第1話 後日譚② 鳳凰石をいただきたい
「報奨金の代わりに、《鳳凰石》をいただきたいの」
大神殿の宝物庫で、ヴェロニカは蜂蜜菓子を一つ追加するような口調で言った。
黒い天鵞絨の上には、先日の事件で回収された《鳳凰石》が置かれている。
硝子箱の中で燃えるような赤い光を放っているが、火も熱もない。聖者候補へ一つだけ貸し与えられ、致命傷を受けたときに命を蘇らせる秘宝である。
当然、探偵への報酬として渡されるような物ではなかった。
「認められません」
宝物庫管理官の返事は早かった。
白い法衣を隙なく着込んだ初老の神官で、机の上には返却確認書と報奨金の支払書が並んでいる。
ヴェロニカは硝子箱を眺めたまま尋ねた。
「まだ用途も説明していないわ」
「どのような用途でも認められません」
「今後の事件に備えるの」
「起きていない事件へ、神殿の秘宝を貸し出すことはできません」
「事件が起きてからでは遅いでしょう」
管理官の隣で、スヴャトスラフが深く息を吐いた。
彼は回収品の返却に立ち会うため、近衛騎士団から派遣されている。勇者を捕らえたときより疲れた顔をしていた。
「報奨金を受け取って帰れ」
「金額ではなく、内容に不満があるのよ」
「報奨金へ秘宝を混ぜるな」
私は硝子箱の中をのぞき込んだ。
今回は、宝物庫へ戻す前の最終鑑定を頼まれていた。ヴェロニカは頼まれていないが、当然のようについてきた。
「本当に何に使うつもりなの?」
「死なない方法の研究よ」
「誰が?」
「事件現場へ同行する鑑定士」
「それ、私のことだよね」
「ほかに同行鑑定士はいないもの」
管理官が咳払いをした。
ヴェロニカは何も言わなかったような顔で、硝子箱の留め具を観察している。
「鑑定を始めてもよろしいですか」
「お願いします」
管理官が硝子箱を開いた。
私は薄い革手袋を着け、鳳凰石を持ち上げた。
見た目より軽い。
内部では金色の火が細く揺れ、石の中心へ向かって何度も集まっている。魔力の流れは安定しており、損傷や魔力の乱れもない。
「問題ありません。次の聖者候補へ貸し出せる状態です」
「では、私へ貸して」
「あなたは聖者候補ではありません」
「一度死んでから出直せということ?」
「死なないでください。手続きが増えます」
管理官は鳳凰石を硝子箱へ戻し、返却確認書へ署名した。
ヴェロニカがその手元をのぞき込む。
「貸し出せない理由を書面でもらえる?」
「必要ありません」
「依頼への正式な回答よ。理由があるなら、書けるでしょう」
「あなたからの依頼は受けていません」
「いま受けたことにして」
「しません」
「では、秘宝の返却に協力した者からの照会に答えて」
管理官の眉間に、深い線が刻まれた。
スヴャトスラフが壁際へ顔を背ける。関わらないと決めた顔だった。
「何を書けば満足するのです」
「私へ鳳凰石を渡せない根拠を、正確に」
管理官は新しい紙を取り出した。
「《鳳凰石》は女神より大神殿へ管理を委ねられた秘宝であり、個人への譲渡は認められない。これでよろしいですか」
「聖者候補には渡しているでしょう」
「貸与です。所有権は移りません」
「そこが重要ね。続けて」
管理官は不審そうにヴェロニカを見たが、羽根ペンを動かした。
【女神の加護に属する聖装は、大神殿から使用者へ貸与されるものであり、使用者個人の所有物とはならない】
「売ったり、誰かへ渡したりは?」
「認められません」
「書いて」
【貸与を受けた者は、聖装を売買または第三者へ譲渡してはならない】
ヴェロニカは紙をのぞき込み、首を傾げた。
「意思を持つ聖装の場合は?」
管理官の羽根ペンが止まる。
「鳳凰石に意思はありません」
「聖装全体の規則を確認しているの。意思を持つ聖剣や守護像もあるでしょう」
「その場合は、使用について聖装本人の同意を得る必要があります」
「それも書いて」
