3.第1話③ 無職探偵と死なないはずの聖者
帳面には、遠征ごとの討伐数、救助者、獲得した加護、職業技能の伸びが細かく記されている。仲間の成長が止まった時期と、アレクサンドルの力が急に増した時期は、不自然なほど重なっていた。
「偶然ではないわね」
ヴェロニカが頁を繰る。
「四人分の戦果が減った直後、勇者の加護だけが増えている。しかも毎回、あなたが隊長として報告した遠征で起きている」
「勇者へ功績が集まるのは当然だ」
「名誉ではなく、力そのものが移っているのよ」
封書には、女神の記録へ現れない隠し技能の名が記されていた。
【戦果統合――一行の者が得るはずの経験と功績を、指揮者へ集める技能】
さらにミハイルは、聖者認定後に勇者隊の戦果を再審査させ、エカテリーナの所有登録解除申請を有効にするつもりだった。
神殿工房の注文帳には、鳳凰石と同じ形へ硝子を削るよう求めたアレクサンドルの印が残っている。日付は、ミハイルが公開儀式の計画を提出するより前だった。
「可能性は、言葉だけでいくらでも作れるわ」
ヴェロニカが遮った。
「でも、証拠は一つの話しかしていない」
偽石を包んだ布が、戦果帳と注文帳の上へ置かれた。
「偽物を用意したのはあなたよ。注文帳にはあなたの印がある。さっきは『偽物はミハイルから渡された』と言ったわね」
アレクサンドルの目が動いた。
「工房の記録など、偽造できる」
「では、なぜ本物があなたの盾へ隠されているの?」
「交換先として最も安全だったからだ」
「安全なら、発見後すぐに申告できたでしょう。あなたはナターリヤが盾へ触れることまで止めた」
「混乱を避けるためだ」
「《指揮者の指輪》を使っていないとも言ったわね。水晶には使用記録が残っている」
言い訳を重ねるほど、逃げ道が狭くなっていく。
「成功させるわけにはいかなかったのね」
ヴェロニカが言った。
「これまで奪ってきた勇者隊の戦果を手放さず、エカテリーナの所有登録解除まで止めるために」
「勇者隊の勝利は、指揮した者の勝利だ」
「人間まで装備品のように数えた結果が、これよ」
アレクサンドルの視線が、床に座るエカテリーナへ向いた。
「私が刺したわけではない」
「ええ。刃を入れたのはエカテリーナ。命じたのはミハイル。そして、その傷を死へ変えたのがあなたよ」
それ以上の反論はなかった。
*
エカテリーナは、ミハイル殺害の罪には問われなかった。
本人の意思ではなく、奴隷契約による強制が認められたからだ。契約そのものも神殿の外で審査されることになり、首筋の黒い鎖は、判決が出るまで効力を封じられた。
内控室から見つかった私の短剣も、検分を終えて返された。
神殿を出る前、私はエカテリーナへ尋ねた。
「これから、どうするの?」
「わかりません」
彼女は自分の両手を見つめた。人の指として動いていることを、一つずつ確かめるように握り、開く。
「誰かに持たれなくても、この形でいていいのか。それを考えます」
「いていいよ」
口にすると、エカテリーナは初めて私をまっすぐ見た。
「ありがとうございます」
笑いはしなかった。それでも、首筋へ触れる手は、さっきより少しだけ静かだった。
アレクサンドルは《鳳凰石》の窃盗とミハイル殺害の罪で連行され、《戦果統合》によって彼へ移された功績も調べ直されることになった。
「大神殿へ武具鑑定士を呼んだだけのはずだった」
スヴャトスラフが、連行されていく勇者の背中を見ながら呟いた。
「探偵までついてきて助かったでしょう」
「自称探偵だ」
「報奨金の書類には、正確に書いてね」
「書類が受理されればな」
報奨金を受け取るには、王立職業典録院の窓口である典録所の書類へ職業を記載しなければならなかった。
「職業は?」
窓口の役人が尋ねる。
「探偵」
ヴェロニカが答える。
「登録にありません」
「では、いま登録して」
「女神の職能紋と職印が必要です」
「事件を解くのに、女神の許可が要るの?」
「制度上は無職です」
役人は職業欄へ【無職】と書いた。
ヴェロニカが横から羽根ペンを奪い、二本線で消して【探偵】と書き直す。役人は無言でそれを消し、もう一度【無職】へ戻した。
同じやり取りが続いた末、役人は職業欄を【無職】で固定し、備考欄へ【自称・探偵】と書き加えた。
「自称は余計よ」
「備考欄には必要な記載です」
「悪意と事実は両立するのよ」
「先ほども聞きました」
役人は次に、私の名前へ目を移した。
「同行したナターリヤは、探偵の助手として記載します」
「助手ではないわ」
ヴェロニカが即座に訂正する。
「では、どういった関係で?」
「武具鑑定士で、私が間違えたとき、それを指摘する権利を持つ唯一の人間よ」
役人の羽根ペンが止まった。
「関係欄へ入りません」
「欄の方を広げて」
「同行鑑定士としておきます」
「不正確ね」
「役所の書類へ、そこまで正確さを求めないでください」
「役所が言ってよい台詞ではないわ」
*
典録所を出る頃には、すっかり日が傾いていた。
事務所の入口には、ヴェロニカが自分で描いた看板が掛かっている。
【ヴェロニカ探偵事務所】
【相談料は依頼人の資産に比例】
「資産が少ない人は安くなるの?」
「いいえ。貧者の相談は話が暗いから割増よ」
「最低だね」
「理解力の高い貧者なら値引きするわ」
「値引きの条件まで失礼なんだ」
鍵を開けようとするヴェロニカの背中へ、私は尋ねた。
「最初から、私が犯人ではないと思ってた?」
「当然でしょう」
「どうして?」
「さっき説明したわ。あなたは暗殺者に向いていない」
「それだけ?」
「短剣も偽物だった」
「調べる前から、スヴャトスラフとの間に入ったよね」
「凶器があなたの短剣と同じ形だっただけで人を押さえるのは、捜査として雑だからよ」
「私じゃなくても入った?」
鍵穴へ向いていた視線が、わずかに泳いだ。
「ヴェロニカ?」
「質問が多いわね」
「答えてないからでしょう」
「事件は解決したのよ」
「事件じゃなくて、ヴェロニカの話をしてる」
逃げ道を探すように視線が動き、次の瞬間、外套の襟を引かれた。
唇が触れる。
私が息をすることを思い出したときには彼女は離れ、何事もなかったように事務所の鍵へ向き直った。
「黙らせるために使わないで」
「有効だったでしょう」
「そういう問題じゃないよ」
「検証には再現実験が必要よ」
「名探偵なら一度で理解して」
「理解はしたわ。精度を上げたいの」
勇者を捕らえた夜、名探偵は私を黙らせる方法を発見した。
もう少し長くても、私は困らなかったのだけれど。




