャッ、ギィィィーッ!


 二枚の翼が同時に跳ね上がった。


「最後まで元気ね」


「警報具は元気な方がいい」


 ボレスラフが台座の金具を戻すと、《夜鳴き鳥》は両翼を畳んだ。


 リュドミラの笑い声を背に、私たちはそのまま屋敷を出た。


 翌朝、セルゲイは宝物室の床に倒れていた。


 その頬のすぐそばには、《嘆きの女王》。


 昨日と変わらない横顔だけが、床の上に残っていた。

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