第2話① 無職探偵と危ないだけの金貨
ヴェロニカが相談料を二倍にしたのは、依頼人が私の手を握った直後だった。
「久しぶり、ナターリヤ。相変わらず、いい指をしているわね」
私の指先を一本ずつ裏返し、剣だこや古傷を眺めている女の名はリュドミラ。王立造幣局に勤める彫金師で、私が武具鑑定士の修業をしていたころ、金属加工の工房で何度か顔を合わせたことがある。
当時、暇を持て余したヴェロニカもよく工房へついてきたため、二人も顔見知りだった。本人は暇だったのではなく、職人が目へ金属片を入れる頻度を調べていたのだと主張している。結論は「職人はよく目へ金属片を入れる」。役に立ったことはない。
赤みを帯びた金髪を後ろで束ねたリュドミラは、仕事着の袖を肘までまくっていた。指には彫金師らしい細かな傷が刻まれているものの、爪の形まできれいに整えられている。
私の手を見る目つきも、武具を品定めするときより丁寧だった。
「追加料金が発生したわ」
机の向こうから、ヴェロニカが告げた。
「何の加算?」
リュドミラは私の手を離さないまま尋ねる。
「馴れ馴れしさ代よ」
「昔の知り合いへ挨拶しているだけだけれど」
「では、その挨拶に料金をいただきます」
「そんな代金、さっきまでなかったでしょう」
「いま決めたもの」
「私の手なのに?」
口を挟むと、ヴェロニカは当然のように頷いた。
「事務所の中で起きたことには、事務所の決まりが及びます」
「その決まり、私にも及ぶの?」
「あなたは帳簿に載せにくい立場だから、もっと複雑よ」
「初めて聞いた」
「決めたのも初めてだもの」
リュドミラはようやく私の手を離し、ヴェロニカへ面白そうな視線を向けた。
「昔より、ずいぶんわかりやすくなったわね」
「値段のつけ方が?」
「そういうことにしておきましょう」
「笑顔だけで話を曖昧にする人間は信用できないの」
「あなたがそれを言うの?」
幼なじみは答えず、お茶を一口飲んだ。典録上は【無職】にして、この国でただ一人の自称【探偵】である。事件の謎は解けても、自分に都合の悪い会話だけ聞こえなくなるという、女神も授けた覚えのない技能を持っていた。
「それで、造幣局の彫金師が探偵に何の用?」
私が尋ねると、リュドミラは革の鞄から一枚の紙を取り出した。
中央に描かれていたのは、薄布で目元を覆った女王の横顔。閉じた唇と伏せられた顎の周囲を、古い北方文字が取り囲んでいる。
「《嘆きの女王》よ」
北方王国が滅びる直前、女王の葬送のために鋳造された大型の儀礼貨で、現存するのは一枚だけ。最初の持ち主は決闘で命を落とし、次は雪崩に埋まり、その次は寝台から落ちて首を折ったという。
死者が重なるうち、金貨そのものが持ち主を殺しているという噂が広まった。
「最後の人、金貨と関係なくない?」
「寝相の悪さを呪いと呼べば、関係はあるわね」
ヴェロニカは紙に目を落としたまま答えた。
「世間では、本人の責任を認めたくないとき、呪いか政治のせいにするものよ」
「その金貨を、王都の古物集めが買い取ったの」
新たな持ち主となったセルゲイは翌日、大勢の客を招いて金貨を披露する予定らしい。王立造幣局へ本物かどうかを見定めるよう頼んだ一方、神殿の正式な鑑定は拒んでいた。
造幣局の《呪見鏡》には何の影も映らなかったが、それだけで呪われていないと断言はできない。金貨を手放せと迫る脅し文まで、セルゲイの屋敷へ三通届いているという。
「女神に価値を決められるのは気に入らないそうよ」
「人格に難のある古物集めね」
「あなたが言うと、褒め言葉に聞こえる」
「光栄だわ」
リュドミラは金の質と彫りを、私は内部に刃や仕掛けが隠されていないかを確かめる。わざわざ事務所まで来た理由を尋ねると、彼女は迷わず笑った。
「あなたの鑑定は信用できるもの。それに、久しぶりに会いたかったから」
机の上で、陶器の触れ合う硬い音が響く。
「カップを割らないでよ」
「置いただけよ」
「ずいぶん強く?」
「丈夫か確かめたの」
ヴェロニカはリュドミラの持参した書付を取り上げる。
「引き受けます。ただし、一つ条件があるわ」
「何かしら」
「ナターリヤへ触れる前に、理由を言って」
「保護者なの?」
「帳簿係よ」
「いつから?」
「いまから」