「鳳凰石を貸し出せない理由とは関係ありません」
「不備のある文書を受け取る方が、神殿に失礼でしょう」
「あなたは神殿への礼を理由にすれば、何でも通ると思っていませんか」
「通らないこともあるわ。鳳凰石はいただけなかったもの」
管理官はしばらく黙り、最後の一文を書き加えた。
【意思を有する聖装を使用する場合、聖装本人の同意を必要とする】
「神殿の印もお願い」
「なぜそこまで正式な文書を求めるのです」
「公的な書類には、正確さが必要でしょう」
どこかで聞いた言葉だった。
管理官が渋々押印すると、ヴェロニカは乾く前の紙を慎重に持ち上げた。報奨金の支払書よりも丁寧に、外套の内側へ収める。
「これで結構よ」
「鳳凰石は?」
「神殿がくれないと言うなら仕方ないわね」
管理官はヴェロニカを見た。
次に、文書が消えた外套の内側を見る。
その顔から、ゆっくりと血の気が引いていった。
「待ちなさい。その文書を何に使うつもりです」
「エカテリーナの契約解除審査へ提出するの」
ミハイルが残した所有登録の解除申請は、彼が聖者に認定されたあとで効力を持つ形式だった。
認定前に本人が死亡したため申請は保留され、エカテリーナの契約痕は効力を封じられただけで、まだ消えていない。
契約を完全に無効とするには、別の根拠が必要だった。
「エカテリーナは《鳳凰石》ではありません」
「でも、神殿の典録では《生体聖装》なのでしょう」
「分類が異なります」
「あなたが書いたのは、鳳凰石だけの規則ではないわ。『女神の加護に属する聖装』と書いてある」
ヴェロニカは外套の上から文書を押さえた。
「神殿の分類が正しいなら、ミハイル個人の所有権を認める根拠はなくなる。本人の同意を欠いた命令契約も、規定違反として審査できるわ」
「生体聖装に、通常の貸与規定をそのまま適用することは――」
「では、彼女は人間?」
管理官が黙った。
「人間なら、人間を所有物として登録した契約を審査してもらうわ。聖装なら、いま神殿が認めた規則に照らしてもらう」
「用途を隠して文書を取得したのですか」
「私は鳳凰石をいただきたいと言っただけよ」
ヴェロニカは首を傾げた。
「渡せない理由を書いたのは、あなたでしょう」
「初めからこれが目的だったのか」
スヴャトスラフが尋ねる。
「本物の鳳凰石をくれるなら、そちらでもよかったわ」
嘘ではなさそうだった。
*
大神殿を出ると、昼の鐘が鳴った。
ヴェロニカは階段を下りながら、神殿の印が乾いていることを確かめている。
「これを出せば、エカテリーナの契約を解除できるかな」
「少なくとも、神殿は人間か聖装かを選ばなければならないわ」
「どちらを選んでも、今の契約をそのまま認めることはできない」
「自分で作った分類には、自分で責任を取ってもらわないと」
ヴェロニカは文書を外套の内側へしまった。
「それなら最初から、書類が欲しいと言えばよかったのに」
「そう言えば、役に立たない文章を書かれたでしょう」
「鳳凰石を欲しがったのは演技?」
「半分は」
「残りの半分は?」
ヴェロニカの歩みが少し速くなった。
私は隣へ並ぶ。
「事件現場へ同行する鑑定士が死なない方法を研究するんでしょう」
「一般的な危機管理よ」
「私以外の鑑定士でもいい?」
「ほかの鑑定士は、私の指示に従わないでしょう」
「私もあまり従ってないよ」
「だから必要なの」
階段を下り切ったところで、ヴェロニカが足を止めた。
「鳳凰石は一度しか使えないでしょう」
「私は?」
「あなたは、何度でも私を止めるわ」
それだけ言うと、彼女は先に歩き出した。
鳳凰石はいただけなかった。
その代わり、名探偵は神殿の印が押された一枚の文書を持ち帰った。ついでに、これからも私に止められるつもりでいることまで白状した。
鳳凰石と文書のどちらを本気で欲しがっていたのかは、最後まで教えてくれなかった。




