第2話② 無職探偵と危ないだけの金貨
扉は内側から施錠され、窓には鉄格子がはまっている。術を使った形跡も、隠し通路もなかった。
床へ転がる《嘆きの女王》。そのそばでセルゲイは喉を押さえた姿勢のまま倒れ、顔色は紫へ変わっている。唇の端から流れた細い血だけが、まだ乾かずに残っていた。
「呪いだ」
ボレスラフが扉の前で言った。
「歴代の持ち主と同じだ。金貨が叔父を殺した」
「決闘と雪崩と寝台からの転落に続いて、今度は宝物室ね」
ヴェロニカは遺体の前へしゃがみ、口元を眺めた。
「何でも引き受ける働き者の呪いだわ」
「ふざけるな」
「真顔なら呪いが説明してくれるの?」
神殿医はセルゲイの喉や瞼を確かめ、唇に残った血を細い銀匙ですくった。刃傷も、首を絞められた痕も見当たらない。
血を一滴、《毒見石》へ落とす。乳白色だった石はたちまち濁り、病的な紫へ変わった。
「毒が入っています」
死者の口元へ顔を寄せた神殿医が、わずかに眉を寄せる。
「《冬眠花》の樹脂に似た匂いです。息を止める類でしょう。ただ、飲んだのか、傷から入ったのかまではわかりません」
新しい毒見石を金貨へ近づけても、表面では色が変わらなかった。
「昨晩、この部屋へ入ったのは?」
近衛騎士団長スヴャトスラフが尋ねる。大神殿の一件以来、彼はヴェロニカの姿を見るたび、頭痛をこらえるような顔をする。再会を喜んでいるのだと思いたい。
「叔父だけだ」
ボレスラフが答えた。
「飾り台の調整が終わったあと、叔父が金貨を箱へ入れ、自分で宝物室へ運んだ。廊下までは同行したが、中には入っていない」
「鍵は内側からかけられていました」
ガリーナが続ける。
「朝になればセルゲイ様が鐘を鳴らす決まりでした。今日は鳴らなかったため、家令の持つ管理鍵で開けています」
「完全な密室とは言わないのね」
ヴェロニカがスヴャトスラフを見る。
「同じ失敗を二度するほど暇ではない」
「成長を認めるわ」
「必要ない」
床の金貨へ近づこうとしたリュドミラを、ボレスラフが腕で制した。
「触るな」
「調べなければ、何が起きたかわからないでしょう」
「金貨を開き、元へ戻せるのは君だ。鑑定中に何かを仕込んだ可能性がある」
リュドミラはボレスラフの腕を押しのけ、ヴェロニカへ向き直った。
「庇うなら、性格ではなく私の仕事を見て」
「庇うつもりはないわ」
あっさり返され、今度は私がヴェロニカを見た。
「リュドミラには、金貨を開ける腕がある。表面へ長く触れ、道具も持っていた。現状では立派な容疑者よ」
「正しいわ」
リュドミラの声には怒りも動揺もなかった。
「その代わり、調べるなら最後まで見なさい。造幣局の仕事かどうかも含めて」
「もう一人いるわね」
ガリーナが、保管していた三通の脅し文をヴェロニカへ差し出した。
「北方の神殿でしか使われない言い回しを知り、工房の売却契約を確認するため、昨晩セルゲイを書斎へ連れ出した人物」
ガリーナは帳簿を胸へ抱えたまま、ヴェロニカを見返した。
「脅し文を書いたのは私です」
告白は、あまりに平坦だった。
「殺人も?」
「違います」
「文には『次に眠るのはお前だ』とあるわ」
「死者の眠りを侮るなら、いずれ同じ場所へ行くという意味です。手を下すとは書いていません」
「脅した人間は、殺していないときほど正確な言葉を選ぶものね」
ガリーナは否定しなかった。
《嘆きの女王》は、本来、女王の墓所へ納められる葬送具だったという。王国が滅びた混乱の中で持ち出され、いつしか記念金貨として売買されるようになった。
「私は、墓所を守っていた神殿の生まれです。セルゲイ様が宴の見世物にすると知り、返還を求めました」
「昨晩、彼を別室へ呼び出した理由は?」
「工房の売却契約を確かめるためです。買い手の書記と家令も同席していました。セルゲイ様が応接室へ戻るまで、私は二人と一緒にいました」
家令と書記が呼ばれ、証言は一致した。
ガリーナは脅し文を書き、セルゲイを部屋から連れ出した。しかし、その間に金貨のそばへ戻ってはいない。
「脅し文は殺人とは別の線、ということね」
スヴャトスラフが言う。
「いまのところは」
ヴェロニカは三通を重ねた。
「秘密を一つ認めた人間が、残りを全て話したとは限らないわ」
リュドミラとガリーナ。どちらにも、金貨を巡る理由がある。
そしてボレスラフには、翌日の工房売却を止める理由があった。
死体を前にした部屋で、三人の線だけがまだ交わらずに残っていた。
*
私は誰に言われるより先に厚手の手袋をはめ、床の金貨を拾った。
前に持ったときより、ほんのわずかに重い。
傾けると、中心から小さな反動が返ってきた。水が揺れる感触ではなく、細い金属に押し戻されるような動きである。
「中に何か増えてる」
リュドミラが拡大鏡を当てた。
セルゲイの歯痕が残る冠の下で、継ぎ目は前日より広がっている。縁には、何かを差し込んで閉じ直した跡もあった。
「造幣局で使う楔の跡ではないわ」
「わかるの?」
私が尋ねる。
「造幣局では、薄板を開くときに角の丸い刃を使う。これは先の尖った物を差し込んでいる。縁の内側が削れているでしょう」
「わざと粗く仕上げた可能性は?」
ヴェロニカが問う。
「あるわ。だから、これだけでは私を外せない」
リュドミラは道具箱から薄い刃を選び、金貨の隙間へ差し込んだ。表面を傷つけぬよう少しずつ力を加えると、二枚の殻が乾いた音を立てて分かれた。
中に収められていたのは、細いばねと髪の毛ほどの針。針の根元には、黒い練り薬がこびりついている。
「《冬眠花》を煮詰めた毒でしょう」
神殿医が銀匙で薬を取り、毒見石へ触れさせた。石はセルゲイの血を落としたときと同じ紫色へ濁る。
「小さな傷から入っても、胸と喉が動かなくなります」
女王の冠の浮き彫りを押すと、針が同じ場所から突き出した。力を抜けば、ばねによって殻の内側へ戻る。
以前の歯痕と、ぴたり同じ場所だった。
神殿医が死者の上側の歯茎を調べると、小さな刺し傷が残されていた。
「呪われてはいないわ」
ヴェロニカが割れた金貨を覗き込む。
「噛めば毒針が出る。それだけよ」
「十分怖いんだけど」
「神秘性がないという意味では、危ないだけの金貨ね」