相談料に続いて役目まで増えた。事件が終わるころには、私にも知らされていない決まりが巻物一本分できていそうだった。
*
セルゲイの屋敷へ向かう馬車の中でも、ヴェロニカは私とリュドミラの間へ座っていた。
三人掛けの座席には十分な広さがある。それでも幼なじみは、私の肩へ触れそうな位置から動こうとしない。
「狭くない?」
「リュドミラ側には余裕があるわ」
「あなたが真ん中にいるからでしょう」
「それで秩序が保たれているのよ」
リュドミラは窓の外へ目をやりながら笑った。
「ナターリヤを呼んだのは、腕だけが理由ではないの。嘘をつくのが苦手だから、調べたことを信用できるでしょう」
「そこまで苦手じゃないよ」
「宿の寝台を壊したとき、主人へ何と言った?」
ヴェロニカが尋ねてきた。
「壊れる予定だったのかもしれません、って」
「先に謝った方がましだったわね」
「自分にも落ち度があると思わなかったの?」
「寝台の方が先に諦めたんだよ」
「犯人としては不安でしょう」
「何の犯人にするつもり?」
「将来に備えた適性検査よ」
リュドミラが声を立てて笑う。ヴェロニカだけは、私の肩へ触れたままだった。
*
セルゲイの屋敷は、貴族街の外れに建つ灰色の館だった。玄関から応接室へ続く廊下には、剣、壺、仮面、魔物の骨が隙間なく並び、価値ある品ばかりを集めた結果、盗人がどれから持ち去るべきか迷う家になっている。
主人のセルゲイは、金色の上着を着た痩せた男だった。宝石の指輪をいくつもはめた両手を、話すたびに大きく広げる。自分の言葉にも飾り台が必要だと思っているらしい。
「これが、届いた脅し文だ」
最初に見せられたのは金貨ではなく、三枚の紙だった。
古い北方文字が、黒い墨で乱暴に並んでいる。
『女王の眠りを見世物にするな』
『奪われた眠りを北へ返せ』
『金貨を墓所へ戻さなければ、次に眠るのはお前だ』
「眠り?」
私が首を傾げると、部屋の隅にいた女が口を開いた。
「北方の古い祈りでは、死をそう呼びます」
セルゲイの秘書、ガリーナだった。暗い栗色の髪を隙なく結い、厚い帳簿を胸へ抱えている。声にも表情にも、必要以上のものがなかった。
「二通目は、正確には『眠りを奪った者は北へ返せ』です」
「読めるの?」
「北方の神殿で育ちましたから」
「ただの脅しだ」
セルゲイは紙を乱暴に重ねた。
「滅びた国の言葉を使えば、呪いらしく見えると思ったのだろう」
「脅し文を書いた相手に心当たりは?」
ヴェロニカが尋ねる。
「私の収集品を妬む人間なら、王都だけで百人はいる」
「あなた自身を嫌う人間は?」
「数える価値もない」
「どちらも多すぎて、手がかりにならないわね」
ようやく金貨の箱が開かれた。
濃紺の布の上へ載っているのは、普通の金貨より一回り以上大きな一枚。嘆く女王は紙に描かれていたものより険しい顔で、持ち主を歓迎しているようには見えなかった。
「実に美しいだろう。死と悲哀と、王家の威厳が一枚へ凝縮されている」
「持ち主の趣味の悪さも加わっていますね」
ヴェロニカの感想に、セルゲイの眉が跳ねる。
「誰だ、この女は」
「探偵です」
「無職に見えるが」
「よく見抜いたわね。あなたにも才能がある」
私が間へ入らなければ、鑑定より先に決闘が始まりそうだった。
セルゲイの甥、ボレスラフは黒檀製の飾り台を調整していた。職業は【機巧師】で、歯車仕掛けの鳥や自動人形を貴族相手に売っているという。
足元へ広げた道具巻きには、細鑢、彫金針、小鋏、締め具が整然と収まっていた。親指と工具の柄の一部には、《青鱗蝋》が薄く残っている。青鱗蜥蜴の脂を混ぜた錆よけで、細歯車やばねを扱う職人には珍しくない汚れだった。
「仕上げ用の道具だけね」
リュドミラが道具巻きへ目をやった。
「部品は工房へ置いてきたの?」
「飾り台は組み上がっている。ここで必要なのは、噛み合わせの調整だけだ」
「それが普通よ。細いばねは仕掛けごとに巻きも強さも違うし、道具巻きへ入れて運べば歪むもの」
飾り台の片隅には、真鍮製の小鳥が止まっていた。台座には、【セルゲイ工房製・夜鳴き鳥】と刻まれている。
「それを作ったのは私です」
ボレスラフが言った。
「伯父は、私の作った品へ自分の工房名を刻ませています」
ボレスラフが金具へ触れると、《夜鳴き鳥》は両翼を跳ね上げた。
ギャッ、ギャッ、ギィィィーッ!
