19.第3話後日譚① コカトリスを撫でてみたい
第3話後日譚① コカトリスを撫でてみたい
コカトリスを撫でてみたいと思ったのは、左腕の石化が解けてから二日目のことだった。
痛みはほとんど消えている。指も曲がるし、短剣も握れる。ただ、朝になると肘の内側へ薄い灰色が残り、冷たい金属へ長く触れたような感覚が続いていた。
王立獣舎の門で面会許可証を見せ、幼体のいる飼育区画まで入った。鉄柵の前にはミロスラヴァがいる。
「ナターリヤ、腕を見せてください」
言われた通り左腕を差し出す。ミロスラヴァは包帯の隙間から見える左肘へ目をやった。
「まだ灰色が残っていますね」
「治療師には、石化そのものはもう残っていないと言われたでしょう」
「言われた。でも朝になるとまだ灰色なんだよね」
「身体が、石だったことを忘れていないのでしょう」
「それを後遺症って言うんじゃない?」
「治療師ではないので、難しい呼び方はしません」
彼女の背後にある鉄柵の中で、灰褐色の羽が動いた。
グルーシャの残した幼体は、浅い水桶へ嘴を入れている。鶏に似た丸い胴体から、鱗に覆われた細い尾が伸び、脚の指は前に三本、後ろに一本。水盤へ残っていた傷は、前側の爪でつけたものらしい。
頭にはまだ小さな鶏冠しかない。灰褐色の羽毛も柔らかそうだった。
「撫でてみたい」
口へ出すと、ミロスラヴァは私を見た。
「腕を石にされた相手を?」
「本人は悪くないでしょう」
「本人」
「ほかに何て呼ぶの?」
幼体が水桶から顔を上げる。
私は反射的に目を逸らした。
「よい判断です」
「直接見たら、また石になるよね」
「なります。幼体でも、直接の視線は危険です。片目でも安全とは言えません。まだ力が安定していないので。成長すれば、もっと安定します。グルーシャも、片目が見えなくなってから石化させる力は残っていました」
「今の方が、成体よりは安全そうに聞こえるけど」
「弱いことと、安全なことは別です。それに、自分や同族には石化が定着しません」
「水盤を見た時、ずいぶん暴れてたよね」
「幼体には、鏡の中の自分が別の個体に見えたのかもしれません」
鉄柵の中で、幼体は尾を床へ打ちつけた。
呼びかけようとして、名前を知らないことに気づいた。
「そういえば、この子の名前を聞いてなかった」
「まだありません。私が決めると、グルーシャに似た名前を選んでしまいそうです」
ミロスラヴァは鉄柵へ背を向けた。
「この子は、この子だと言ったばかりなのに」
「似ていても、別の名前ならいいんじゃない?」
「もう少し考えます」
幼体が嘴を鳴らした。
ミロスラヴァは返事をするように、短く舌を鳴らす。幼体は首を傾け、片目を彼女の方へ向けた。彼女は目を合わせない。
「撫でるなら、正面へ立たないでください」
「撫でていいの?」
「この子が近づけば」
ミロスラヴァは鉄柵の脇へ回り、幼体の目元へ柔らかな革覆いを掛けた。幼体は一度首を振ったが、すぐに嘴を鳴らした。
柵が開いたが、幼体はすぐには出てこない。
嘴を突き出し、空気を嗅ぐように二度開閉したあと、私の短剣の鞘へ顔を近づけた。
「金属が好きなんだ」
「冷たい物には、よく嘴を寄せます」
小さな嘴が鞘へ触れた。
次に、私の手の甲へ近づく。
「急に動かさないでください」
「噛まない?」
「気に入らなければ、噛みます」
「気に入られてなかった場合の説明を先にして」
幼体の頭が、掌の下へ入った。
羽毛は見た目より硬かった。表面は鳥の羽だが、その下に細かな鱗があり、撫でる方向を間違えると指へ引っかかる。
「首から背中へ。逆には撫でないでください」
言われたとおり、灰褐色の羽を一度だけ撫でた。
幼体は逃げず、尾が床を軽く叩く。
「これは喜んでる?」
「警戒しています。でも、自分から近づいたので嫌ではありません」
「喜んではいないんだ」
「嫌なら、もう指を失っています」
「判断の基準が怖いよ」
二度目に手を伸ばすと、幼体は頭を引いた。
私はそこで止めた。
「もう終わり?」
「今日は」
ミロスラヴァが頷く。
「一度許したからといって、次も触れてよいとは限りません」
「そうだね」
幼体は自分から柵の中へ戻った。ミロスラヴァが革覆いを外すと、水桶の横で羽を膨らませる。
「また来てもいい?」
幼体ではなく、ミロスラヴァへ尋ねた。
「私は構いません」
「この子は?」
「次に訊いてください」
帰り際、鉄柵の中から嘴を鳴らす音がした。
聞こえたけれど、私は振り返らなかった。
片目だけで見送ってくれていたかもしれないし、水桶の虫を見つけただけかもしれなかった。




