27.第5話① 無職探偵と嘘をつけないナターリヤ
ヴェロニカの寝顔は、起きているときより善良に見えます」
王国の重臣たちの前で、私はそう証言した。
乳白色の石壁に囲まれた《真実の間》では、誰も笑わなかった。笑えば次に何を言わされるかわからないと、全員が理解し始めていたからだ。
証言環の向こうの席にいるヴェロニカだけが、ゆっくり瞬きをする。
「起きているときも善良よ」
「それは違うと思います」
考えるより先に、口が動いた。
「依頼人の資産を見て相談料を変えるし、騎士団の報告書へ勝手に題名をつけるし、私が眠っている間に蜂蜜菓子を枕元へ隠します」
「最後の件は、起きたときに食べられるよう配慮したの」
「夜中に自分で食べるためでしょう」
「その可能性も否定はしないわ」
私の言葉を追いかけるように、天井から下がる透明な鐘が澄んだ音を返した。虚言ではないという判定らしい。
私は両手で口を塞いだ。塞いでも意味はない。答えるのを拒めば、壁が私の声で代わりに話すことは、すでに試してわかっている。
長机の奥で、王立職業典録院長ガヴリイルが顔を引きつらせていた。今日の審査を取り仕切り、《真実の間》の安全性を大臣たちへ保証した本人である。
「申請対象者との関係を尋ねただけだ」
「関係について考えたことが、余分についてきました」
「余分?」
ヴェロニカの視線が私へ戻り、私は全力で首を横へ振った。
「これ以上はありません」
鐘が濁った音を立て、壁へ金色の文字が浮かぶ。
『虚言』
「訂正します。まだあります」
「言わなくていいわ」
「恋人と呼ばれると嬉しいです。でも、人前で言うのは恥ずかしいです。それなのに隠されるのは、もっと嫌です」
今度の鐘は、ひどく美しい音で鳴り、ヴェロニカが席を立つ。
「本日の審査は中止にしましょう」
「私も賛成です」
「審査対象者に決定権はない」
ガヴリイルが長机を叩いた。
「恋人には?」
「ない」
「相棒なら?」
「今回の審査書類では、その武具鑑定士はお前の調査補助者として記載されている」
「その呼び方は嫌です」
また、止める間もなく言葉が出た。
「私はヴェロニカの助手でも補助者でもありません。同じ事件の責任を負う相棒だと思っています。ただ、王宮がヴェロニカを正式な職業へ取り込んだら、私は補助者として置いていかれるのではないかと不安です」
重臣たちの視線が、一斉にヴェロニカへ向いた。
「ナターリヤ」
彼女は私だけを見ている。
「私はあなたを相棒だと思っているわ」
「私が黙れなくなってから言われると、少し信用しにくいです」
「普段なら信じるの?」
「普段は、言葉の意味を細くするから」
透明な鐘が、もう一度澄んで鳴った。ヴェロニカは反論しなかった。
その半刻前まで、今日の問題は、存在しない職業である【探偵】を王国へ認めさせることだけだと思っていた。
* * *
職業認定審査の数日前。星環書庫へ本を返した翌日、王宮から一通の書状が届いた。
金糸で縁取られた書状には、王立職業典録院の印が押されていた。
『過去四件の功績を受け、自称・探偵ヴェロニカの職業認定審査を行う。武具鑑定士ナターリヤは、共同調査の実績証人として同席すること。』
「自称」
ヴェロニカの声が低くなる。
「間違ってないでしょう」
「事実を並べれば悪意が消えるわけではないのよ」
審査は、スヴャトスラフの推薦によるものだった。女神が人へ授ける《職能紋》と、役所が公的な営業資格として発行する《職印》は別に存在する。
私は武具を見分ける職能紋と鑑定士の職印を持っているが、ヴェロニカの職能紋は空白で、典録上の職業欄も【無職】のままだ。
それでも、四件の事件を解いた実績は消せない。王宮は探偵という新しい職業を認める代わりに、ヴェロニカを直属の【特別調査官】として雇うことも検討していた。