「床や扉から台座へ伝わる振動を感知して鳴く警報具です。今夜、最後の調整を済ませたあと、金貨は宝物室へ移します」
「呪いには警報具が効くのかしら」
「盗人には効く」
セルゲイは二人の会話を待たず、金貨を持ち上げた。
「本物の金は、歯でわかる」
「噛まないでください」
リュドミラの声が鋭くなる。
「冠の下には古い継ぎ直しがあります。そこへ力をかければ、薄板が割れるかもしれません」
「同じ場所を噛まなければ、金の質を比べられん」
女王の冠の頂には、浅い歯痕が一つ残っていた。
セルゲイは以前につけた跡へ上の歯を合わせ、躊躇なく力を込める。
「女王の冠は、図柄の中で最も厚く打たれている。ここへ歯がどれだけ沈むかで、純度がわかるのだ」
「金貨より先に、あなたの判断力が割れそうですね」
「一流の収集家には、一流のやり方がある」
「歯へ職業技能が宿っているとは知りませんでした」
ヴェロニカの言葉を無視し、セルゲイは満足そうに金貨を口から離した。
リュドミラが手袋をはめ、表裏の図柄と縁の文字を確かめていく。私は一度金貨を受け取り、重さと重心を探った。
「見た目より軽い」
「それで正しいわ。《嘆きの女王》は、表と裏を別々の薄板へ打ち、縁を接いだ造りなの」
拡大鏡を覗きながら、リュドミラが答える。
指先で軽く弾くと、乾いた響きが返ってきた。私はその重さと重心を覚え、リュドミラへ戻した。
リュドミラは歯痕の下で拡大鏡を止める。
「やはり、ここだけ古く継ぎ直されているわ。ほかの部分より、わずかに開きやすくなっている」
「開けられるか?」
「縁を外せば。ただし、元へ戻しても細い跡は残ります」
「許さん」
「仕掛けがないか調べてほしいのでしょう」
「傷をつけずに調べろ」
「金属加工を祈祷と勘違いしていませんか」
「一流ならできる」
「一流の職人は、無理な注文を断る判断も一流です」
セルゲイは披露の宴が終わるまで、表面を見るだけにしろと言い張った。
金貨を箱へ戻そうとするリュドミラの横から、私は縁へ手を伸ばした。
触れる寸前、手首をつかまれる。
「待ちなさい」
ヴェロニカの親指が、私の脈の上へ重なっていた。
「さっきは触っても何も言わなかったでしょう」
「さっきは持ち上げただけでしょう。縁を押すのは別よ。継ぎ目の内側に何かあれば、動くかもしれない」
「手袋をすれば平気」
「あなたは、自分の指を粗末に扱いすぎるわ」
「仕事道具だから大切にしてるよ」
「私の生活にも必要なの」
一瞬だけ、部屋が静かになった。
リュドミラは私たちを見比べたあと、セルゲイへ金貨を返した。
「触った理由は?」
「危険物からの保護」
「ほかの理由もあるのかしら」
「頼まれた調査と関係のない質問には、別料金をいただきます」
セルゲイが箱を閉じると、《夜鳴き鳥》が両翼を上げて一度だけ鳴いた。
ガリーナも帳簿を閉じる。
「明日の正午、工房の売却契約へ署名するため、買い手の書記が参ります」
「いま、その話をする必要があるか」
ボレスラフが作業の手を止めた。
「予定の確認です」
「叔父上。本当に工房を売るつもりなのか」
「借金の担保として受け取った。どう扱おうと私の勝手だ」
「母が残した工房だ。私が作った鳥も時計もある」
「だから価値があるうちに売るのだ」
セルゲイは金貨の箱を抱え、甥を冷たく見た。
日が落ちる前、セルゲイとガリーナは契約書を確認するため書斎へ移った。使用人たちも茶を運ぶため応接室を離れ、飾り台の最終調整を任されたボレスラフだけが残る。
私たちはそのあと屋敷を出た。最後に振り返ったとき、《夜鳴き鳥》は両翼を上げて鳴いていた。
翌朝、セルゲイは宝物室で死んでいた。




