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6.第1話 後日譚① エカテリーナは磨かれたい

 エカテリーナが事務所を訪ねてきたとき、ヴェロニカは依頼料の支払い方法を増やしていた。


 帳簿の余白には、


【金貨】

【宝石】

【有益な秘密】

【将来の大きな恩】


 と並んでいる。


「最後の二つは通貨じゃないよ」


「価値があるなら同じでしょう」


「大きさを誰が決めるの」


「私よ」


「依頼人に不利すぎる」


「料金制度は経営者に有利なほど長続きするわ」


 扉が控えめに叩かれた。


 入ってきたエカテリーナは、大神殿で会ったときと同じ灰色の服を着ていた。首筋には、鎖の形をした契約痕がまだ残っている。


「ご相談があります」


「支払い方法は四種類から選べるわ」


「増やした二種類は消して」


 エカテリーナは小さな革袋を机へ置いた。中には銅貨が五枚入っている。


「足りますか」


「内容を聞いてから決めよう」


「まともなことを言わないで。経営方針が乱れるわ」


 エカテリーナは銅貨ではなく、私の腰にある短剣を見ていた。


「ナターリヤさんへお願いがあります」


「私に?」


「磨いていただきたいんです」


 私は自分の短剣へ目を落とした。


「何を?」


「私を」


 ヴェロニカが椅子を引き、急に真剣な顔で座り直した。


「詳しく聞きましょう」


「あなたは黙ってて」


* * *


 エカテリーナは、人の姿から細身の短剣へ変わった。


 私の短剣を写したときとは違う。柄は黒木、鍔は小さく、刃には淡い波紋が走っている。


「これが、あなた自身の形?」


 机の上へ置かれた短剣が、かすかに震えた。


 人の姿へ戻ったエカテリーナは頷く。


「自分で変わると、この形になります」


「傷があるね」


 刃の中央に細い曇りがあり、切っ先にも小さな欠けが残っていた。


「以前の所有者は、使えればよいと言って、手入れをしませんでした。欠けてもそのまま使い、錆びれば聖水へ沈めるだけでした」


「痛む?」


「人の姿では痛みません。でも、変わるたびに引っかかる感じがします」


「それで、磨いてほしいの?」


「はい」


「手入れの方法を教えることもできるよ」


「最初は、ナターリヤさんにお願いしたいです」


 断る理由を探した。


 人間を武器として扱ってはいけない。大神殿で、そう思ったばかりだった。


「迷っているのね」


 ヴェロニカが言う。


「だって、エカテリーナは人間でしょう」


「だから、本人が磨かれたいと言っているのに、あなたが代わりに断るの?」


 言い返せなかった。


 エカテリーナは膝の上で両手を重ねている。


「武器として扱われたいわけではありません」


 静かな声だった。


「自分の形を、自分で大事にしたいんです。でも、正しい手入れを知りません。教えてもらう前に、一度だけ、どうされるものなのか知りたいです」


「わかった」


 私は鑑定台を空け、布と油と細かな砥粉、それから小さな砥石を並べた。


「嫌になったら、すぐ人の姿へ戻って。途中でも止めるから」


「はい」


 エカテリーナは短剣へ変わった。


* * *


 刃へ油を薄く塗り、布を一定の向きへ滑らせる。


 最初は固かった振動が、少しずつ穏やかになっていった。


「強すぎない?」


 短剣が一度震える。


「それは、大丈夫?」


 二度震えた。


「二度は何?」


 人の姿へ戻ったエカテリーナが答える。


「もう少し強くても大丈夫です」


「先に合図を決めよう」


「一度が大丈夫、二度が止めてください、では?」


「いま二度震えたよね」


「間違えました」


「大事なところで間違えないで」


 ヴェロニカが鑑定台の反対側から覗き込む。


「では、普通に震えたら続けて、危険そうに震えたら止める」


「判断を全部こっちに投げたよね」


 エカテリーナが小さく笑った。


 大神殿では一度も聞かなかった声だった。


「一度が続けて、二度が止めて、でお願いします」


「今度は間違えない?」


「努力します」


「約束して」


「約束します」


 もう一度、短剣へ変わる。


 今度は、一度の振動だけが返ってきた。


 私は切っ先の欠けを整え、刃の曇りを砥粉で薄く削った。傷を全て消そうとすれば、刃そのものまで細くなる。引っかかりがなくなり、これ以上広がらないところで止めた。


 最後に柔らかな布で油を拭うと、淡い波紋が窓の光を返した。


「終わったよ」


 人の姿へ戻ったエカテリーナは、自分の両手を開いたり閉じたりした。


「軽いです」


「削った量はほとんどないよ」


「重さではなくて」


 彼女は胸元へ手を置く。


「ここが、引っかかりません」


 それが刃の傷の感覚なのか、別の何かなのか、私にはわからなかった。


 わからないままでもよい気がした。


「次は、自分で手入れできる方法を考えよう」


「短剣になったら、手がありません」


「まず、人の姿のまま刃の一部だけを出せるか試してみて。できるなら、自分の目で状態を見ながら磨ける」


「できなかったら?」


「刃を支える台を作る。砥石の当たり方を自分で選べて、嫌ならすぐ外せる仕組みにするよ」


「作りましょう」


 ヴェロニカが即答した。


「あなたは工作できないでしょう」


「設計するわ」


「椅子の脚を直そうとして、三本とも長さを変えた人が?」


「あれは床の方が歪んでいたのよ」


* * *


 帰り際、エカテリーナは銅貨を机へ置いた。


「今日は手入れの見本だから、二枚でいいよ」


「五枚払います」


「次からは教える時間の分ももらう。それで十分」


「値段を依頼人へ決めさせるのは、よくない経営よ」


 ヴェロニカが言う。


「私の仕事だから、私が決めるの」


「では、帳簿へ新しい支払い項目を追加しましょう」


「何を?」


「授業料」


「それは普通でしょう」


「残念ね」


 エカテリーナは銅貨を二枚だけ置き、残りを袋へ戻した。


「次も来てよいですか」


「もちろん」


「今度は、教えてください」


「うん」


 扉を開けたところで、エカテリーナが事務所の看板を見上げた。


【ヴェロニカ探偵事務所】

【相談料は依頼人の資産に比例】


「ナターリヤさんの名前は、ないんですね」


 ヴェロニカの動きが止まった。


「同行鑑定士だからよ」


「助手ではないんですよね」


「ええ」


「では、何と書くんですか」


 ヴェロニカは答えず、エカテリーナを扉の外まで送り出した。


* * *


 その日の夜、看板の下へ新しい木片が立てかけられていた。


【武具の手入れは応相談】


「勝手に私の仕事を増やさないで」


「まだ掛けていないわ。立てかけただけよ」


「言葉の意味を細くしないで」


 ヴェロニカは木片を裏返そうとした。


 私はその手を止めた。


「内容は、これでいい」


「いいの?」


「私が受けるかどうかは、相談されたときに決める。その条件なら」


 ヴェロニカは私の顔と木片を交互に見たあと、釘を一本差し出した。


「掛ける?」


「うん」


 二人で木片を看板の下へ留めた。


「私の名前じゃないんだ」


「まだ適切な呼び方が決まっていないもの」


「料金表はすぐ決めるのに?」


「金額より難しい問題もあるわ」


 それだけ言って、ヴェロニカは新しい木片の端を布で磨き始めた。

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