定まった給金、王都内の捜査権、禁書庫や貴族の屋敷へ入る権限。存在しない職業を名乗る無職ではなく、王国の認める役目になれる。
「よかったね」
私が言うと、ヴェロニカは書状を裏返した。
「まだ何も決まっていないわ」
「認められたいんでしょう」
「私が正しいと、役所の方から認める機会を与えているだけよ」
「嬉しい?」
「少し」
「どれくらい?」
「質問が細かいわね」
答えはなかった。
星環書庫では、自分で真実を差し出した。今度の部屋が、その選択まで奪うとは知らなかった。
* * *
《真実の間》は、王宮の地下深くに造られていた。
丸い部屋の壁には、歴代の証言が淡い文字となって漂っている。中央の《証言環》には、四つの文が青銅の文字で埋め込まれていた。環の中で証言する者が意図的な嘘を口にすれば鐘を濁らせ、真実には澄んだ音を返す。
ただし、心から信じている間違いは嘘として扱わない。人の心や世界の真実ではなく、話し手が偽りと知っているかどうかだけを見分ける魔法だった。
「ずいぶん人間へ甘い真実ね」
ヴェロニカの感想に、管理役の真実官ニーナが眉をひそめる。灰色の髪を高く結い、白い法衣へ金文字を刺繍した女性だった。
「人の心を読む部屋ではありません。故意の虚言を禁じるだけです。答えたくない問いは秘匿でき、沈黙する権利も守られます」
ニーナはそれだけ言うと、私たちより先に証言環へ近づいた。人ではなく床を見ながら、四つの青銅文を端から順に確かめていく。
『虚言を禁ず。真実を妨げず。秘匿を許す。証言は証言者に属す。』
「四文、異常なし」
長机の端で、マルファがすぐに典録台帳を開いた。ニーナが確認した四文を、同じ順番で書き留める。
「最後の一文は?」
ヴェロニカは足元の青銅文へ視線を落とした。
「いま答えている問いについて、証言を訂正し、正式に終了できるのは本人だけ、という意味です。答えを控えると告げて終えることもできます。主査でも真実官でも、本人の代わりに内容を決めることはできません」
「ずいぶん証人に優しいのね」
「強制して秘密を吐かせるための部屋ではありません」
ニーナは、今度はヴェロニカの足元を見た。
「それから、呼ばれるまで境界を越えないでください」
「まだ越えていないわ」
「靴の先が半分入っています」
ヴェロニカは半歩戻った。
「それなら安心ね」
「何が?」
「私は嘘をつかずに、人を怒らせるのが得意なの」
審査には、ほかに二人が同席していた。
職業組合の総代ボリスは、新しい職業が既存の組合権限を乱すとして探偵の公認へ反対している。大柄な男で、指には各組合の職印を模した指輪を幾つもはめていた。
もう一人は、ガヴリイルの補佐官マルファ。濃い茶色の髪を首元で揃え、分厚い典録台帳を胸へ抱いている。証言順や質問書を整えたのも彼女だった。
ニーナが確認を終えるころには、マルファの前には審査書類が順番どおりに並んでいた。
ガヴリイルが一枚へ手を伸ばす前に、マルファはその下の書類を半歩ぶんだけ右へずらす。次に必要になる紙らしい。
「封印指定の典録は、今日の質問対象から外してあります」
「当然だ」
ガヴリイルは書類の角を揃えた。
「私は封印指定記録について《沈黙契約》を結んでいる。候補者の名や非公開の選考経緯は、今日の審査には不要だ。混ぜるな」
「はい」
マルファは短く答え、該当する欄へ印をつけた。
審査の直前、補佐官は金色の細い封を施した質問書を長机へ置いた。
「改竄防止の封です。院長ご自身でお開けください」
ガヴリイルが爪を差し込み、金色の膜を二つに裂く。表側の封片をマルファが小さな受け皿へ回収した。
「開封を確認しました。質問書を登録してください」
