表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
4/10

4.第1話 後日譚① エカテリーナは磨かれたい

 エカテリーナが事務所を訪ねてきたとき、ヴェロニカは依頼料の支払い方法を増やしていた。


 帳簿の余白には、


【金貨】

【宝石】

【有益な秘密】

【将来の大きな恩】


 と並んでいる。


「最後の二つは通貨じゃないよ」

「価値があるなら同じでしょう」

「大きさを誰が決めるの」

「私よ」

「依頼人に不利すぎる」

「料金制度は経営者に有利なほど長続きするわ」


 扉が控えめに叩かれた。


 入ってきたエカテリーナは、大神殿で会ったときと同じ灰色の服を着ていた。首筋の契約痕は薄くなっているものの、鎖の形はまだ消えていない。


「ご相談があります」

「支払い方法は四種類から選べるわ」

「増やした二種類は消して」


 エカテリーナは小さな革袋を机へ置いた。中には銅貨が五枚入っている。


「足りますか」

「内容を聞いてから決めよう」

「まともなことを言わないで。経営方針が乱れるわ」


 エカテリーナは銅貨ではなく、私の腰にある短剣を見ていた。


「ナターリヤさんへお願いがあります」

「私に?」

「磨いていただきたいんです」


 私は自分の短剣へ目を落とした。


「何を?」

「私を」


 ヴェロニカが椅子を引き、急に真剣な顔で座り直した。


「詳しく聞きましょう」

「あなたは黙ってて」

 エカテリーナは、人の姿から細身の短剣へ変わった。


 私の短剣を写したときとは違う。柄は黒木、鍔は小さく、刃には淡い波紋が走っている。


「これが、あなた自身の形?」


 机の上へ置かれた短剣が、かすかに震えた。


 人の姿へ戻ったエカテリーナは頷く。


「命令されずに変わると、この形になります」

「傷があるね」


 刃の中央に細い曇りがあり、切っ先にも小さな欠けが残っていた。


「以前の所有者は、使えればよいと言って、手入れをしませんでした。欠ければ契約で形を戻し、錆びれば聖水へ沈めるだけでした」

「痛む?」

「人の姿では痛みません。でも、変わるたびに引っかかる感じがします」

「それで、磨いてほしいの?」

「はい」

「手入れの方法を教えることもできるよ」

「最初は、ナターリヤさんにお願いしたいです」


 断る理由を探した。


 人間を武器として扱ってはいけない。大神殿で、そう思ったばかりだった。


「迷っているのね」


 ヴェロニカが言う。


「だって、エカテリーナは人間でしょう」

「だから、本人が磨かれたいと言っているのに、あなたが代わりに断るの?」


 言い返せなかった。


 エカテリーナは膝の上で両手を重ねている。


「武器として扱われたいわけではありません」


 静かな声だった。


「自分の形を、自分で大事にしたいんです。でも、正しい手入れを知りません。教えてもらう前に、一度だけ、どうされるものなのか知りたいです」

「わかった」


 私は鑑定台を空け、布と油と細かな砥粉を並べた。


「嫌になったら、すぐ人の姿へ戻って。途中でも止めるから」

「はい」


 エカテリーナは短剣へ変わった。

 刃へ油を薄く塗り、布を一定の向きへ滑らせる。


 最初は固かった振動が、少しずつ穏やかになっていった。


「強すぎない?」


 短剣が一度震える。


「それは、大丈夫?」


 二度震えた。


「二度は何?」


 人の姿へ戻ったエカテリーナが答える。


「もう少し強くても大丈夫です」

「先に合図を決めよう」

「一度が大丈夫、二度が止めてください、では?」

「いま二度震えたよね」

「間違えました」

「大事なところで間違えないで」


 ヴェロニカが鑑定台の反対側から覗き込む。


「一度が続けて、二度がもっと強く、三度が止めて、でいいでしょう」

「磨かれてる最中に三まで数えられないよ」

「では、一度が続けて、激しく震えたら止める」

「基準が感覚的すぎる」


 エカテリーナが小さく笑った。


 大神殿では一度も聞かなかった声だった。


「一度が続けて、二度が止めて、でお願いします」

「今度は間違えない?」

「努力します」

「約束して」

「約束します」


 もう一度、短剣へ変わる。


 今度は、一度の振動だけが返ってきた。


 私は切っ先の欠けを整え、刃の曇りを砥粉で薄く削った。傷を全て消そうとすれば、刃そのものまで細くなる。引っかかりがなくなり、これ以上広がらないところで止めた。


 最後に柔らかな布で油を拭うと、淡い波紋が窓の光を返した。


「終わったよ」


 人の姿へ戻ったエカテリーナは、自分の両手を開いたり閉じたりした。


「軽いです」

「削った量はほとんどないよ」

「重さではなくて」


 彼女は胸元へ手を置く。


「ここが、引っかかりません」


 それが刃の傷の感覚なのか、別の何かなのか、私にはわからなかった。


 わからないままでもよい気がした。


「次は、自分で手入れできる方法を考えよう」

「短剣になったら、手がありません」

「まず、人の姿のまま刃の一部だけを出せるか試してみて。できるなら、自分の目で状態を見ながら磨ける」

「できなかったら?」

「刃を固定する台と、足で動かせる砥石を作る。自分で力加減を決められる形にするよ」

「作りましょう」


 ヴェロニカが即答した。


「あなたは工作できないでしょう」

「設計するわ」

「椅子の脚を直そうとして、三本とも長さを変えた人が?」

「あれは床の方が歪んでいたのよ」

 帰り際、エカテリーナは銅貨を机へ置いた。


「今日は手入れの見本だから、二枚でいいよ」

「五枚払います」

「次からは教える時間の分ももらう。それで十分」

「値段を依頼人へ決めさせるのは、よくない経営よ」


 ヴェロニカが言う。


「私の仕事だから、私が決めるの」

「では、帳簿へ新しい支払い項目を追加しましょう」

「何を?」

「授業料」

「それは普通でしょう」

「残念ね」


 エカテリーナは銅貨を二枚だけ置き、残りを袋へ戻した。


「次も来てよいですか」

「もちろん」

「今度は、教えてください」

「うん」


 扉を開けたところで、エカテリーナが事務所の看板を見上げた。


【ヴェロニカ探偵事務所】

【相談料は依頼人の資産に比例】


「ナターリヤさんの名前は、ないんですね」


 ヴェロニカの動きが止まった。


「同行鑑定士だからよ」

「助手ではないんですよね」

「ええ」

「では、何と書くんですか」


 ヴェロニカは答えず、エカテリーナを扉の外まで送り出した。

 その日の夜、看板の下へ新しい木片が立てかけられていた。


【武具の手入れは応相談】


「勝手に私の仕事を増やさないで」

「まだ掛けていないわ。立てかけただけよ」

「言葉の意味を細くしないで」


 ヴェロニカは木片を裏返そうとした。


 私はその手を止めた。


「内容は、これでいい」

「いいの?」

「私が受けるかどうかは、相談されたときに決める。その条件なら」


 ヴェロニカは私の顔と木片を交互に見たあと、釘を一本差し出した。


「掛ける?」

「うん」


 二人で木片を看板の下へ留めた。


「私の名前じゃないんだ」

「まだ適切な呼び方が決まっていないもの」

「料金表はすぐ決めるのに?」

「金額より難しい問題もあるわ」


 それだけ言って、ヴェロニカは新しい木片の端を布で磨き始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