20.第3話後日譚② 涙を閉じ込めたい
ナターリヤが事務所へ戻らなくなって四日目、私は幼体の移送記録を確認するため、王立獣舎へ来ていた。帰り際、ミロスラヴァに呼び止められた。
「ヴェロニカさん、見ていただきたい物があります」
案内されたのは、幼体の飼育区に隣接する小さな保管室だった。
棚には薬草、抜け落ちた羽、石化した鼠の標本が並んでいる。その中央へ、親指ほどの硝子瓶が置かれていた。
中には透明な液体が一滴と、灰色の羽毛が一本。
「グルーシャの涙です」
事件後の再検分で、涙腺に残っていた最後の一滴が採られたのだという。
「羽もグルーシャのもの?」
「ええ。同じ瓶へ入れておけば、離れずに済むと思いました」
瓶の口には木栓が押し込まれ、封蝋の上から保存の魔法がかけられている。それでも、涙は少しずつ減っていた。
「獣舎の薬師にも見せました。封印の魔法は正常だそうです」
液体の上には、薄い霧のような光が残っている。
「魔力は抜けていないわね」
瓶を持ち上げ、光へ透かす。灰色の羽毛は涙へ半分沈み、先端が木栓の裏へ触れていた。
「横にしてもいい?」
「割らないでください」
「その予定はないわ」
瓶をゆっくり傾けると、涙が羽毛の軸に沿って細く上がった。液体は繊維の間へ吸い込まれ、そのまま木栓へ染みていく。
「封印から漏れているのではないわ。羽が吸い上げて、木栓へ渡しているの」
「羽が?」
「布の端を水へ浸すと、濡れたところが上へ広がるでしょう。それと同じ。このままだと、瓶の底には残らないわ」
ミロスラヴァは瓶を受け取り、灰色の羽を見つめた。
「取り出せば、涙は残りますか」
「別々に保存すれば」
「一緒には残せないんですね」
「同じ場所へ入れることと、一緒に残すことは同じではないわ」
ミロスラヴァは栓へ指をかけたものの、すぐには開けない。
「涙は石化治療に使える素材です。けれど、この羽は治療には使えません」
「だから捨てる?」
「できません」
「では、残せばいいでしょう」
「保管記録では、薬と形見を同じ容器へ入れられません」
「同じ容器には、でしょう」
「ええ」
「なら、分ければいいわ」
「離れてしまいます」
「容器が別でも、どちらも残るでしょう」
ミロスラヴァが私を見た。
「ヴェロニカさんが、それを言うんですね」
「瓶の話よ」
* * *
涙は新しい小瓶へ移され、王立素材庫の治療用素材として登録された。
灰色の羽毛は乾かしたあと、二枚の薄い硝子に挟み、縁を透明な樹脂で閉じる。薬品棚ではなく、ミロスラヴァの机へ置かれることになった。
飼育区へ戻ると、ミロスラヴァは幼体の目元へ革覆いを掛けてから、硝子を柵の内側へ差し出した。幼体は硝子へ近づき、嘴の先で一度叩いた。
硬い音がする。
もう一度だけ首を傾げ、水桶へ戻っていった。
「何か感じないのでしょうか」
ミロスラヴァが硝子を手にしたまま尋ねる。
「分からないわ」
「母親の羽なのに」
「この子が、それを形見として見るとは限らないでしょう」
幼体は水面へ嘴を入れている。
ミロスラヴァは硝子を机の引き出しへしまわず、しばらく手に持っていた。
* * *
獣舎を出た頃には、通りへ夕方の灯りがともっていた。帰り道の菓子店には、新しい蜂蜜菓子が並んでいる。
見て。あの店、蜂蜜菓子を増やしたみたいよ。
言葉は頭の中で形になっただけで、声にはならなかった。
隣には誰もいない。