証言環の外縁には、紙を挟む細い青銅枠が埋め込まれている。開いた押さえ板の下を、四つの青銅文から伸びた線が通っていた。三つ目の《秘匿を許す》だけは、文の端まで枠の下へ入り込んでいる。
ガヴリイルが質問書の下端を差し込むと、押さえ板が紙を挟み、その先が床の青銅へ重なって閉じた。かちりという音に続いて、質問書の文字が壁へ淡く浮かぶ。
マルファは台帳へ一行を書き足し、質問書から手を離す。金の槌が鳴り、審査が始まった。
「ヴェロニカ。女神の職能紋は空白、典録上の職業は【無職】。現在、存在しない職業である【探偵】を自称している」
「読み上げ方に悪意があるわ」
「事実だ」
「悪意と事実は両立するでしょう」
鐘は鳴らない。質問でも証言でもない会話には反応しないらしい。
「探偵とは何をする者だ」
「奇妙な出来事を調べ、証拠を集め、騎士団が間違った人間を捕まえる前に犯人を見つける者よ」
「最後は不要だ」
壁際のスヴャトスラフが口を挟んだ。
「最も重要な部分でしょう」
「審査を続ける」
ガヴリイルに呼ばれ、私は長机の脇から証言環へ入った。中央に立つと、壁へ私の名が浮かぶ。ヴェロニカは環を挟んだ向こうの席にいる。
「証人ナターリヤ。審査対象者は過去四件において、実際に謎を解き、犯人を特定したか」
「はい」
鐘が澄んで鳴る。
「お前は調査を補助したか」
「補助というより――」
「はいか、いいえで答えろ」
「質問の前提が間違っているわ」
ヴェロニカが割り込んだ。
「ナターリヤは私の指示で動く補助者ではない。自分の鑑定と判断で証拠を見つけている」
「認定対象はお前一人だ」
「だから、その審査の形が間違っていると言っているのよ」
「職業の認定は個人ごとに行う」
「事件は個人ごとに起きないわ」
組合総代が鼻を鳴らした。
「探偵などという曖昧な仕事を認めれば、誰もが勝手に捜査を始める。騎士でも神官でもない者へ権限を与える理由はない」
ボリスは指輪の一つを親指で回した。
「職印は腕前を飾る札ではない。仕事で損害を出したとき、どの組合が責任を引き受けるかまで含めた印だ。探偵が間違えたとき、その責任を誰が取る」
「私よ」
「個人の返事で制度にはならん」
「四件の実績は確認済みだ。それを否定する審査ではない」
ガヴリイルがボリスを制した。
「問題は、その実績を何という職業へ分類し、誰の権限と責任の下へ置くかだ」
「職業がなければ事件を調べてはいけないなら、四件とも放置するべきだった?」
「本来は騎士団へ任せるべきだ」
「その騎士団長が、なぜ推薦書を書いたと思う?」
全員の視線がスヴャトスラフへ集まる。
「私を見るな」
彼は不機嫌そうに答えた。
「こいつらがいなければ、誤認逮捕か未解決になっていた事件はある」
「こいつら」
ヴェロニカが繰り返す。
「褒めたつもりはない」
実績については、それ以上の質問は出なかった。ニーナに促されて証言の終了を告げると、壁に浮かんでいた私の言葉が、名前の下へまとまって収まった。
ガヴリイルが槌を打ち、補佐官の用意した次の質問へ戻った。
「証人ナターリヤ。審査対象者との関係を、隠さず述べよ」
その問いを受けた途端、足元の青銅文が強く光った。
「幼なじみで、同居人で、仕事の相棒で、恋人です」
鐘が鳴る。本来なら、そこで終わるはずだった。
ところが喉の奥へ見えない指が触れ、考えていたことが次々に口からこぼれ始める。
「ヴェロニカの寝顔は、起きているときより善良に見えます」
* * *
いま、ヴェロニカは立ち上がった席へ戻らず、証言環のすぐ前にいる。私は口元から手を下ろした。塞いでいても役に立たないし、彼女に掴まるなら両手が空いていた方がいい。
ガヴリイルがもう一度槌へ手を伸ばしかけた。その音を待たず、ヴェロニカが口を開く。




