15.第3話⑤ 無職探偵と解けないはずの石化
ヴェロニカの作戦は、嘘を一つ本物らしく聞かせるところから始まった。
「壁材に混じった金属粉なら、ナターリヤが見分けられるそうだ」
スヴャトスラフがわざと廊下で言う。近くにはミロスラヴァ、ドラゴミル、クセニヤの三人がいた。
私は横で黙っていた。本当は、そこまで分からない。石継ぎ泥に混じる砂や金属粉、新旧の補修で出る色の差くらいなら見られるけれど、それだけで封鎖された部屋を一つに決められるほど便利な目は持っていなかった。
「旧区画を見れば、どの壁か絞れるのね?」
ドラゴミルが訊く。
「たぶん」
嘘をつくときは、ヴェロニカほど堂々としない方がいいらしい。自信のなさまで本物だった。
「どのくらいかかる?」
「全部見るから、少し」
関係者をいったん上階へ戻したあと、私はヴェロニカとスヴャトスラフに連れられて旧治療区画へ降りた。
「本当に一人で残るの?」
「一人に見えるだけだ」
騎士二人は階段を上がった先の脇の控室へ隠れ、さらに上にも人を置くらしい。スヴャトスラフは合図用の紐を私の袖へ通し、騎士の一人へ折り畳んだ鏡布を渡した。
「誰か来ても追うな。壁を開けたら合図しろ。止めるのはこちらでやる」
「それなら分かった」
塞がれた出入口を見ていたヴェロニカに訊く。
「来ると思う?」
「来なければ別の手を考えるわ」
「来たら?」
「隠した鳥を動かすはずよ。あなたは正しい壁を見て、合図する」
「それだけ?」
「それだけ」
返事は早かった。見張って合図するだけなら危険な役でもないし、紐を引けば騎士はすぐ来る。
「分かった」
ヴェロニカは一度だけ私の袖の紐を確かめた。
「壁には近づきすぎないで」
「分かってるって」
「そう」
それ以上は何も言わなかった。
階段を上がる足音が消えると、旧治療区画には灯り一つ分の静けさが残った。
端から壁を見るふりをする。石継ぎ泥はどれも同じ灰色で、近づけば砂の粒や乾いたひびに差はあっても、それが中身と結びつくわけではない。
「本当に分かったら楽だったんだけどな」
半分ほど見たところで、階段から靴音が下りてきた。
一人だった。
腰の短剣へ手を添える。袖の内側には、引けば階段上の控室で鈴が鳴る紐がある。
現れたのはクセニヤだった。治療師の仕事着のまま、小さな鞄を持っている。
「まだ調べていますか」
「見れば分かるでしょ」
「どこまで分かりました?」
「それを聞きに来たの?」
「治療に必要なものがあります」
「ここに?」
答えず、私がまだ見ていない壁の方へ歩いていく。紐にはまだ触れない。
クセニヤは一つの壁の前で止まり、鞄から細い銀棒を取り出した。継ぎ目も見えない石継ぎ泥へ先端を当て、短く何かを唱える。灰色の表面に淡い線が走り、今まで壁にしか見えなかった一角が音もなく内側へ沈んでいった。
そこで紐を引く。袖の中へ小さな手応えが返った。
正しい壁だった。
「そこなんだ」
クセニヤがこちらを見る。
「どいてください」
「この子を移すの?」
「はい」
開いた隙間から乾いた藁の匂いが流れてきた。奥で灰褐色の羽が動き、金色の目が一度だけ灯りを拾う。
グルーシャよりずっと小さい。身体に対して翼がまだ大きく、足元には水桶と浅い青銅の餌皿、壁際には赤い保温石が置かれていた。
「治療に必要だから?」
「必要です。飼育許可は申請しましたが、却下されました」
それだけ答えると、クセニヤは部屋へ一歩入った。
「待って」
前へ出る。クセニヤの手が青銅の餌皿を取り、持ち上げられた底だけが灯りを強く返した。
磨かれている。
「クセニヤ」
呼んだ瞬間、皿の縁を銀棒が二度叩いた。
コン、コン。
幼体が音へ顔を向ける。青銅の内側で、二つの金色が跳ねた。
顔を背けたときには、左手の指先から感覚が消えていた。
「――っ」
手の甲が灰白色へ変わっていく。
右手で短剣を抜く。左手首はもう曲がらず、冷たさが腕の内側を這って肘へ向かっていた。
クセニヤが餌皿の角度を変えるより先に、短剣を投げる。
刃ではなく柄が青銅へ当たり、皿が床を転がった。
直後、階段の方から足音が殺到した。
「動くな!」
騎士がクセニヤの腕を押さえ、もう一人が鏡布を幼体へ被せる。
壁へ背中をつけた。反射を切っても石化は止まらず、灰白色が手首を越えて上がってくる。
階段を駆け下りる足音が重なった。
ヴェロニカは私の左腕を見て、足を止めた。口が開きかけたものの、何も出ない。
石化は肘の少し手前でようやく止まった。
ヴェロニカが鏡布に覆われた幼体へ向き直る。
「涙を」
それだけだった。




